捨てられた聖女の告白 ~闇に堕ちた元聖女は王国の破滅を望む~

柚木崎 史乃

第1話

 伯爵家の嫡男であるヒューゴには、まだ婚約者がいない。

 というのも、まだしっくり来る相手と出会えていないからだ。父が持ってくる縁談には応じているものの、顔合わせをした後に断ってばかりいる。

 父からは「成人するまでには相手を決めるように」と毎日のように急かされているし、いい加減に相手を決めなければいけないのに。


「ヒューゴ様。私と一曲踊っていただけませんか?」


 目を爛々とさせながら、一人の女子生徒がダンスに誘ってきた。

 今日は、ヒューゴが通っている学園の卒業パーティーが開催されている。

 特定のパートナーがいない男女は、こうやって一人でいる異性に声をかけてダンスに誘うのだ。


「すまない。さっき踊ったばかりで、疲れているんだ」


 とりあえず、当たり障りのないことを言って断った。

 彼女は恐らく、ヒューゴの家柄や地位や外見にしか興味がない。

 もちろん、実際にそう言われたわけではないが、ぎらぎらとした野心丸出しの目がそう物語っていた。


「そうですか……残念ですわ」

「本当に申し訳ない。でも、君はとても魅力的だから、きっと他の男たちが放っておかないよ」

「まあ、ヒューゴ様ったら……それでは、失礼しますね」


 角が立たないようにリップサービスをすると、彼女は満更でもない様子で去っていった。


(やっぱり、寄ってくるのは肩書きにしか興味がない女ばかりだな……)


 そう思い、小さく嘆息した途端。ふと、見覚えのある女子生徒の姿が目に飛び込んでくる。

 彼女の名はベルタ。ヒューゴの同級生だ。ヒューゴは、以前から彼女のことが気になっていた。

 ちょうど肩に付くくらいの、翠緑の艷やかな髪。頭の両サイドには、恐らく今日のために用意したであろう白薔薇の髪飾りを付けていた。

 ただし、顔は見えないのだが。そう、彼女はどういうわけか常に仮面をつけているのだ。


 仮面舞踏会よろしく顔を隠しているベルタは、ヒューゴの視線に気づくと軽く会釈をしてきた。

 どうやら、見つめていたことがばれてしまったようだ。なんだか気恥ずかくて、ヒューゴは反射的に視線をそらしてしまう。


(……でも、せっかくの機会だから話しかけてみるか)


 そう思い直すと、ヒューゴはベルタのそばまで歩み寄る。


「やあ、ベルタ」

「ごきげんよう、ヒューゴ様」


 仮面の下から覗く美しい緋色の瞳に、ヒューゴは思わずドキリとする。


(他の皆は気味悪がっているけれど、何故か惹きつけられてしまうんだよな)


 彼女は平民の身でありながら、王侯貴族や富裕層の子弟が集まる名門『王立エクレール魔法学園』に入学した。

 ヒューゴが知る限り、欠席もほとんどなく成績優秀で真面目。奇妙な仮面を被っていることを除けば、模範的な生徒である。


「君も、一人かい?」

「ええ」


 どうやら、ベルタにはパートナーがいないようだ。だから、本来ならダンスに誘うのが筋だろう。

 けれど──


「もしよかったら、バルコニーに出て少し話さないかい?」


 気づけば、ヒューゴはそう誘っていた。

 ダンスをするよりも、純粋に彼女自身のことについてもっと知りたい──その欲求が勝ったのだ。


「私なんかでよければ、ぜひ」


 にっこり微笑むと、ベルタはそう返してくれた。

 ヒューゴとベルタは、ダンスに夢中になっている他の生徒たちを横目にバルコニーに出ることにした。


「そういえば、こうやって二人でお話しするのは初めてですよね」


 柔らかな夜風に髪をなびかせながら、ベルタがそう言った。

 野外授業で同じ班になった時など、たまに話すことはあったのだが……確かに、こうやって二人きりで話すのは初めてだ。

 ヒューゴは「そうだね」と頷くと、ふと以前から気になっていたことを質問してみる。


「その……君は、どうしていつも仮面をつけているんだい?」

「それは……」


 尋ねた瞬間、ベルタは戸惑ったように目を瞬かせる。

 しまった。いくらなんでも、いきなり踏み込みすぎたか。せめて、もう少し打ち解けてからのほうが良かったかもしれない。

 しかし、ヒューゴはどうしても気になって仕方がなかった。彼女のような才女が、何故素顔を隠しているのか。

 この奇妙な仮面さえつけていなければ、きっと就職先も引く手数多だったろうに。


「ご、ごめん……。もちろん、話したくなかったら無理に話さなくても大丈夫だからね」


 慌てて付け加えると、ベルタは首を横に振った。


「ああ、いえ……今まで、この仮面のことについて聞いてくる人なんて一人もいなかったもので。ちょっと、驚いただけです」

「そうだったのか」


 ベルタの話しぶりから察するに、どうやら聞かれること自体は別に不快ではないらしい。

 彼女は一呼吸置くと、やがて決心したように口を開いた。

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