第30話:囁く者、ジャーヒル(後)
◆
ジャーヒルの目が妖しく輝く。
──
そう看破した君は影が滑るように肉薄し、人差し指、中指、薬指を立ててジャーヒルの眼窩へと突き込もうとした。
三本貫手である。
中指で相手の鼻先を抑えつけ、首をふるのを妨害して確実に目を潰す。
しかしそれは失敗する。
指先が石化したからだ。
君の肉体は非常に堅牢強固であるが、石と化してしまえば石の強度しかなくなる。
指先から肘までが石化するのはあっという間で、ジャーヒルは頭突きによって君の右手を手首まで砕いてしまった。
石化は尚も進行するが、君の判断もあっという間であった。
左手で腰の『魔剣ローンモウア』を引き抜いて、刃を脇にあてがい、右腕を根本から切断してしまう。
そして宙空へ跳ね上がった自身の右腕──…完全に石化してしまったそれを、前方へ向かって蹴り砕いた。
石の散弾だ。
まあジャーヒル程の魔に石礫などは効く筈もないのだが、しかしそれでも僅かな時間は稼げる。
稼いだ時間で何をするのかといえば……
──【快癒】
これは死んでさえいなければどんな傷でも癒す魔法だ。
途端右腕を襲う凄まじい痒みに君は表情をしかめるが、腕は問題なく再生した。
同時に【障壁】も2枚張る。
これは敵の魔法攻撃を防ぐ有用な魔法だが、有用故に余り無駄打ちは出来ない。
だから君は魔法回数を節約したのだが、それが失敗だった。
その代償が【快癒】の使用回数を一回削る事になってしまった。
これは君の悪癖でもある。
君は決して相手を舐めたりはしないのだが、根っからの冒険者なのか節約精神が旺盛なのだ。ジャーヒルが倒すべき相手の最後の一体であるなら君も出し惜しみはしなかっただろうが、君が感得する限り大悪とよばれるモノは複数体存在する。
根拠はない。
ただの勘だ。
しかしその勘はこれまで何度となく君を救ってきたものでもある。
だからジャーヒル相手に手札を使い切るわけには行かなかった。
斃したら一端帰還するという手もあるのだが、その手が使えるかどうかは現時点では判断ができない。
なぜも帰還できないのか?
──それは、恐らく
君はそこで思考を打ち切り、目前の戦闘に意識を集中させる。
ジャーヒルは射殺さんばかりの視線で君を睨みつけ、君に向かって大きく跳躍した。
詠唱の隙を与えてはならないという思いがジャーヒルにはあった。
それは論理的な思考に導き出されたものではなく、本能によるものだ。
囁く者、ジャーヒルは謂わば物質界への尖兵である。
破壊し、死を撒き散らし、混沌を深める──…それがこの魔に与えられた役割で、ゆえに物質界の強者と
度重なる闘争によって磨かれた邪悪な本能が、君の何がどう危険なのかをジャーヒルに囁くのだ。
だが闘争への本能ならば君も、ライカードの冒険者も負けてはいない。
君達ライカードの冒険者は迷宮が大好きだ。
迷宮にはたくさんの宝がある。
そして強敵も大好きだ。
自身の戦闘能力を存分に発揮する事は快感ですらある。
だから、少しでも長く沢山戦う為に、本来は牽制に過ぎないような小技であっても実戦の場で使える様に磨きぬいてきたのだ。
──【刀風】
これは僧侶系魔法第四階梯の攻撃魔法である。
剃刀の様に切れ味の鋭い風刃を多数発生させ、敵集団を傷つけるというものだ。
これ自体は大した魔法ではない。
殺傷力は魔術師系魔法第三階梯の【大炎】にも劣る。
しかしライカード魔導散兵たる君がただ漫然と魔法を使う事はあり得ない。
君は本来広範囲に拡散させる真空刃を拡散させず、その掌の範囲に留め続ける。
そして構える君に対して、ジャーヒルは大口を開けて君に噛みつこうとしてきた。
君の戦感は、その噛みつき攻撃は自身の防御を貫く可能性がある事を告げている。恐らくは相手も必殺の確信を以ている攻撃なのだろう。
大きく開かれた口から見える太く鋭く、そして長い牙!
肉体のみならず、魂までもを引き裂いてしまいそうだ。
喉の奥には黒い靄の様なものが凝り固まっており、それは君の目には "厄" という概念がこの物質界で形を得たモノの様にも見えた。
だがしかし、そんな諸々は君の知ったことではない。
雷光の様に放たれた君の貫手がジャーヒルの大口に突き込まれ、君は体ごと押し込む様に前進する。
そして弾け飛ぶ真空刃、鉄錆の匂い。
甘美なる闘争の雫。
血の匂い!
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