第26話:地の獄へ
◇
──この霧が臭いな
王都を覆うこの濃厚な霧は、異常事態の背後に潜む何か、あるいはその全てを示唆しているかもしれない。そんな思いが君の心を捉えて離さない。
君は、生命と金を天秤にかける探索者たちの世界に身を置いている。彼らは通常金に目がくらむが、命の危険が迫ると、彼らの選択はいつだって生命の方へ傾く。
にもかかわらず、彼らが膨大な報奨金に釣られて迷宮の深淵へと群がるのは、これは些か合理を欠く様に思えた。
そこで、君は疑問を口にした。上級探索者たちはどうしているのかと。
「ブフゥ~…多くの腕利きたちは、姿を消しました。王国を離れた者もいますし、宿に引きこもる者もいますよ」
君は深く頷き、自らの推測を述べる。
この「霧」が、人々の正常な判断力を鈍らせているのではないか。しかし、一定の実力を持つ者には影響が薄いか、あるいは効果が弱まっているのではないか。
そして、最も重要な疑問――この霧の発生源は、もしかして王城そのものではないか。
君の考えを聞いたサー・イェリコ・グロッケンは、彼の猪面を曇らせながらも、否定はしなかった。ただし、王国との対立を考えると、気持ちは晴れやかではない。
彼は亜人でありながら、勇士としての地位を築いた。その地位を失うリスクを考えると、彼の心は重たく沈む。
◇
君は仲間達を振り返り、運命を左右するかのような選択を迫った。
すなわち王城へカチこみ、元凶をぶちのめすか(例えそれが王であっても!)
あるいは迷宮深部へとカチこみ、元凶をぶちのめすかである。
だが君の属性は"善"。
第三の選択肢も同時にしめしてやった。
つまり、尻尾を巻いて逃げるという選択肢である。
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燃える様な赤毛の軽戦士キャリエルは、君の方をじっと見て、そして窓の外に視線をやる。しきりに耳たぶを弄っていたかとおもいきや、髪の毛をかき上げたり、手櫛でとかしたり。とにかく落ち着きがない。
だが君はじっと我慢強く彼女の答えを待った。
「私は、う~ん…お兄さんに、ついていくよ…本当は怖いんだけど、まあ勘ってやつ…なのかな」
君は頷いた。
キャリエルはどうにも練度に欠ける部分があるが、それは探索中でも鍛えればよいと君は考える。話によればこの世界の迷宮にも悪魔族が出るらしい。であるならば、いくら殺してもすぐ増える便利な悪魔とも逢えるのではないかと君は期待する。
次に君は神聖国の騎士、モーブを見る。
彼は風を操る練達の戦士で、ルクレツィアの供としてこの地へやってきた。そして迷宮の深部で闇に触れ、その肉体を"なにか"に侵食され正気を失ってしまった所、君に文字通り肉体を吹き飛ばされて蘇生され、今に至る。
「はあ…私は別に…命令されればどこへでもついていきますので…」
モーブは君と視線を合わせようとはせず、どこか恐縮したような様子で答えた。彼は君に隔意があるというほどでもないのだが、体が君の蛮行を覚えており、話しかけられるだけで不可思議な畏敬の念と恐怖心が湧き上がってくるのだ。
君は再び頷く。
何処へでもついてきてくれ、更に従順な仲間というのは貴重である。こと迷宮探索で変に個性を出されて好き勝手やられてしまうと、パーティ全滅に直結しかねない。
この迷宮は怖いからいやだとか、この階層は嫌な予感がするからいやだとか、そんな事を仲間が言い出したら君は発狂してソイツをぶち殺してしまいたくなるだろう。迷宮探索で大事なのは意思の統一である。
続いて君はルクレツィアを見た。
神聖国では"降る雪の聖女"と呼ばれている美女。流れる白銀の髪が美しく、色白の肌と幸薄そうな顔立ちが似合う。彼女はこの国の迷宮の"魔"を祓う為に供の騎士たちを連れて訪れたのだが、迷宮深部で"闇"に触れ、その肉体と精神を蝕まれてしまった。しかし、君の肉体硬化の魔法を応用した文字通りの鉄拳によって上半身を吹き飛ばされ、モーブと同様に蘇生されて今に至る。
「主様、貴方が征くというのならば、わたくしはそこが魔が蔓延る地の獄であろうとも臆したりは致しません。その息吹で巨竜を屠り、その一振りで邪神の肉体は微塵と砕けます。この地上で最も強く、美しく、誇り高き存在…それは誰か。主様に他なりません。…ですが、かの地に待ち受けるは恐らくはこの国始まって以来の巨悪…予言の災厄…。この矮小な身と心ではどこまでついていけるか…どうか主様、脆弱なわたくしに勇気を下さいませッ…!」
君は三度頷き…はしなかった。
こいつは一体何を言っているんだろうという冷たい目でルクレツィアを見る。精神の均衡が失われているのかと危惧するが、ルクレツィアという女はもともとちょっとイカれていたなと思い出し、ほんの僅かに頷くにとどめた。
だが、君も別に鈍感系を通しているわけではなく、ルクレツィアが自身に妙な懸想をしている事は理解している。勇気をくれというのならくれてやろうと、君はルクレツィアの腰を強く掴み、自分の腰へと押し付けた。そして耳元で囁く。
──俺の為に戦え、そして死ね
戦って死ぬことは誇りである。特にライカードでは。死ねば学ぶ。学べば強くなる。冒険者は死ねば死ぬほど強くなるのだ。強さあっての正義であり、悪である。力が無ければ正義も悪も無意味で無力でゴミで無駄だ。
君はそんなライカード魂を息吹に変えて、ルクレツィアの耳朶へと吹き付けてやったのだ。
果たして効果は覿面で、ルクレツィアはその場に崩れ落ちて何か変なモノに耽っている。キャリエルとモーブの視線が君に刺さるが、君はそれを努めて無視した。
ともあれ、仲間達の意思を確認した君は、迷宮深部への踏破を決断する。
この国の上層部が何者かの影響を受けているとして、その根本原因が迷宮深部に巣食う何者かにあることは想像を巡らせるまでもない。
であるなら、元凶を叩いた方が合理的であり、問題解決までの時間も短くなるだろう。
といっても、現時点では問題といっても迷宮がちょっと騒がしく、不穏になった程度ではある。だが、数々のトラブルに直面してきた君は、今回の一件は放置しておけば非常に大きな厄となる事を理屈ではなく直感で理解していた。
勿論単なる勘だけではなく、神聖国の予言も厄災の存在を警告しているというのもある。
◇
君はグロッケンに迷宮へ向かう事を告げると、彼はそれを止める事は無かった。
グロッケンは君の実力の程を全て見切っている、とまではいかないが、その階梯の高さを薄々察している。それはグロッケン自身も優れた戦士であるからだ。猛者は猛者を知るという所だろう。
「ブフゥ~…君なら心配は要らない…とはいいませんよォ。今の迷宮はどこかおかしい。本来は中層以降に出現する魔物を浅層で確認したという報告もある…。我々で言う所の、水が合う合わないというような事が迷宮の魔物にもあります。深層や中層の魔物が浅層に現れない理由はまさにそれで、彼らにとって浅層は"水が合わない"のですよ。少なくとも、それがこれまでの常識でした」
しかし、その常識が覆ったということだ。
「この感覚は、質の悪い疫病の蔓延に似ています。ブフゥ~…最初は村人が一人、二人。体調を少し崩したかといった程度で。しかし翌日。体調を崩した者が倍に増えている。一週間後は死者まで出て。やがてその数が倍、更に倍と増えていき、村そのものが死滅する…私はねぇ、かつてそんな村に住んでいたことがあるんですよォ…その時の焦燥感、忍び寄ってくるうすら寒い恐怖…そんなものを今回の一件から感じます」
君はそんなグロッケンの話を聞くには聞いていたが、内心では早く迷宮へ向かいたくて仕方が無かった。君は不真面目な男ではないが、目的が定まったなら、無駄話をせずさっさとその目的地へまい進したいタイプの人間だ。情報収集など悠長な事はやりたくないと思っているせっかちさんなのだ。これは余りよろしくない気質ではあるが、ライカードの冒険者全般が大体君のような気質であるため、個人の悪癖というより国民性の問題であるように思われる。
命が軽い国の冒険者は、危地に際しては死んで覚えるというのが半ば常識の様なものになってしまっている。
君はグロッケンの話を半ば強引に切り上げる様にして、仲間達を促してギルドマスター室を退室していった。勿論最低限の礼は欠かさない様にしたが、君の胸は一分一秒でも迷宮へ行きたいという思いで一杯で、傍から見れば奇矯にすら映ったかもしれない。
「行ってしまいましたね…なんだか随分嬉しそうに」
それまで黙っていた秘書兼ギルド受付嬢のハノンが言う。冷血受付嬢などという不名誉な渾名で呼ばれることもある彼女だが、流石に今回の異常事態には不安を隠せないようだった。
──突然の王城からのお触れ…迷宮深部に封じられていた悪魔が蘇った、これを討伐せよ
まともな情報など何もない。命令をするくせに、肝心の情報は乏しい…そういった事には厳しい視線を向ける筈の探索者達は、我を争うようにして迷宮へ向かっていく。さながら燃え盛る火中に飛び込む羽虫の様に。
そんな探索者達の正気を失ったような振る舞いは、冷静さが売りのハノンにも強い動揺を与えた。
──剣呑なのは、上級探索者達が王都のお触れに対して強い忌避感情を表している所です。彼らの磨き抜かれた生存本能が警鐘を鳴らしている…それだけ今の迷宮は危険だという事
だからこそ、君の嬉々とした様子にハノンは疑問を感じる。何か根本的な部分がズレている、おかしい、不気味だ、人の皮を被ったなにか…そのように感じるのだ。
まあ、ハノンの君に対する評価は言ってみれば国民性の違いのようなものなので、君からすればあんまりにも一方的な誹謗中傷に聞こえるかもしれないが…。
◇
君たちは取り合えず1日使って、迷宮探索の支度をすることにした。君としても取り合えず一泊休み、魔法の力を精神に満たさねばならないと考えていた。
君は斬って良し、唱えて良しのマルチプレイヤーではあるが、唯一弱点があるとすれば魔法戦に於ける継戦能力の低さである。最下級の火の魔法でさえ君は9回しか使えない。
そして翌日…
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君たちは街はずれの迷宮の前に立っていた。
表情はいずれも硬く、緊張しているようだった。
君がくん、と鼻をひくつかせると、ほんのわずかな腐臭が君の鼻腔を擽った。
それは有機物が腐った香りではなく、
悪がこの穴の先にいる。
敵が地の底にいる。
光輝く正義の殺意を胸に、君は迷宮へ向けて足を踏み出した。
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