第240話

「――――姉貴! 大丈夫!?」


「あいててて……雄太、あたしは無事だから落ち着けっての」


 休憩室のソファに鎮座したまま、息を切らせて駆け付けてきたおかきを陽菜々が呆れ顔で出迎える。

 本人の申告通り無事と言えば無事なのだろう、赤く腫れた頬に冷水を注いだ紙コップを当てている点に目を瞑れば。


「……そのケガ、母さんが?」


「あーね、ちょっと激しい口喧嘩の末というかなんというか。 でもクロスカウンター決めたから痛み分けっしょ」


「ごめんなさい、私がついていながらこんなことになるなんて……」


「いやいやガハラちゃんのせいじゃないし! 謝らなくていいよ、あたしが負けたみたいじゃん!」


「論点そこちゃうやろ」


「姉貴、母さんはどこに?」


「あー、あたしが引っ叩いたら化粧が崩れたとか怒ってどっか行っちゃった。 厚化粧全部台無しにしてやったし、ニシシ!」


「……そんなことで張り合うなっての」


 おかきは腫れた部分を刺激しないようにそっと陽菜々の頬を撫でる。

 肝が冷えたおかげでひんやりとした指先とは対照的な熱を含んだ肌からは、よほど容赦のない平手打ちを食らったことが想像できた。

 およそ10年ぶりに再会した娘に対し、何のためらいもなく。


「姉貴、今日はもう帰った方がいい。 その顔じゃ打ち合わせも何もないでしょ」


「いやいや、ただでさえスケジュール押してんのに無理だって。 それにあたしが舞台に立つわけじゃないからさ、むしろノーダメ的な?」


「言う事聞かないなら一生敬語で接しますよ?」


「あーいもしもし部長!? かくかくしかじかで早退しますまことにごめんなさいあとで詳細メールでオナシャス!!」


 瞬く間に上司へ早退の連絡を入れ、荷物をまとめて撤収する陽菜々。

 実の弟に敬語を使われる、それは姉という存在にとってクリティカルな脅迫だった。


「キューさん、申し訳ないですか姉貴の職場にフォローをお願いできませんか? もしショーの担当を外されると我々も困るので……」


『あいあーい、話は聞いてたから大丈夫だよ。 それとなく伝手を回しておくから安心しなさい』


『おかきよぉ……やっぱりお前魔女集会こっちこいよ』


「あら、引き抜きはダメよボス。 私がSICKに嫌味を言われるもの」


『うっせぇぞアクタァ! で、なにか収穫はあったのかよ』


「音声ならそっちも聞いてたんでしょ悪花様? 残念だけどボクらじゃなにも」


「収穫ならあったわよ、ねえ探偵さん?」


「あなたに話を振られるのは癪ですが、その通りですね」


「せやな、どうもきな臭いなこの会場も」


「うんうんなるほどわかってないのはボクだけだな? 新人ちゃん、説明求む」


「はいはい」


 ここまでの疲労と忍愛への推理披露、2つの理由からおかきは適当な椅子に腰かける。

 まだ事件の全貌がめいたわけではない、それでも解明に必要なピースはいくらか手に入った。 ゆえにこれは忍愛への情報共有兼、バズルの整理だ。


「まずウカさんたちも気づいていると思いますが、爆破予告とは別に何か隠してますよね」


「えっ、そうなのパイセン?」


「うちもあの社長さんの反応きな臭いわーって感じたぐらいやけどな、おかきはもうちょっと踏み込んだ根拠あるんか?」


「知り合いの探偵ですといわれて“こんなの”紹介されてまともに受け入れられますか?」


「探偵さん、自分で言って悲しくならないの?」


「うるさいですね……」


 本人も毎朝一縷の希望に掛けて鏡を確認するからこそ知っている、自分の見た目がいかに子供っぽいかということを。

 実年齢はともかく外見は小学生低学年のそれと大差ない、大真面目に紹介されればふざけているのかと怒るか、冗談かと笑うところだ。

 それでも阿賀沙は笑いこそすれあっさりと受け入れた。 中世古に至ってはかつての後輩だという自己申告すら疑いもしない。


「あー……ボクもあの学園に毒されて感覚麻痺しちゃったかな」


「そうです、それですよ忍愛さん」


「へっ?」


「つまりおかきの先輩やその社長さんも超常現象に慣れて感覚がマヒしてるってこと?」


「まだ仮定の話ですけどね。 先輩は部長に先んじて何か吹き込まれ、阿賀沙さんは芸能界の荒波がそんなものだったのかもしれません」


「おかき級がゴロゴロいる芸能界はちょっと想像したくないわね」


『ふーむ、しかし社長さんにMace氏か……意外なところに縁があるものだね』


「そうです、中世古先輩の社交性からすれば異常中の異常です。 裏に何かあるとしか考えられません」


「やめろよ、社会人になってちょっとコミュ力振り絞っただけかもしれないだろ!」


「なんか実感籠っとるな山田」


『ちなみにおかき、裏ってのは具体的には?』


「……わかりません」


 思考の端にぶら下がる違和感はまだ言語化できる段階には達していない。

 だが違和感のままでは終わらせられないと、藍上 おかきの探偵としての勘が告げていた。


『Mace氏や社長さんの間で共通する隠し事、か……気になるけどおいらたちが目下解決しないといけないのは爆破予告の方だからね』


『阻止自体は俺に任せろ。 相手が爆弾転送してくるってなら座標特定しちまえばどうにでもなる』


「でもボス、あなたの能力で間に合う?」


『あぁ゛ん? 余裕で間に合わせてやっから覚悟しとけよ!』


「何の覚悟やねん」


「……むっ。 すみません、ちょっとお手洗いに行ってきます」


「おかき、一人で大丈夫?」


「探偵さん、私も一緒についていくわ!」


「一人で大丈夫ですよ! 甘音さん、アクタを見張っててください!」


 姉の無事を確認し緊張がゆるんだせいか、少々催したおかきは休憩室を抜けて化粧室WCを目指す。

 この数カ月でカフカの身体に慣れたおかきは知っている、我慢は禁物だと。 

 駆け足で頭の中のマッピングを頼りに廊下を突きあたって右に進めば、芸術性を優先した男女マークで区切られたトイレが待っていた。


「えーと男子……じゃない、女子トイレはこっち! ああもうわかりにく……ん?」


 そのまま焦りに任せてトイレに飛び入ろうとするおかきの足が止まる。

 女子トイレの前、前衛的な絵画が並んだ廊下には小さな少女が立っていた。

 フリルを拵えたドレスの色に融けてしまいそうな白い肌と髪。 日本人離れした色合いに気を取られていると、顔に掛かるほど長い髪の下から深紅の瞳がおかきを見つめ返す。

 

「…………」


 少女はおかきを見つめ返したまま何もしゃべらない。

 まるで西洋人形のように整った無表情な顔立ちは、言葉を失うほど幻想名的な美しさを醸し出している――――が、おかきが目を引かれたのは少女の容姿などではない。


「……えっと、君? それは、?」


「…………」


 なぜなら何も語らない白皮症アルビノの少女の手には、まったくもって似つかわしくない

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