謝万 善自炫曜
あるとき『
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八賢論の趣旨と言えば「立身出世から距離を置いたもの」が優れており、「立身の途において終わりを全うしなかったもの」が劣っている、としたものである。この論を
やがて謝万は朝廷より北伐の任を受けた。そうした役割を得た謝万はみごとに驕り高ぶっており、俺はすごい、俺はすごいとばかり歌い、まるで配下を慰撫しなかった。しかし敵軍の勢いは盛ん。その勢いに負け撤退を図れば、たちまち軍が崩壊し、謝万は単身で逃げなければならなくなった。ほうほうの体で帰還した謝万は惨敗の責を問われ庶人に落とされた。後に散騎常侍に復帰するべく諮られたが、この頃に死亡。42 歳だった。このため諮られた官位はそのまま追贈となった。
子は
謝韶の最終官位は
萬字萬石,才器雋秀,雖器量不及安,而善自炫曜,故早有時譽。工言論,善屬文,敘漁父、屈原、季主、賈誼、楚老、龔勝、孫登、嵇康四隱四顯為『八賢論』,其旨以處者為優,出者為劣,以示孫綽。綽與往反,以體公識遠者則出處同歸。萬既受任北征,矜豪傲物,嘗以嘯詠自高,未嘗撫眾。萬以為賊盛致退,便引軍還,眾遂潰散,狼狽單歸,廢為庶人。後復以為散騎常侍,會卒,時年四十二,因以為贈。
子韶,字穆度,少有名。時謝氏憂彥秀者,稱封、胡、羯、末。封謂韶,胡謂主朗,羯謂玄,末謂川,皆其小字也。韶、朗、川並早卒,惟玄以功名終,韶至車騎司馬。韶子恩,字景伯,宏達有遠略,韶為黃門郎、武昌太守。恩三子、曜、弘微,皆曆顯位。
(晋書79-20)
やだ……謝万さんのこれ思わず控えるしかないじゃないですか! 八賢伝がまじで面白い。「そのあとに高位にのぼって驕り高ぶって大ゴケして失意の元に死んだ」ことまでセットで。この伝の流れからすれば「いや謝万お前自分で挙げた屈原・賈誼・龔勝・嵇康の側じゃん」となるやつですね。いや彼らを引き合いにするのも……まあいいや。
そして「恩三子曜弘微」の六文字には晋書記述者の混乱が見て取れます。オメーちゃんと
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