桓修2  敗亡

桓修かんしゅうが出発するよりも前に、桓玄かんげんらは尋陽じんようにて同盟を組み、劉牢之りゅうろうしを誅殺すべく求めた。司馬尚之しばしょうしらは殷仲堪いんちゅうかんの無罪を訴え、降格処分のみで済んだ。間もなくして詔が下り殷仲堪は荊州刺史けいしゅうししに復帰させられた。


御史中丞ぎょしちゅうじょう江績こうせきは桓修が楊佺期ようせんきからのそそのかしを受けて命令伝達を滞らせ、朝廷側の計略を狂わせ、身を全うしようと目論んだ、とし、廷尉ていいに送り処罰すべきである、と奏上。桓修については別箇で詔勅が下され、免官とされた。ただし間もなくして王凝之おうぎょうしの代わりに中護軍ちゅうごぐんとされた。


一方で桓玄は殷仲堪や楊佺期を滅ぼし、詔勅にて桓修を征虜將軍せいりょしょうぐん江州刺史こうしゅうししに任じるも、間もなくして中護軍に復帰させた。


桓玄が司馬元顕らを滅ぼし朝廷の実権を握ると、桓修を都督ととく六州ろくしゅう右將軍うしょうぐん徐兗二州刺史じょえんにしゅうしし假節かせつとし、更に撫軍將軍ぶぐんしょうぐんにしょうかく、散騎常侍さんきじょうじを加えられた。


桓玄か簒奪をなすと撫軍大將軍ぶぐんだいしょうぐん安成王あんせいおうとなった。劉裕りゅうゆうが決起すると、斬られた。




修未及發,而玄等盟于尋陽,求誅牢之。尚之並訴仲堪無罪,獨被降黜。於是詔復仲堪荊州。御史中丞江績奏修承受楊佺期之言,交通信命,宣傳不盡,以為身計,疑誤朝算,請收付廷尉。特詔免官。尋代王凝之為中護軍。頃之,玄破仲堪、佺期,詔以修為征虜將軍、江州刺史。尋復為中護軍。玄執政,以修都督六州、右將軍、徐兗二州刺史、假節。尋進撫軍將軍,加散騎常侍。玄篡,以為撫軍大將軍,封安成王。劉裕義旗起,斬之。


(晋書74-12)




太平寰宇記たいへいこううき一〇九には「晉の元興げんこう年間、桓玄が簒奪すると、弟の桓修を安城郡王あんじょうぐんおうとした。桓玄が敗れると、桓修もまた安城郡で死んだ。その墓は安福縣あんふくけんの南五十里の場所にある。しかし出典元がここで安城郡で死亡したと書くのは、桓修伝と食い違っている。おそらくは勘違いをしたのだろう」

と語られています。


桓修がいとこじゃなくて弟だし安成郡が汝南郡じょなんぐん安城県になってるしでもう大変。ちなみに安成は江州こうしゅう汝陽じょよう武昌ぶしょう安成あんせいの三郡で構成されており、宋書で桓修が京口けいこうにて劉裕に斬られた、と書かれているのと引き合わせれば、建康けんこうを挟んで真逆です。


この誤記、および勇み足は晋書しんしょのみを見て書いた、ってことなんでしょうね。こうした誤記の出来しゅったいは、他山の石として気にかけたいところです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る