桓振2 敗亡
迫り来るクーデター軍を迎え撃つため、
桓振は温楷の敗北を聞くと、江津の守りは
桓振は追撃を掛け、やがて単身逃げようとする魯宗之に出くわす。しかし桓振は魯宗之の人となりを知らなかったため、よりによって魯宗之自身に「魯宗之はどこだ?」と聞いてしまう。
これ幸いと、魯宗之は言う。
「既に向こうに逃げ去りました!」
そうして桓振軍が去ったあと、魯宗之は退却をすることができた。
さらに、江津では馮該が劉毅に敗北。そのままの勢いで江陵まで平定されてしまう。桓振のもとに馮該の敗報が届くと、桓振軍の士気は壊滅的となり、多くの者が逃げ出した。とは言え桓振も諦めない。
しかしまもなくクーデター軍の将である
振營於江津。南陽太守魯宗之自襄陽破振將溫楷於柞溪,進屯紀南。振聞楷敗,留其將馮該守營,自率眾與宗之大戰。振勇冠三軍,眾莫能禦,宗之敗績。振追奔,遇宗之單騎於道,弗之識也,乃問宗之所在。紿曰:「已前走矣。」宗之於是自後而退。尋而劉毅等破馮該,平江陵。振聞該敗,眾潰而走。後與該子宏出自溳城,復襲江陵。荊州刺史司馬休之奔襄陽,振自號荊州刺史。建威將軍劉懷肅率甯遠將軍索邈,與振戰于沙橋。振兵雖少,左右皆力戰,每一合,振輒瞋目奮擊,眾莫敢當。振時醉,且中流矢,廣武將軍唐興臨陣斬之。
(晋書74-6)
後與該子宏出自溳城、
『勞格校勘記』には桓玄伝や安帝紀、劉毅伝、劉懐粛伝、いずれでも苻宏って書かれてますよ、なんでここでいきなり馮宏なんて名前にすんねんって書かれていたそうです。これはあれなのかな、原史料を何人かで手分けしてみてて、ここ各担当の人だけうっかり思い込んじゃったってことなのかしら。いきなり「宏」って出られて混乱しちゃったんでしょうね。
自分の誤訳でもそうですが、誤訳って基本的に自分の思い込みとか雑な予断から生まれるんですよね。つまり誤ること、その要因ってのは深く自分自身に根ざすわけです。誤訳を残しておくのは、そういった「自分」の内側に潜り込める行動でもある、と思っています。とは言えなかなかその内側とやらを簡単に拾い上げられるもんでもないですけどね。
ともあれ、これにて桓振伝は終了。ちょっと尻すぼみ気味なのは、附伝の附伝だし仕方がないんでしょう。
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