桓振2  敗亡

迫り来るクーデター軍を迎え撃つため、桓振かんしん江津こうしんに陣を張る。そこに襲いかかるのが南陽なんよう、すなわち襄陽じょうようから洛陽らくよう方面に出る途中にある町を守っていた魯宗之ろそうしである。魯宗之は襄陽に進軍すると一派の将軍であった溫楷おんかい柞溪さくけいにて撃破、さらに進軍し、紀南きなんに駐屯した。


桓振は温楷の敗北を聞くと、江津の守りは馮該ふうがいに任せ、自身で出陣、魯宗之と戦った。桓振の勇武はずば抜けており、魯宗之軍で桓振を防げるものはおらず、快勝を遂げた。


桓振は追撃を掛け、やがて単身逃げようとする魯宗之に出くわす。しかし桓振は魯宗之の人となりを知らなかったため、よりによって魯宗之自身に「魯宗之はどこだ?」と聞いてしまう。


これ幸いと、魯宗之は言う。

「既に向こうに逃げ去りました!」

そうして桓振軍が去ったあと、魯宗之は退却をすることができた。


さらに、江津では馮該が劉毅に敗北。そのままの勢いで江陵まで平定されてしまう。桓振のもとに馮該の敗報が届くと、桓振軍の士気は壊滅的となり、多くの者が逃げ出した。とは言え桓振も諦めない。苻宏ふこうと共に溳城いんじょうより出撃、再び江陵を襲撃した。この襲撃によって荊州刺史けいしゅうししたるべく派遣されていた司馬休之しばきゅうしを襄陽に追いやることが叶い、桓振は荊州刺史を自称した。


しかしまもなくクーデター軍の将である劉懷肅りゅうかいしゅく索邈さくぼうを率い攻めてくる。桓振は沙橋さきょうにて迎撃に出た。その兵力こそ乏しかったものの、桓振も、その側にいる者たちも力戦し、敵軍と激突するたびに目をいからせ、刃を振るう。劉懷肅軍の兵士たちでまともに立ち向かえるものもいなかった。しかしこのとき桓振は酒に浮かれた状態であった。しかもそこに飛んできた矢が刺さる。桓振が揺らいだところを唐興とうこうが駆け寄り、斬り捨てるのだった。




振營於江津。南陽太守魯宗之自襄陽破振將溫楷於柞溪,進屯紀南。振聞楷敗,留其將馮該守營,自率眾與宗之大戰。振勇冠三軍,眾莫能禦,宗之敗績。振追奔,遇宗之單騎於道,弗之識也,乃問宗之所在。紿曰:「已前走矣。」宗之於是自後而退。尋而劉毅等破馮該,平江陵。振聞該敗,眾潰而走。後與該子宏出自溳城,復襲江陵。荊州刺史司馬休之奔襄陽,振自號荊州刺史。建威將軍劉懷肅率甯遠將軍索邈,與振戰于沙橋。振兵雖少,左右皆力戰,每一合,振輒瞋目奮擊,眾莫敢當。振時醉,且中流矢,廣武將軍唐興臨陣斬之。


(晋書74-6)




後與該子宏出自溳城、

『勞格校勘記』には桓玄伝や安帝紀、劉毅伝、劉懐粛伝、いずれでも苻宏って書かれてますよ、なんでここでいきなり馮宏なんて名前にすんねんって書かれていたそうです。これはあれなのかな、原史料を何人かで手分けしてみてて、ここ各担当の人だけうっかり思い込んじゃったってことなのかしら。いきなり「宏」って出られて混乱しちゃったんでしょうね。


自分の誤訳でもそうですが、誤訳って基本的に自分の思い込みとか雑な予断から生まれるんですよね。つまり誤ること、その要因ってのは深く自分自身に根ざすわけです。誤訳を残しておくのは、そういった「自分」の内側に潜り込める行動でもある、と思っています。とは言えなかなかその内側とやらを簡単に拾い上げられるもんでもないですけどね。


ともあれ、これにて桓振伝は終了。ちょっと尻すぼみ気味なのは、附伝の附伝だし仕方がないんでしょう。

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