桓石民2 淝水後の動勢
この頃苻堅の子である
胡族勢力の襲撃は留まるところを知らない。今度は
さらに
これらの功績から
尋而苻堅敗於淮肥,石民遣南陽太守高茂衞山陵。時堅雖破敗,而慕容垂等復盛。石民遣將軍晏謙伐弘農,賊東中郎將慕容夔降之。始置湖陝二戍。獲關中擔幢伎,以充太樂。時苻堅子丕僭號於河北,謀襲洛陽。石民遣將軍馮該討之,臨陣斬丕,及其左僕射王孚、吏部尚書苟操等,傳首京都。而丁零翟遼復侵逼山陵,石民使河南太守馮遵討之。時乞活黃淮自稱并州刺史,與遼共攻長社,眾數千人。石民復遣南平太守郭銓、松滋太守王遐之擊淮,斬之,遼走河北。以前後功,進左將軍。卒,無子。
(晋書74-3)
■斠注
世説新語の忿狷7
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054888642544
に出演する王忱に絡むエピソードとして、劉注が『靈鬼志』謠徵から引用しています。
桓石民が
黃曇が揚州にてきらめけば、大佛が上明にやってくる、と言う歌。それから間もなくして桓石民が死に、
うん、で黃曇ってなに?
にしても、この頃の洛陽ってどんな感じだったんでしょうねえ。保有国が
二月辛巳,使持節、都督荊江梁寧益交廣七州諸軍事、車騎將軍、荊州刺史桓沖卒。慕容垂自洛陽 與翟遼攻苻堅子丕於鄴。
三月,以衞將軍謝安為太保。苻堅北地長史慕容泓、平陽太守慕容沖並起兵背堅。
夏四月己卯,增置太學生百人。封張天錫為西平公。使竟陵太守趙統伐襄陽,克之。苻堅將姚萇背堅,起兵於北地,自立為王,國號秦。
六月癸丑朔,崇德皇太后褚氏崩。慕容泓為其叔父沖所殺,沖自稱皇太弟。
秋七月戊戌,遣兼司空、高密王純之修謁 洛陽五陵。
四月に襄陽落とした余勢を駆って洛陽まで行けてるってことですかね? いや違うのか。
あ、
うーん、これは元々洛陽を守っていた前秦将の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます