第2話

 このあとも一日中グチグチ怒られ続けた。そして就寝前、話を聞いてなかったことを認めざるを得ないと思い、謝罪した。罰として、年内に東京旅行と、その際にさっき言ってたカグラなんとかの服を買わされることになった。ちくしょう。

「仁志さんさぁ、私の頃もそうだったけど、生徒から『またかつら先生話聞いてなかったね』って笑われてないか心配だよ……」

 元教え子であり、十歳も年下の紗子はトドメの一言をかけたあと、何事もなかったかのように隣の布団で爆睡している。口をだらしなく開け、頬を緩めて、どこか幸せそうな寝顔だ。

 オレは心落ち着かないまま眠りに就く。すると夢を見た。

まだ五歳くらいの咲の手を握り、自宅近くの公園にいる。公園には咲と同い年くらいの子どもたちが遊具で遊んだり、砂場で山を作っていたり、追いかけっこしたりと賑やかだ。

「ほら、咲。オマエも遊んで来い」

 そう言って咲の背中を軽く叩く。すると、首を横に強く振り、オレの足にしがみついた。紗子が長いスカートの裾を織り込みながらしゃがみ、咲の顔を覗きこむ。

「みんな、咲ちゃんと遊びたいって言ってるよ」

「……そんなの言ってないもん」

 小さく呟く。声は小さくても、抵抗の意志は強く伝わる。

「ワタシはいい……。帰りたい」

 目を潤ませ、鼻の頭と頬を真っ赤に染め、声も詰まっていく。オレは中腰になって、咲の涙を拭いてやりながら、

「じゃあ、図書館行って、本借りて、家で読むか?」

 そう提案すると、ガバっと勢いよく顔を上げ、大きく頷く。

 図書館で借りれるだけ本を借りた咲は、胡坐をかいたオレの膝の上に乗って嬉しそうに読書をする。もう遠く色褪せ始めた楽しかった思い出。

 それから咲は引っ込み思案な面を持ったまま成長していった。学校内で話せる友達は出来たようだが、それ以上の深い付き合いはあまり好まないようだった。少し心配だったが、アイツが苦手なら無理に強いることはせず、夫婦で見守った。

 そんな咲が急に遊びに出かけたり、ましてや彼氏だと……? 大学にはサークルに擬態した、裏で悪事を働く団体があったりすると聞くからな……。いや、咲はサークルには入ってなかったか。だが、口が達者な悪い男なぞ、この世には山ほどいる。うまいこと言いくるめられ、金をむしり取られ、誰にも相談できずに、身も心もボロボロになってやしないだろうか?


 ハッと目覚めて、スマホを見る。一月四日の朝六時。今日はまだ休みだ。出かける予定もない。寝息を立てている紗子を起こさないよう、目についた服を適当に着る。赤色のラガーシャツに黒のジャージを羽織り、ベージュのチノパンを履く。これでいいのだろうか。いつもなら紗子に服を選んでもらっているからな……。ま、どうせスタジャン着るし……これで……いいか。おっさんの服など誰も見てねぇよ。

 すり足で家を出発し、電車に乗りこむ。そして、新年とはいえ、大きな荷物を持った人々で、ごった返す新大阪駅へ降り立った。

「確かここから天王寺とかいうところまで行って、さらに乗り換えるんだったな」

 咲の大学合格通知が届いてすぐに、一度だけ家族三人揃って物件探しで来たことがある。オレが連休を取れなかったせいで、日帰りの物件探しとなり、限られた時間で何十軒と物件を巡った。観光もできず、最後の方は家族誰一人喋ることなく、疲れ切って家に帰った。それももう一年前になるのか。

 思い返しているうちに咲の住む町の最寄り駅である古市駅に到着した。この辺りもそれなりに田舎に感じるが、オレの住む場所とは違い、急行は停まるし、駅前も商店が多く、賑わってて羨ましさがある。

「さて……」

 行きかう人や車を眺めながら思う。

「咲の家、どこだ?」

 何も考えずに来たせいで、咲の家の住所をメモしてくるの忘れていた。

 土地勘がねぇ上に、不動産屋が運転する車で移動しながら案内されたから全然わからん。不動産屋はどこだったっけな。紗子がネットで見つけたところで、駅から少し離れていたことは覚えているが……それもわからん。ここまで来て引き返すわけにもいかないしな。少し周辺を歩いてみることにしよう。歩いたら思い出すこともあるかもしれない。

 一時間後。

 オレは最初の場所、つまり古市駅の前に戻ってきていた。結果から言えば、何も思い出せんかった。ただただ寒い中、知らない街を散歩しただけに終わった。

ここからどうすると自分に問いかける。咲に訊くのが一番手っ取り早い方法ではある。「嫌だ」とか「なんでいきなり来た」とかめちゃくちゃに怒られるだろう。紗子に聞く方がいいか……。だが、今スマホを確認するのが怖い。テーブルに「少し出かけてくる」とだけ書き残してきたが、勘のいい紗子のことだ。すでにお怒りのご連絡は来てる可能性が高い。

 またとぼとぼと足を進める。この状況を打破するためには自分で思い出すしかない。思い出せと何度も念じるが、そんなにうまいこといくはずもなく。絶望したオレの視界にある二文字が目に入った。

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