第一章1 ルミナス
朝一番、綺麗な黒髪を手櫛で軽く梳かしながらリビングに降りてきた、育ちのよさそうな15歳の少女。名前はルナ・ガーデン。
そんな彼女を出迎えたのは、あまり嬉しくない低い声だった。
「おはよう」
天然パーマでぼさついた黒髪、その下には無愛想な表情。
ワイシャツにスラックスにベスト――いずれも仕立てのいい上質なもの――を身に着けて、ダイニングチェアに腰掛けている男。
フィーバス・ガーデン――まぁ、ルナの父親なのだが。
「……おはよう」
一応あいさつを返し、ルナは彼の斜め前の席に着く。
が、入れ替わりにフィーバスは立ち上がった。
「あれ、もう行くの? コーヒー、おかわりあるけど」
呼び止めたのはエプロン姿の母・ステラ。
フィーバスは少し迷う素振りを見せたものの、首を横に振った。
「いや、今日は報告会があってな。その前に資料を整理しておきたい」
「そっか。次の帰りは?」
「また来月だな。しばらくは忙しい」
「はいはい、わかりましたよ」
少し拗ねてみせるステラに対して、フィーバスは「悪いな」と眉を寄せる。ほんの少しだけだが。
その僅かな変化で満足したらしく、ステラは長く
「大丈夫、ちゃんとわかってるから。気をつけてね」
「……ああ。行ってくる」
愛情のこもった「行ってらっしゃい」を背に受けて、フィーバスは家を出ていった。
そこでステラは振り返り、ルナに向かってその高い鼻を軽く鳴らす。
「行ってらっしゃい、くらい言ってあげたら? お父さん泣いちゃうよ?」
「泣かないでしょ、あの人は」
「まぁねぇ……っていうか、あの人ってのもやめなさい」
お父さんでしょ、と額を軽く小突かれる。
いてて、と額をさすりながら口を尖らせるルナ。
「月に一回しか会わない人を父親と思えって言われても……」
「思えっていうか事実なんだけど……まぁ、もうちょっと家にいてほしいってのはそうだねぇ」
ステラのツッコミはさておき、ルナの言うことももっともである。
フィーバスは政府お抱えの研究者で、日夜研究に明け暮れている。
さらに事情はそれだけではない。
「でも、4月にはシェルターに移住でしょ。そしたら毎日……じゃないかもしれないけど、もうちょっと顔は合わせることになるだろうしさ?」
それまでに和解しておくれよー、と泣き真似をするステラ。
そう、それが何よりの問題なのだ。
「だって私、シェルター行きたくないし……」
「そうは言っても、早いか遅いかの違いだよ? あと3年もしたら、全員移住することになるんだから」
母の正論にルナが黙り込むとリビングは静まり、テレビの音がよく聞こえた。
『本日の黄砂は比較的穏やかですが、お昼過ぎには一時視界を遮る強さになるところがあります。お出かけの際は、マスクだけでなくゴーグルもお忘れなく』
西暦2100年を超えた地球は環境破壊が進み、人が住むに堪えない地域もどんどん増えている。
各国で超巨大シェルターの建設が政府主導で進められ、全人類の移住が進行中だ。
今のところ、世界人口の半数が移住を完了している。
政府関係者であるフィーバス、およびその家族であるルナたちは、早々に移住対象者として名前が挙がっていた。
が、ルナは移住を頑なに拒んでいる。
「気持ちはわかるけどね。仲のいい友達と離れ離れになるのは辛いし、10代の3年は大きいよねぇ」
沈んだ娘を取りなすステラ。ルナはその言葉に頷いて甘えた。
「ミーナがいっしょなら、すぐにでも移住していいんだけど」
「こればっかりはねぇ。でもお父さん、中学卒業までは待ってくれたんだから。ミーナちゃんの移住がまだなのは残念だけど、そう遠くないうちにあの子もシェルターに来るよ」
「それはわかってるよ……」
わがままを言っている自覚はある。
それを受け入れてもらっていることも理解している。
「でも、今が一番いいところなんだよ? せっかく勢いに乗ってるのに、ここで活動休止するのは……」
「別に休止する必要はないでしょ? 直接会えなくたってできるんだし」
「わかってないなぁ。いっしょにやるから、いいものになるんだよぅ」
机に突っ伏して駄々をこねると、その頭を優しい手が撫でる。
細くて白くて繊細な指先。でも、手のひらは柔らかく温かい。
「それも少しの辛抱だから。ほら、早く支度しないとミーナちゃん来ちゃうよ?」
「え、今何時!?」
バッと顔を上げると、その場所にステラが朝食を並べていく。
「大丈夫、まだ朝ごはん食べる時間はあるから。ほーら、ルナちゃんの好きなゆで卵ですよー」
「もー、子ども扱いしてー!」
好きな食べ物で機嫌を取られるほど子どもじゃない、とルナは憤慨する。
が、ゆで卵を前に頬は緩んでいた。
好きなものは好きだから仕方がない。
****************
『アダミナ・フローレス様がいらっしゃいました。あと15秒で玄関に到着します』
合成音声がそう知らせたのは、ルナが朝食や身支度を終えたすぐ後だった。
迎えに出たルナが玄関に着くのと同時、扉の向こうでエアカーテンの駆動音が低く唸り、数秒後にドアが自動で開く。
「お邪魔しまーす!」
「いらっしゃい、ミーナ」
野暮ったいゴーグルやマスクを外しながら、元気な挨拶と共にミーナが入ってきた。
背負っていた大きな革製のケースを壁に立てかけると、ミディアムショートのブロンドを手櫛で軽く整える。
「うあー、やっぱりボサボサになっちゃうなー。
「まぁまぁ、後でやったげるから」
「わーい。エアカーテンくん有能!」
「あ、現金な奴めー」
他愛のないやり取りにアハハと笑い合いながら、二人はルナの部屋へと向かう。
「今日はどうしよっか。作ってるやつの続きからやる? それか、この前できたほうの調整を……」
「その前にこっち!」
部屋に入るなり本題の話を始めたルナに対し、ミーナはちょっと膨れながら自分の髪を指差した。
「いつも言ってるけど、どうせ練習でまた乱れるんだから……」
「いつも言ってるけど、練習でもテンション上げたいから必要なことなの!」
少し前にミーナのヘアアレンジをやってあげてから、これが毎回恒例のやり取りになってしまった。
ルナとしても楽しんでやっているし、別にイヤではないから「はぁ、まぁいいけど」と応じる。
ただし、「それが人にものを頼む態度ですかー」と冗談交じりに注意するのは忘れないのがルナである。親しき中にも礼儀あり、だ。
「お願いしますルナさま!」
「もう、調子いいんだから」
「えへへー」
くるくると表情を変える親友を微笑ましく思いながら、ルナはその後ろに回る。
今日のミーナはゆるふわ可愛い系ファッションなので、それに合わせて――と、彼女のフワフワの猫っ毛を手で軽く梳く。
ルナは母親譲りのサラサラヘアーで色は父親譲りの黒、長さはロング。
ミーナとは正反対なので、いろんな髪型を試したくなる。
と、髪をいじられている間の手持ち無沙汰からかミーナが口を開いた。
「あ、さっきの話だけどね。この前のはもうちょいで完成しそうだし、そっちからやっちゃおうよ」
「うん、そうだね。じゃあ……」
そうして、なし崩しに『本題』に入っていく。
一度始まってしまえばミーナも真剣で、そのまま議論は進み。
「じゃあ、一回やってみよっか」
ミーナが持ってきたケースを開いた。
中から出てくるのは、アコースティックギター。
対するルナは電子ピアノだ。
こちらはすでにセッティング済みなので、椅子に座って準備万端。
「1、2、3、4――」
ルナのカウントで演奏が始まる。
これが二人の『活動』――見たまま音楽活動である。
自分たちで曲を作って、動画投稿サービスなどで配信している。
まだ曲数は少ないが、カバーも交えつつの生配信などを精力的に行ってきた結果、最近ではかなりの再生数を稼げるようになってきていた。
「うん、いい感じ!」
「うん。でもラストのサビはもうちょっとアクセントほしいかも」
「あー……じゃあ、ここをこう変えてみるとか?」
「お、いいね」
そうして曲作りは順調に進み、その後は練習を一時間ほど。
お昼時になったら配信をして、終わったら遅めの昼食を取って解散、というのがいつもの流れだ。
「ありがとうございましたー! ルミナスでしたー!」
配信の最後、ミーナが挨拶をするとコメントが返ってくる。何件かは
ちなみに、『ルミナス』は二人の活動名である。
『今日も最高でした!』
『一週間の疲れが消えてなくなった』
『元気が出る歌声、いつもありがとうございます。これからも推します!』
ずっと好きでやってきた音楽を、顔も知らないたくさんの人たちが応援してくれている。
その事実に、ルナはいつも胸が熱くなる。
「キャプテンさん1000ありがとうございます! わ、フラッドさん20000も! いつもありがとうございますー!」
「ミーナ、目の色はちょーっと抑えようかー。あ、キャプテンさんフラッドさん、ありがとうございます」
「いやいや、こういうときはちゃんと喜ばないと!」
「それはそうだけど、もうちょっと可愛く喜べない?」
「む、それは聞き捨てならない! 私かわいいよね!?」
「はーい、じゃあ今日の配信はここまででーす」
「あーちょっと! もー……それじゃあ改めて、ありがとうございましたー!」
ちょっとしたじゃれ合いにコメント欄が賑わうなか、その日の配信は終わりを迎えた。
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