007 すべての始まりの一撃

「呪いを支配……? ハッ、殴られすぎて頭がおかしくなったかぁ!?」


 ベリムはメイスを大きく振りかぶり、ラスタの頭へと叩きつける。だがしかし、メイスはラスタに接触した瞬間、まるで氷細工のように砕け散った。


「なっ……あ、ああっ!? う、腕が……腕がああああああああああああああああッ!?」


 悲鳴を上げながら大きく後ずさるベリム。砕けたのはメイスだけではなかった。それを握っていた彼の両腕の骨も粉々に砕け散っている。


 完全制御された鋼の呪いによる鋼化はこれまでとはレベルが違う。ただ物理的ダメージを無効化するだけでなく、無効化した分のダメージをそのまま相手に与える『反射鋼化』によって、ベリムの腕は物を持てないまでに破壊された。


「クソォ……! こんな……こんな……呪いの力が……! あ……」


 後ずさってラスタから距離を取っていたはずのベリムの眼前に……鋼の拳が迫っていた。


 呪いを克服したラスタは、生まれて初めて余計な重さのない体を味わっていた。それは羽のように軽く、たった一歩の踏み切りでどこまでも飛んでいけそうだった。そして、その軽さは早馬も亀のように感じるスピードを生む。


 まさに一瞬、だれも反応できない速度でベリムとの距離を詰めたラスタは、右手にすべての力を込めて思いっ切り突き出した!


「これがすべての始まりだ!」


 通常の何倍もの重量と硬度を与える『重鋼化』によって破壊力の増した鋼の拳が、ベリムの無防備な腹にぶち込まれる。ミシミシと軋むような音、悲鳴にならない悲鳴、それでもお構いなしにラスタは拳を振り抜いた!


「飛んでけぇーーーーーーっ!」


 中庭から砲弾のように吹っ飛んでいくベリム。ありとあらゆる壁をぶち抜き、ぶち抜き、ぶち抜き、最後には一番外側の城壁もぶち抜いて、城の近くを流れる川に落ちていった。


 入水時の飛沫しぶきの音を聞いた門番たちは、一度だけ川の方を振り返った後、あくびをしながら通常業務に戻った。


「城の方からなんか飛んできたみたいだな」


「みたいだね。でも、僕たちの任務は城の外から中に入ろうとするものをチェックすることだからさ」


「中から外は関係ないってな」


 のんびりした彼らとは違い、中庭は張り詰めた空気の中、時が止まったかのような静寂に包まれていた。


 ラスタ以外は誰も目の前で起こったことの意味を理解していない。審判のカスペンさえも、呪いのアザが新たなものに変わった後からのことは把握できず固まっていた。


 その静寂を破ったのは他でもない……ラスタだった。


「審判、今すぐベリムの救出を。この方向だと川に落ちた可能性が高い。死んではいないけど、このままじゃ溺れてしまう」


「……ハッ! 動ける兵士は救助に向かえ! 私も審判として同行する!」


 兵士たちと共に、壁に開いた穴を抜けてベリムの元に向かうカスペン。審判である彼が戻り、この決闘の勝敗を決定するまでは油断できない。


 ラスタは中庭に立ち尽くし、クロエもまだ声をかけない。人々もそれに従いカスペンの帰還を固唾かたずを呑んで待つ。


 そして、数分後――。カスペンは中庭に戻って来た。


 慌てて戻って来たため息が上がっているが、すぐさま息を整え高らかに宣言した。


「気絶および両腕の複雑骨折により、ベリム・シルバーナを戦闘不能と判断する! よって、シルバーナ侯爵家次期当主およびシルバーナ領次期領主は……ラスタ・シルバーナ!」


 わあっと歓声が……上がることはなかった。人々はまだ困惑していた。


 突然現れた呪いの子が、領主の座を手に入れてしまった……。しかし、あのままベリムが領主になるのも、とてもじゃないが歓迎できなかった……。


 喜べばいいのか、悲しめばいいのか……。受け入れればいいのか、拒絶すればいいのか……。人々は顔を見合わせ、ひそひそと話し始める。


 そんな中、1人だけラスタを讃えるために手を鳴らす者がいた。今起こった戦いのすべては把握できずとも、ラスタの勝利を心から喜べる人……クロエだ。


 笑顔で拍手を続けるクロエに釣られて、何人かが拍手を始める。するとそれは全体に広がり、中庭は拍手の音で満たされていく。


 この音のすべてがラスタと讃えるものではない。流されてみんなの真似をしている者がほとんどだろう。


 しかし、その中にわずかでもラスタのことを受け入れてくれる者がいるなら……すべての始まりの一撃としては十分すぎる成果だ。


「ありがとう、ありがとう……」


 血だらけの顔でラスタは笑う。今までの人生で一番晴れやかな気持ちだった。


 最後の一撃は決闘としては不要だった。両腕を粉々に砕いた時点で十分戦闘不能だったからだ。しかし、ラスタは一撃を入れた。入れずにはいられなかった。


 真剣勝負はやはり綺麗事ばかりではない。あの一撃はラスタ自身の戦いに決着をつけるために必要な一撃だったのだ。


「師範……少しだけ恩返しができました。でも、本当の戦いはこれからです。領主として必ずこの領地を改革し、俺個人としてあなたを死に追いやったものを見つけ出す……!」


 ベリムは首謀者ではない。それは確信に近い予感だった。だが、間違いなく関係者ではある。


「審判……じゃなくてカスペンさん。ベリムは治療をしつつ、どこかに隔離しておいてください。貧民街で起こった強盗殺人事件の重要参考人なんです」


「了解致しましたラスタ様。それと、あなたは侯爵になられるのですから、わたくしごときに敬語を使う必要などありません」


「え、でも、さっきベリムに……」


「名前を正しく呼んでもらいたかっただけなのです。ジジイとか、ハゲとか……そんな心無い言葉でなければ、呼び捨てでも、お爺ちゃんでも、何でもよいのです」


「じゃあ……カスペンと呼ばせてもらうよ。これからよろしく」


「はい、ラスタ様」


 カスペンの温和な態度にラスタは少し驚いた。決闘の前はずいぶんベリムに肩入れしているように見えたからだ。


 しかし、よく考えればそれも当然。彼にとってベリムは幼い頃から成長を見守ってきた孫のようなもので、素行が悪くても見捨てることができない人物だったのだ。


 だが、決闘で勝敗が決した今は次期領主であるラスタに従っている。そこに悪意や敵意は混じっていない。しきたりを重んじ、その結果に従う姿勢……。彼はアイゼンの言っていた正しき者かもしれないとラスタは思った。


「ラスタ様……っ!」


「クロエ! ごめんね、心配かけちゃって」


「いいんです……! ラスタ様が無事ならそれで……!」


 ラスタの胸に顔をうずめて泣くクロエ。もうラスタの体は鋼のように硬くはない。突然重くなって腕の中の彼女を潰してまう心配もない。


 ただただ、優しくクロエを抱きしめることができる。


「ここからもっと大変になると思うけど、一緒に来てくれるかい?」


「もちろんです! どこまでも、どこにでも、お供します……!」


 今日この日、シルバーナ領に新たな領主が生まれた。


 正確には3日後に行われる前領主の葬儀が終わってからだが、それでも侯爵家の歴史にラスタ・シルバーナの名が刻まれるのは確定的となった。


 彼がこれから何と戦い、何をすのか……。

 それが書かれた歴史書は、まだ存在しない。

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