第4話 例えば、体験版をプレイするような。

 選手のみならず、なぎさまでもが同じゲーミングハウス内で生活している──という事実はシオンの心をより一層乱す結果となった。

 選手たちと話したことで、『何とかやっていけるかも……!』という希望の光が見えたのだが、それも今や風前の灯火となってしまっていた。


 さしずめ藁の中に燻る火種だ。

 放置してしまえば、消えてしまうのは間違いない。

 今一度炎を燃え立たせるためには、酸素という名の安心材料を送り込む必要があった。


「これは最低限確認しておきたいんですけど……俺の部屋ってあったりします?」


 人読み──コーチとして重要な能力だ。

 相手の癖を把握して、行動を先読みする力。

 これまでの会話の中でシオンは、なぎさが肝心なことを伝え忘れ、後々爆弾として投下してくる癖──というより悪癖があることを思い知らされていた。

 

 二度あることは三度ある──だからシオンは警戒心を緩めない。

 この後起こり得るかもしれない──女性しかいないのに、個室がなく相部屋──という最悪の可能性を事前に潰す必要があった。


「確かにそこは心配よね。だけど問題ないわ、うちは一人一部屋ちゃんと用意してあるから」

「ですよね……よかったです」


 ホッとした。

 いくらなぎさでも、そんな特大の爆弾を抱えていれば違和感に気づくに違いない。


「それはそうよ。だって、相部屋だと狭いし、寝言とか酷い子がいたら大変だものね」


 そこじゃない。

 シオンは思わずズッコケそうになった。

 狭いとかうるさいとかそういう問題ではない……もっと重要な問題が、倫理的に非常にまずい問題があるだろう。


 恐ろしい……もはや恐怖を覚えるほどだ。


「シオンくんの部屋もちゃんと開けてあるわ。2階と3階、どっちがいいかしら?」

「ちなみに部屋割りってどうなってます?」

「皆のお部屋は2階にあるわ。この後案内するけれど、1階はキッチンとかお風呂とか、共用の空間がメインで、2階が選手たちの生活空間、3階が事務室メインって感じね」

「なるほど、だったら3階で」


 何か突っ込まれても、部屋は別の階にあると言えば、言い逃れできそうだ、とシオンはホッと息を吐きだす。

 別にやましいことはないのだが……。


「それじゃ部屋の内見も兼ねて、探検と行きましょうか」


 なぎさに連れられて、事務室の外へ。

 どうやらこのゲーミングハウスを案内してくれるらしい。


「ここがシオンくんの部屋ね。あまり広くなくて申し訳ないのだけれど……」

「いやいや、充分すぎますって」


 案内されたのは、小ぎれいな個室だった。

 広さはおよそ6畳ほどで、寝泊まりするには全く問題がなさそうだ。


「ただお手洗いとかキッチンみたいな水回りの設備は共用なの。そこは目を瞑ってもらえると嬉しいわ」

「……なるほど」


 アパートの一室を想像していたわけではないが、水回りの設備は共用というのはシオンにとって懸念点だった。

 自らの羞恥心は捨て置いても、他の住人からすればストレスかもしれない。


「そういえば、シオンくんはお酒を飲んだりはする?」

「いや……まだ成人してすぐなので、付き合いで飲むくらいですね。選手は大半が未成年なので、悪い影響与えたらダメですし」

「悪い大人で……ごめんなさい」


 たちまちなぎさの体が小さくなる。

 バツが悪いのか、なぎさの視線はシオンから逸れ、その目を所在なく泳がせた。

──なるほど、なぎささんはどうやらイケる口らしい。


「だけど、どうしてそんなことを?」

「一人で飲むのは寂しいじゃない?」

「確かに……」

「だから付き合ってくれないかな、と思っただけよ。せっかく部屋も隣なんだし」

「そういうことでし──ちょっと待て」


 シオンの口から思わず漏れ出た素のツッコミ。

 どうやら自分は驚くと敬語をどこかに置き忘れる癖があるらしいと、シオンはこの時初めて自覚した。


「隣の部屋って……どういうことです? 3階は事務所メインって聞いてたんですけど?」

「そうよ? 事務所がメインで、お部屋は2つだけ」


 とんだ罠である。

 なぎさという人物は素で叙述トリックを使ってくるらしい。

 恐ろしい相手だ──シオンは寒気すら覚えていた。


「ちなみに2階の空き部屋だと、どんな感じになるんですか?」

「2階のお部屋も一緒よ? でも2階の方がにぎやかで楽しいかもしれないわね」


 つまり最初から詰んでいたらしい。

 2択なのだから、当たりと外れがあるという先入観を持ってしまっていた。

 しかし実際の所用意されていた択は、選んではいけない択と絶対に選んではいけない択だった──というオチだ。


 微かに灯っていた希望の光は今ここで完全に潰えた。

 自信喪失によるTKO負けだ。


「──どうかしたの?」

「あの……色々気を回してくれたのに申し訳ないんですが……正直な所、俺はこの場所でやっていける自信がありません」


 シオンは正直な気持ちを吐露した。

 シオンとて男、間違いが起こらないとも限らない。

 それに選手の皆のことを考えたら、自分はこの場所に相応しくない、いるべきではないと思えてくるのだ。


「……優しいのね」

「この状況に喜んで飛びつくコーチがいるなら、俺は軽蔑しますよ」

「シオンくんの不安は分かるわ。でも選手たちも、もちろん私も──勝つために真剣なの。だから妥協点を模索しましょう」

「妥協点……ですか?」

「契約は1年、そのうち試用期間となる1カ月──その間だけでも、ここで選手の皆と一緒に生活してもらえないかしら? それでも無理なら、この近辺に新しく部屋を借りることにするわ」

「自費で出すので、最初から通いコーチというわけには行きませんか? 正直それでも十分過ぎるほどの報酬を提示されていますから」

「それはダメ。どうしてかはシオンくんの方が分かっているんじゃない?」

「っ──」


 なぎさの言う通りだった。

 ゲーミングハウスに選手だけでなく、コーチも共同生活を送るのにはちゃんとした理由がある。

 プロゲーマーは勝つ事が仕事だ、当然意見がぶつかり合うこともある。

 ぶつかり合った時に当事者同士で解決できるのであれば問題はないが……人間はそうも行かない──若い選手が多いのだから特に、だ。

 当事者同士で解決できず……私生活にも影響が及んで、チームが崩壊するという最悪の事態に繋がることもある。


 そこでコーチの出番だ。

 選手に対して中立の立場を取ることはもちろんだが、その後の選手の様子を観察することもコーチの仕事だ。

 四六時中行動を共にしていれば些細な変化をきっかけに、不安の種を取り除ける。

 だから選手と共にコーチも共同生活を送る必要があるのだ。


「これは経営者としての判断よ。シオンくんが共に暮らすことで発生するリスクより、共同生活することで得られるリターンの方が大きいと考えているわ」


 どこかフワフワとした印象のなぎさだったが、今は瞳に確かな光が宿し、確固たる意志を持ってシオンをまっすぐに見つめている。


「だから1ヶ月皆と一緒に過ごして判断する──無理だと決めつけるのは、それからでも遅くないと思わない?」


 掴めない人だとシオンは思った。

 どこか抜けているように見えて、抜け目ない。


 例えば、体験版をプレイするようなものなのだろう。

 体験版をプレイせずに、PVだけを見て製品版の評価を下すのは間違っている。

 やって初めて分かることだってあるはずだ。


「分かりました……まずは1ヶ月、お世話になります」

「そう──よかった。改めてよろしくね、シオンくん」


 柔らかな笑みを携えて、なぎさが手を差し出してきた。

 シオンは迷いながらも、その手を取ることにしたのだった。

 

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