薬師少女の恋~薬作りに心折れかけたとき、出会ったのは冴えない調香師の男でした~

金石みずき

第1話-1/4

「……もう仕事辞める」

「えええ! フェリシア、突然どうしたの!?」


 ぼそりと零したその言葉に、同僚のライラックが目をみはった。


「毎日毎日、薬草つぶしたり煮詰めたり絞ったり……。こんなくっさいのもうやだよー!!!」


 わああ! と頭を抱えて叫んだ私に、ライラックは「ああ……」と悟ったような視線を向けた。


「フェリシアは鼻が利くからね。でもそれもあって薬師この職を選んだんでしょ? 薬草見つけるのも鑑別するのも超上手いじゃん。天職だよ。ほら、人の役に立つ仕事がしたいってずっと言ってたし」

「そーだけど! そーなんですけど! もう限界! 最近はなんだか肌からも草みたいなにおいがする気がするし! もう染みこんじゃってるよ! ずーーっと草に囲まれてる気分で発狂しそう! 私は森かーっ!!!」

「だけどさあ、仕方ないじゃん。中には例外もあるとはいえ、効果の高い薬は『くさい』。フェリシアならよく知ってるでしょ?」

「ええ、はい。わかってますよ、そんなことは。でもそんな仕事ばかり回してこなくてもいいじゃん……」

「いやぁ、まあそこはほら、フェリシアは数少ない上級薬師だし。変わってあげたい気持ちもあるけど、私はまだ中級だからなあ。ごめんね?」


 わかってる。わかってるのだ、そんなことは。

 効果の高い薬は臭いことも。

 上級薬師には上級薬師にしか出来ない仕事が回ってくることも。

 だから私がわがままを言ったところで思ったように辞めることなどできないことも。


 勉強は好きだ。

 研究だってもちろん好き。

 新薬を開発できたときに飛び跳ねて喜んだことだって、一度や二度じゃない。


 でももう無理なのだ。

 知らなかったもん。

 上級薬がこんなにくさいだなんて。

 学校では初級薬しか扱わなかったから。

 教科書に書いてある文字を読んだって、先生に何を言われたって、実際に体験してみないとわかりっこない。


 何か対策をとろうにも、武器嗅覚を封じたら今の質の仕事は出来ない。

 経験の足りない私が上級薬師としてやっていくには、みんなより鋭敏な嗅覚に頼るしかないのだから。


「ううう……。ちょっと外の空気吸ってくるね……」

「そうしなよ。ていうか、今日はもう休んだら? 今作ってるポーションの納品日、まだ余裕あるんでしょ? 一回切り替えたほうがいいよ」

「そうだね……。そうしようかな……。それじゃあ、お先に」

「おっつー。また明日ー」


 ⚘⚘⚘⚘⚘⚘


「はぁ……。これからやっていけるのかなぁ」


 ため息をつきながら歩く。

 歩調は鈍い。

 憧れて就いた職だったのに、こんな落とし穴があるなんて思ってもみなかった。


 それにそれに、こんなに臭いんじゃ、男の人だって寄ってこない。

 私がモテないのはきっとそのせいだ。

 ライラックは私の性格が残念だからだなんて言うけれど、そんなはずはない。

 こんなに素敵で聡明な淑女レディーなのに!

 まあライラックは相手に事欠いてないみたいだけど、きっとそれは中級薬しかつくってないからだ。――そうだよね?


「――っといけない、いけない。切り替えなくっちゃ! 今日はそのためにお休みもらったんだし」


 顔をパンッと叩いて前を向く。

 背筋を伸ばして、思いっきり息を吸い込み、吐き出す。

 そうすることで、少し気分が晴れた気がした。


 それにしても、こうして街を歩いてみると、世界はいろいろなにおいであふれていることを、今さらながらに意識させられる。


 焼けたパンのにおい。

 露店で売っているお肉のにおい。

 時々通る馬車からただよう馬のにおい。

 街を横断する川の水のにおい。

 花壇に植えられた花のにおい。


 もちろん良いにおいもあれば、あまり気分のよくないにおいだってある。

 だけど、自然や人の営みを感じさせられるそれらのにおいが、私は好きだった。


「よし、頑張ろうっ! 薬師はみんなの生活を支えてる大事な仕事なんだ。私がくじけてちゃ……いけないよね」


 薬師の仕事は幅広い。

 人間や動物に限らず、植物や水質なんかだって、何かあれば相談が回ってくることは少なくない。

 だけど……。


「みんなも……平気なわけ……ないよね」


 作り手もそうだけど、使い手だってそうだ。

 。だから

 そんなのは常識だけれど、どうせなら臭くない方がいいに決まってる。


「だけどどうやったら――ん?」


 ぶつぶつ言いながら歩いていると、嗅ぎなれないにおいが鼻に飛び込んできた。

 複雑なにおいだ。

 だけどちっとも嫌じゃない――ううん、むしろ好きで、どこか癒される。


「ここ……かな?」


 においの元をたどっていくと、大通りから一本入ったところにあるお店に辿り着いた。

 お店の窓からは、雑多にいろいろなものが売っているのが見える。


「雑貨屋さん?」


 見回してみたけれど、看板は見当たらなかった。

 首を傾げつつ、まあ入ってみればいいや、と軽く考え、ドアを開く。

 ドアベルの涼やかな音とともに、先ほどまでとは比べ物にならないほどのにおいが、私を満たした。


「わぁ……っ!」


 思わず声が出てしまった。


 甘味のように甘くて芳醇な匂い。

 ハーブのようにすっと鼻に通る爽やかな匂い。

 花のようにどこか心が穏やかになる匂い。

 香辛料のように少しピリッとくる匂い。


 いろんな種類の匂いがあるけれど、どれもちっとも不快じゃなくって。

 心に燻っていた澱が流されていくような気がした。


香り袋ポプリ? こっちは紅茶? それに香水に洗剤まで。こっちのは……なんだろう?」


 多種多様な商品を手に首を傾げていると、誰かが近づいて来る気配がした。

 そちらに目を向けると、店の奥からひょっこりと冴えない風貌の男が顔を覗かせた。


「なんだ客か。いらっしゃい。何を買いに来たんだ?」

「えっと……」


 失礼ではないだろうか。

 と思いつつ――


 でも、訊かないとわからないよね。


「すみません、店員さん。ここ、何屋さんなんですか?」

「ああ? 知らずに来たのか。ここはそうだな……あえて言えば『芳香ほうこう品屋』だ」

「『芳香品屋』?」

「ええと、なんつーか。においに関連するもの全般を取り扱ってる店だな」

「へえ……! すごい! そんなお店があったんですね!」


 全然知らなかった。 


「まあ、俺もここ以外に同じような店があるかは知らねえからな」


 そう面倒臭そうに頭を掻く男に、私は言う。


「あの……! いろいろ見ていいですか!?」

「……好きにしろ。暇だからな」


 許可を得た私は遠慮なく店内を物色する。


 楽しい……!


 何で出来てるんだろう?

 見たところ、植物原料の物が多い気がするんだけど、においを嗅いでも全然わからない。

 これでも結構詳しいつもりだったんけどなあ……。


 き、気になる……!


「ええと……これらの商品ってここで作ってるんですか?」

「そうだな。俺が作ってる」

「え? あなたが?」

「そうだが、意外か?」


 私は男のぼさぼさ頭を眺めてから、素直に言った。


「まあ……そうですね」

「おい、正直すぎるだろ! いや、まあいいんだが……俺は調香師だからな。においに関する専門家だが、逆に言えばそれしかやれねえ。だがその分野なら、結構いろんなものを作れるぞ」


 調香師。


 においに関する専門家。


 と、いうことはもしかしたら……。


 もしかしたら……!


「あの!」

「な、なんだ?」


 突然大きな声をあげた私に、男がたじろいだ。

 しかしそんなことは構わず、私は先を言う。


「私と一緒にポーション作ってくれない!?」

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