鈍感特権

「バカなのかいっ!? そんな所まで行ったら怪我するに決まってるじゃないか! あーもうっ! 良いから足を出すっ!」


「へ、へへっ。すまねぇなぁミコトちゃん」


「反省の色がないっ! はい次っ!」


 神様改めミコトが治癒魔法を使えると言う話は本人とリューヤを無関係に広まった。

 盛大に自爆したと言うのにも関わらず、未だに仕方ない、ボクのせいじゃないと主張するのはミコト。


 あの日衣類をボロボロにして帰ってきたリューヤはもちろん心配された。

 それなり以上に村の人間から好かれているリューヤだから、もしも傷だらけのまま帰ってきていたら一大事では済まなかっただろう。

 だが、服はボロボロだったものの、身体には傷一つない状態だったために言われたのだ。


 ――なんだぁ? 随分とやんちゃにサカって来たんだな。


 なんて。


 慌ててよくも少しも考えずに顔を赤らめてミコトは言った。


 ――ばばっ!? バカなこと言わないで、こ、これはボクが治したんだよ! だだだだ、誰がこいつなんかと!


 以来怪我人が出れば存分に頼られる始末。

 どうしてこうなったとミコトは頭を抱えたが、リューヤは自業自得だと心の中で呟きながら慰めた。

 先程の様に、文句を垂れながらも律儀に要求へ応える姿は神様の本懐というか、サガみたいなものだろうか。

 再会してからそれなりの時間は経ったが、気まぐれと言うには毎回だったし、リューヤの目にはどことなく楽しげにミコトの姿が映っている。


 開拓はやはり危険を伴う。

 遭遇した魔獣。モンスターと遭遇する危険はもちろん。未踏の地だけあって、自然災害に近い危険だって常に隣り合わせで存在している。

 死と隣り合わせと言えばこの村にいる熟練の開拓者達に失礼かもしれないが、大なり小なりの怪我は簡単に拵えてしまうのだ。


 そこへ回復魔法を使える存在が現れたとなればアテにされるのは、ミコトが言うように仕方ない。

 そもそも回復だけに限らず魔法使いなんて存在は稀少なのだ。

 稀少な存在だから、基本的には冒険者として活動しているか王都や規模の大きな街で魔導研究者として引きこもっているのが大半。

 開拓なんて身に合わない仕事へ従事する魔法使いはいない。


「なーリューヤ。結婚式はいつにするんだ?」


「んなっ!?」


「いやぁ、なかなか頷いてくれなくて。おやっさんからもさっさと腹くくれって言ってもらえませんか?」


「えうっ!?」


 妙な奇声はまるっと無視して、ガタイの良い中年とリューヤは話す。

 そう、村人としてはここでリューヤの嫁候補を逃してなるものかと言った気概である。

 純粋に二人を祝福したいという温かな気持ちはもちろんあるが、村にとっても貴重な回復魔法を使える存在を逃したくない。

 つまるところ一粒で二度美味しい状況を早く収めたいのだ。


 村の女性達にしてもそうだ。

 リューヤと結ばれたいと思った人間も居たが、その誰もが幸せになれても幸せには出来ないと確信していた。

 他者への奉仕精神に溢れているという訳ではなく。単純に、自分の欲は満たされるだろうがリューヤの欲を満たす方法がわからない、そもそも欲が何なのかわからなかった。

 少し寂しいとか、嫉妬すると思いはすれど、初めてリューヤが望んだ人なのだからと応援するスタンスで纏まっている。


 つまり。


「なぁにだったら簡単だ。さっさとやることやっちまってよ、ガキでも拵えちまえ!」


「ほう! なるほど!」


「なるほどじゃないよっ! なぁに本人無視して話しているんだい!?」


 怪我人の手当が終わったのか肩を怒らせてずんずんと歩いてくるミコト。

 聞こえてたかと呟くリューヤではあるが、聞かせたくないと思っていたわけでもない。


「おっと、カカア天下が目に浮かぶなリューヤ? それじゃあな!」


「はい。また明日」


「また明日。じゃないっ! 揃いも揃ってバカばっかりじゃないか! 何だよカカア天下って!」


 それも悪くないですと答えてしまいたい気持ちを置いておいて。

 リューヤは苦笑いを浮かべ帰りましょうとミコトの手を引く。


「あ、また! もうっ! ボクはまだ認めたわけじゃないんだからねっ! ちょっと! 聞いてるのかい!?」


「聞いていますよちゃんと。ほら、今日はミコトのおかげで新鮮な肉が獲れましたから」


「むっ! それは本当かい!? いいねっ! しっかり焼いて――じゃなくて!?」


「分かりました。それなら今日は野菜たっぷりシチューも付けましょう」


「わぁい! リューヤの作るシチューは絶品だからね! 早く帰ろうじゃないか!」


 泣いた赤子ではないと重々承知しているものの。ミコトには笑顔がよく似合うとリューヤは釣られて笑顔を浮かべる。


 嫁になってくれ。

 最近はそう言わなくなったリューヤ。

 その理由はここにある。


 ただミコトが側にいて笑顔を浮かべてくれるだけで十分に満たされてしまった。

 一人の生活から二人になって、周りの人たちに誂われたり応援されたり。


 ミコトと出会いかつての自分を思い出してしまったが故に、なお思う。

 このままでも幸せで満たされていると。嫁にせずとも、今のままで。


 このまま特典を望まずミコトを縛ってさえいれば。

 この生活はずっと続いていくのではないかと思ってしまうほど。




「いい加減、特典を決めてもらおうじゃないか」


「はい?」


 予兆もきっかけもなく。

 ミコトはかつての雰囲気を纏いリューヤへと口を開いた。


「確かに悪くない。そうボクは思っているよこの生活を。だけどボクは神だ。このまま怠惰に過ごしてはいられない」


「――」


 目の前が少し暗くなったことを自覚するリューヤ。

 そんな闇を貫き通るミコトの視線は鋭い。


 先程まで見ていたちょろ可愛いミコトの姿は何処にもなく、思わず転生前に出会った神の姿を幻視してしまう。


「キミが怠惰を望むのならばそれもいいだろう、ボクを魅了する魔眼を得るというのでもいい。だが、望みを口にするんだ。ボクはそれを叶えよう」


 もしもこの時リューヤが真にいつもどおりだったのなら。

 正座した膝の上で結ばれた手が震えていることに気づいていただろう。

 そしてミコトの真意にも気づいたかも知れない。


 しかし、あまりにも唐突過ぎたしタイミングも悪すぎた。


 願いを口にさえしなければこの生活は続く。


 そう思ったばかりだったから。


「俺は……」


 逃れられないと確信出来た。

 今ここで煙に巻くことは出来ない。

 空気が、雰囲気が逃さないとリューヤの肌を通して伝わってくる。


 言えば良いはずだ、かつて口にしたように。

 嫁になってくれ。

 その一言だけで良いはずだ。


 だと言うのに言葉は喉でつっかえる。


 ミコトとの生活は彼女自身が言うように悪くなかった。

 それどころか理想を辿った、辿りすぎていた。


 だからこそ欲が増えた。

 これ以上今以上を望んでしまっている。

 今のままで十分幸せなのに、特典でこの人を嫁にしてしまえばそれは偽りの幸せに過ぎないのではないか?

 そんな風にも思ってしまう。


 あの時は要らないとすぐに答えられたはずなのに。

 この時間が何よりの特典だと言えたはずなのに。


「何を窮しているんだい? 言えるはずだ、言う言葉があるはずだ。ボクはそれを――」


「リューヤ!!」


 神聖とも言える空気を引き裂いたのは第三者。

 そしてこうしている場合じゃないと思い立てた言葉が放たれる。


「魔獣の群れだ! 迎え撃つぞ!!」


「っ! すぐに行きます!」


 縫い付けられたと錯覚していた足は簡単にリューヤの身体を持ち上げた。

 そうして再びミコトへと視線を移せば。


「――いってらっしゃい」


「行ってきます。神様」


 仕方ない、といった苦笑いを浮かべながらミコトは言った。




 リューヤは特筆して強いわけじゃない。

 自分自身でそれを理解しているだけに今、転生特典としてチートを願えばこうはならなかっただろうと奥歯を噛みしめる。


「はぁっ! はぁっ! おやっさん! 大丈夫ですか!?」


「ぐっ、なんとかな! だがこのままじゃ不味い! くそっ! 何だってこんなに!」


 戦える男で作った防衛線。

 背後には男たちの家族と言える存在達が廃材で作ったバリケード。


 誰も言わなかったが理解していた。


 ミコト。

 彼女はこの場所には不釣り合いが過ぎた。


 ミコトのおかげで開拓が順調すぎた。

 ミコトのおかげで無理が無理でなくなった。


 そう、慎重さを失い魔獣の縄張りをつついてしまった結果が、開拓村への襲撃だった。


「ダメだキリがねぇ! あいつらどんだけいやがるってんだ! おい! 怪我人は!?」


「既に何人かは下がってます! でも、これじゃ――っぐ!」


「おい!?」


 重ねて、リューヤは特筆して強くない。

 この村で若手、多少身体の無茶が効く程度の一般人。


 強力な魔法が使えるわけでも無ければ、冒険者が培った華麗な剣術や戦技を持ち合わせているわけじゃない。


 一匹、よくて二匹。

 それくらいならば誰だって倒せる程度の魔獣。

 リューヤでも三匹は怪我を覚悟すれば相手に出来るだろう。


 だが、村の男を集めてなお対処しきれない魔獣の数。


 一人、また一人と戦闘不能に陥り村へと下がる。

 当然このまま戦える者を失っていけば壊滅。村も蹂躙されてしまうだろう。


「はぁっ、はぁっ……」


 だから踏ん張る。

 もしかしたら後方で怪我人をミコトが治療してくれていて、再度前線へと来てくれるかもしれない。


「違うだろ、俺……! そんなことあてにしちゃだめだろっ!」


 大口開けて噛みつこうとしてきた魔獣の口へと短刀を突き刺し絶命へ誘う。


 ミコトは神様だ。

 だが、リューヤの願いを叶えるためだけにやってきた神様イレギュラーだ。

 彼女は村人達を治療したりしていた、しかしそれはあくまでも善意だ。

 望んでやってくれと言ったわけではない。


 都合が良い。

 今回もそれをあてにするなんて、そんな都合がいいことを考えたくない。


 リューヤは、元から力を願えばこうならなかったなんて、認めたくはなかった。


「こ、のおおおおお!!」


「バカやめろっ!! リューヤ!!」


 一期一会を不意にして、逃した魚へ思いを馳せる。

 そんな情けない自分で居てしまうならばいっそのこと。


「本当に、リューヤはバカだね」


「!?」


 愚策に吶喊しようとしたリューヤへ襲いくる魔獣を振り払ったのはミコト。

 この世界で会った時に着ていた服ではなく、かつての場所で出会った中途半端な神威を纏い。


「問うよ? リューヤ」


 ――キミは何を願う?


 魔獣の唸り声も、男たちの驚く声も。

 一切から切り離された神聖で静かな空間。

 かつての光景を思い出さずにはいられない、懐かしい立脚点。


「俺、は……俺は、この状況を切り抜けるための力を、望みます」


 やり直し。

 だからこれはやり直し。

 たった今した後悔を後悔にしないための選択。


 もう、本当の望みを叶えることは出来ないけれど。


 そう決意して口にした望みは。


「んー? 聞こえないなぁ? ごめんもう一回言って?」


「はい?」


 額に青筋を立てた神様に却下された。


「いや、え? あの? 特典?」


「バカは何処までいってもバカだね。やっぱりもう一回くらい死んだほうがいいんじゃないかな? 転生者」


「いやいや! こんな時に冗談言ってる場合じゃないでしょう!? このままじゃ村の皆が――!」


「うるさいうるさい! そうじゃないでしょ違うでしょ! ボクは! まだキミの作るシチューを食べたいんだっ!」


 事ここに至ってリューヤは混乱の渦にダイブした。

 シチュー? 違う?

 ミコトが何を言っているのか理解が出来ない。


「~っ!! キミの願いはっ! ボクを嫁にすることじゃなかったのかい!? そんなちっぽけな願いに負けちゃうほど! その程度の願いだったのかい!? だったら返せ! ボクの決心を返せよぅっ!!」


「――」


 神様と言うにはあまりにも幼い。

 幼いだけに、流れた涙は純心そのもので。


「旦那様を支えるのが妻の役目でしょっ!? だったら決まってるじゃないか! 言わせないでよ恥ずかしい! さっさと察せよバカリューヤ!!」


 純心は涙に溶けて。

 残ったのは押し付けられそうな特典プロポーズ


「ミコト」


「なんだよ、バカ」



 ――嫁になれ。

 ――はい。

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