裏 希求
アリシアとレティを目覚めさせたステラは、次の目標であるサーシャへの干渉を開始した。
サーシャは他の人間とは違う形でアクアに操られている。
意識ははっきりしているサーシャは自分が普通に行動していると考えたまま、アクアによって行動を操作されていた。
そのため、他者と同じように意識を目覚めさせればよいわけではない。
だからこそ、ステラは慎重にサーシャの心に触れていった。
その結果、サーシャは自分の状況を理解する。それはアクアにステラが何をしているのか理解させるということでもあった。
サーシャの思考を読みながら適宜サーシャの行動を縛っているアクア。
それゆえに、サーシャがアクアに操作されていると知ったことはアクアに知られた。
だが、アクアはステラがアクア自身と和解するために行動しているということも理解して、今のところはステラを妨害しないと決めた。
アクアはこれから、ステラやステラが目覚めさせた人間の思考を読むと決めた。
その事実をアクアから伝わってくる記憶で知ったステラだったが、慌てることはなかった。
アクアが本気で自分たちの行動を邪魔だと考えるのならば、即座に意識を奪われてもおかしくはない。
それなのに、アクアは静観の構えを見せた。つまり、アクアもステラの計画に希望を持っているはず。
だから、アクアが自分たちと和解したいという思いを強める手助けをすれば良い。ステラは計画をそのように修正していた。
ステラによって自らの状態を理解したサーシャがまず行ったのは、流れ込んでくるアクアの記憶の精査だった。
どのような形で自らの意識が歪められたのか知っておきたいがゆえの行動だった。
だが、それはサーシャにとても大きい羞恥心をもたらした。
アクアの誘導は、サーシャがエルフィール家の利益よりユーリの利益を優先させるために行ったもの。
その過程でユーリを誘惑などしていたのはサーシャ自身の意志だと判断できてしまったのだ。
(こ、これではわたくしが痴女のようではないですか! ユーリ様を好ましいと思っていることは事実とはいえ、私はここまではしたない女だったのですか!?)
アクアによってユーリへの好意が増幅されていたサーシャだが、アクア自身が狙って行っていたことではない。
それゆえ、アクアの感情が流れてきても、サーシャがその事実に気がつくことはなかった。
自分がつい勢いでおこなってしまったことはアクアのせいではないと判明したことの方が、アクアに操作されていたという事実よりもサーシャにとっては恐ろしかった。
アクアに制御されていたからだという言い訳が完全に消えてなくなり、正気に返ったサーシャを追い詰めていた。
とはいえ、実際にはアクアの影響を受けていた。アクアがユーリとしたいと強く感じていることは、サーシャの心にも流れ込んでいたからだ。
(ユーリ様をわたくしと同じ寝所に誘うなど、わたくしはどうかしていましたわ。でも、恥ずかしいとはいえ、悪いことだとは思えないわたくしもいる。わたくしは一体どうしてしまったのでしょう)
サーシャにとって一番大きい感情は自身への羞恥、次いで状況への納得だった。
あのオリヴィエまでもが露骨にユーリを優先するようになった背景はそれか。そんな感情だった。
オリヴィエが他者を一切信用していないということはサーシャには明らかな事実で、それゆえにオリヴィエがユーリに向ける信頼が奇妙に見えていたのだ。
サーシャ自身もオリヴィエに便利な道具だとは思われていたようではあるのだが、信頼には程遠いと理解できていたがゆえに。
それと同時に、サーシャはアクアの行動に奇妙な連帯感のようなものを持っていた。
自信を操っていたことは納得しきれた訳では無いが、それでもアクアを何故か仲間のようにすら考えていた。
(アクア様が私に対して実行したこと。それはモンスター特有のおぞましさを持っていますが。ですが、理解はできますわ。今のわたくしがユーリ様に同じことを画策している相手を見たとして、アクア様と同じ力を持っていたら。わたくしは似たようなことを実行したでしょうね)
サーシャのユーリへの好意はアクアによって増幅されたものではある。
だが、相応の期間を経たこと、もともとサーシャがユーリへ好感を抱いていたこと。
それらが相まって、サーシャ自身の感情として定着し切るほどになっていた。
ユーリが望むのであれば、エルフィール家のすべてをユーリのために使ってもいいと思うほどに。
それゆえに、サーシャが最も優先したいものはユーリとの時間だった。
(ここでアクア様と敵対の姿勢を見せることは得策ではありませんわ。それでわたくしがユーリ様を失うような事態になれば、悔やんでも悔やみきれませんもの。そうなると、わたくしの選択肢としては、アクア様と他の人間の関係を軟着陸させることが最も有力ですわね)
サーシャが今最も失いたくないユーリとの関係を維持するためには、アクアがサーシャを完全に支配するという選択を避けるための行動が必要だ。
つまり、アクアが今支配している人間たちとの和解を諦めたら終わり。
だからこそ、サーシャはアクアと今後していきたいことを考えていた。
(アクア様は、食事にはさほど興味をお持ちではない。他に楽しめそうなこと、ですわね。アクア様がユーリ様と過ごす時間を最も大切にされているのは当然ですが、カタリナ様とも仲良くしている。そうである以上、至って普通に仲を深めるための行動が有効的。晩餐会のようなものはダメですが、それ以外の遊戯や交流はアクア様だって望んでいるはずですわ)
エルフィール家はモンスターとの契約で成り立っている家であるので、サーシャもモンスターとの付き合い方はある程度理解できていた。
人の言葉を理解しているが、人と価値観を共有することは珍しい。
それぞれのモンスターに五感を始めとする感覚の違いがあり、それに合わせた対応が必要である。
ただ、アクアはユーリやユーリのそばにいる人間たちと心の距離を近づけようとしていた。
そうである以上、完全にモンスターとしての対応をすることも危険だろう。
相手に弱みを見せないことがモンスターとの関係を築く基本ではあるが、ここは懐をさらす場面だ。サーシャはそう判断していた。
そもそも、絶大な力を持つオメガスライムであるアクアに弱みを見せないようにすることなど、何の意味もないのだから。
(アクア様と共有できる話題となると、まずはユーリ様の魅力でしょうか? わたくしとしては、名誉も力も持っているのに優しさを失わない所ですわね。無論他にも魅力的なところはありますが、そこが一番ですわね。そこから、わたくしがユーリ様と共にエルフィール家をもり立てたいという話に持っていくことが良いかと)
サーシャの目的はエルフィール家の発展であるが、そこにユーリもそばにいてほしいと思うようになっていた。
そのためには、単にユーリを利用するというのは悪手でしかない。
ユーリの幸せと自分自身の幸せを共に満たせる良い妥協点を探ることが必要だろう。サーシャはそのように考えていた。
そこで、エルフィール家の表舞台をほかの血族に任せ、裏からエルフィール家に干渉する。
そうすれば、ユーリの自由をある程度保ったままエルフィール家をより大きくすることができるはずだ。
ユーリがエルフィール家に協力しているという事実があるだけでも、サーシャが取れる手段は多くあるのだから。
(わたくし自身がエルフィール家の頂点に立ちたいわけではないのです。ならば、面倒な事は他の人に預けても良い。幸い、わたくし自身の契約技を始めとした力は絶大。アクア様の協力も得られるのであれば、わたくしたちの邪魔をさせないなど容易いこと。そのためには、アクア様の利益も考えなくてはなりませんわね)
アクアの望みは、察するに親しい人たちとずっと一緒に過ごすこと。ユーリの望みとも近しいはず。
ならば、自分自身を手駒とするのが最も手っ取り早い。エルフィール家の中で、自分だけがアクアやユーリと親しいのだから。
そのような考えのもと、サーシャはアクアの望む未来に達する手伝いをする代わりに、アクアに自身の望みを叶える手助けをしてもらう。そう計画した。
サーシャにとって、エルフィール家の人間だからといって全てが大切な訳では無い。
だから、そのような存在をアクアに支配してもらうことも良いかもしれない。
アクアは親しい人を乗っ取ることは嫌悪しているが、他者を操作すること自体を忌避しているわけではない。それゆえに考えた手段だった。
(アクア様だって、ユーリ様の妨害をするかもしれない人間は邪魔なはず。それならば、わたくし達は協力できるはず。極端な話、わたくしとわたくしの子供が無事であれば良い。願わくば、その子供がユーリ様のものであれば。
ユーリ様はわたくしに恋愛感情など抱いていないでしょうし、わたくしだってそうではない。それでも、これまで出会った男性の中ならば、ユーリ様が最も良い父親となるはず。アクア様は協力してくださるでしょうか?)
サーシャの頭には打算が常にあった。ユーリとアクアが味方になるのならば、それほど心強い存在は他にない。
それに、ユーリに好意的な人間にも有用な存在は多い。そうである以上、サーシャにとってもっとも重要な男がユーリとなることは必然だった。
(ユーリ様とて男なのですから、侍らせる女が増えて邪魔とは思いませんわね。ですので、わたくしのアプローチは効果的なはず。それに、もとが打算だからといって、相手を大切に思う心は生み出せるもの。ユーリ様ならばこちらに配慮はしてくださりますし、わたくしだってユーリ様を喜ばせることはそう難しくない)
サーシャには合理性に基づいた考えの他に、ある欲望があった。
エルフィール家を発展させながら、ユーリやアクアを幸せにしながら、それでも同時に達成できる目標だと考えている計画が。
(ユーリ様の生活から、わたくし自身を絶対に欠かせないものにする。あの強くて周囲にも恵まれているユーリ様から。すでに冒険者としての窓口はわたくしだけ。他にも、ユーリ様を支え続けることでユーリ様をわたくしに依存させられたら。それはどれほど甘美なのでしょうか。そうなる瞬間が待ち遠しいですわね)
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