第26話 聖女の提案

 ハリーお手製のおいしい昼食を食べたあと、リリアーナはさっそく黒薔薇ローズノワールの活用について話してみることにした。


「ハリー様」


 食後のお茶を飲み終え、片付けのために席を立とうとしていたハリーを呼び止める。

 リリアーナが名前を呼ぶと、彼は「ん?」と小さく答えて、すぐに席へ座り直した。


「あ……」


 空のティーカップを見て、リリアーナはしまったと思った。

 せめて、テーブルの上が片付くまでは待つべきだったかもしれない。

 つい気持ちが急いてしまって、周りが見えなくなっていた。


(もう少し待ってから声をかけるべきだったわ)


 リリアーナが何かを話そうとする時、彼はいつも手を止めて聞いてくれる。

 黒薔薇の館を一人で回す彼はすごく忙しいはずなのに、何かをしながらとか、適当に相槌を打つことは絶対になかった。


(そういうところ、尊敬するなぁ)


 急かすでもなく、リリアーナを待ってくれるところとか。

 本当は忙しいだろうに、悟らせないところとか。


(だからわたしは、気楽に相談することができているんだろうな……)


 どんなことでも真剣に聞いてくれるハリーだから。

 嫌われたらどうしようとか、怒られたら怖いなとか、馬鹿にされたら悲しいなとか。

 そういうことを考えることなく話せるのはハリーだけだし、相談しようと考えたら真っ先に思い浮かぶのも彼だけだ。


 褒めるのも勇気がいるから、なかなか言えないけれど。

 ハリーはリリアーナにとって、特別な存在になりつつあった。


「大丈夫。ゆっくり話してくれ」


 日だまりを思わせる笑みに、あたたかなお茶を飲んでほっと一息ついた時のような安心感を抱く。

 ぎゅっと強張っていた肩から力が抜けて、リリアーナの顔にやわらかな笑みが浮かんだ。


「ご相談したいことがあります」


「相談?」


「はい……」


 チラリ、とリリアーナの視線がキッチンへと向かう。

 隅に置かれた大きなカゴには、黒薔薇の山がこんもりとできていた。


 リリアーナの視線につられるように、ハリーもキッチンを振り返る。

 背もたれに置いたハリーの腕や首筋が妙に色っぽく感じて、リリアーナの視線はつい、釘付けになった。


「黒薔薇?」


 正面に戻ってきたハリーが、不思議そうに尋ねてくる。

 まっすぐに向けられる視線は何かを見透かされそうで、リリアーナはうつむいた。


 ハリーに対して安心感を抱いているのは確かだ。それは、間違いない。

 だけど、ごくたまに、こうして落ち着かない気持ちになる時もある。


(何かを隠しているような後ろめたさを感じるのはどうして? 隠し事なんて、していないのに)


 幸か不幸か、リリアーナが言い淀むのはいつものことだった。

 どうやらハリーは気にならなかったようで、リリアーナが答えるのをじっと待っていてくれる。

 気づかれなかったことに内心ホッとしながら、リリアーナは静かに息を吐いた。


「ハリー様は黒薔薇をすべて持ち帰るよう言っていましたが、何か使う予定があるのでしょうか? もしも何かに使う予定があるのでしたら、少しだけ、分けてもらいたいのです」


「少しだけ? 何か使いたいことでもあるのか?」


「はい……コサージュを、作ってみたくて。ハリー様から教わったレース編みでリボンを作って、黒薔薇と合わせたらすてきかな、と思ったのです。シュタッヘルここは限られた色しか使えないけれど、それでも黒薔薇ならつけられるでしょう?」


 リリアーナの言葉にハリーは「ふむ」と思案して、それからはにかんだように笑った。


「黒薔薇のコサージュか。華やかで、良いと思うぞ。俺に構わず、好きなだけ使うといい」


 整いすぎた容貌は時に冷たく見えるけれど、無邪気に笑う彼は自分よりも年下のように見える。

 いつもの余裕のある大人な彼もすてきだけれど、たまに見せる子どもっぽさも親近感を持てて良いとリリアーナは思った。


「ありがとうございます。でも……ハリー様も何かやりたかったことがあるのでは?」


 どうやら処分するために持ってくるよう言ったわけではなさそうである。

 となれば、ハリーは何かに使うために頼んだのだろう。

 そう思ってのリリアーナの質問に、ハリーはケロリと答えた。


「俺か? いや、大丈夫だ。気にせず、すべて使ってもらって構わない。なんなら、俺も手伝わせてくれ」


 面白そうだ、とハリーは笑った。

 けれど、本当に大丈夫なのだろうか?

 不安に思ったリリアーナが再度大丈夫なのか聞くと、彼は「実はサプライズをしたかったのだ」と秘密を明かしてくれた。


「ルアネ様が余った花びらを乾燥させてお茶にしていたから、まねをしてみようと思ったんだ」


「花びらを、乾燥……」


「ああ。紅茶とブレンドさせてもいいし、香袋サシェに使うのもいい」


「香袋……!」


 その時再び、リリアーナはひらめいた。


「あの、ハリー様!」


 リリアーナはテーブルへ身を乗り出し、ハリーへ顔を寄せた。

 思いついたすてきな考えに、目がキラキラと輝いている。


 突然距離を詰められたハリーは驚き、頰をうっすらと赤らめていたが、リリアーナは構わず続けた。


「黒薔薇を使って、エッセンシェルオイルとローズウォーターを作ることは、可能でしょうか?」

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