第6話 インクと紙の匂いが立ち込める奥野文房具店、メガネ少女と高級車、彼女が去ったその後に・・・
「願書に名前書くなら・・まず筆記用具買わなきゃ」
僕は、佐伯先生からもらった願書に名前を書くための
筆記用具を買いに、奥野文房具店にいった。
何か新しいことをする時は、まず形から入る主義なので、
ボールペンを買おうと思ったのだ。
奥野文具店は僕の母さんの代から商店街にある、
古い文房具店で高齢のお婆さんが一人で切りもりしている。
僕が小学生の頃からお婆さんだったので、いったい何歳だかわからない。
奥野文具店のドアを引いて中に入ると、
紙やインクなどの文房具店らしい薬品の匂いがした。
薄暗い店内は、冷たくて重い空気が立ち込めていて、
たくさんの種類のノートやペンが、床から無造作に積み上げてある。
僕はこの地下の倉庫を思わせる空間が好きだった。
この奥野文房具店で、ペンやノートを見ていると、この文房具たちが。自分を何か違う人生に
連れて行ってくれるような気分に浸ることができた。
店主のお婆さんはいない、店の奥にある部屋でテレビでも見ているのかもしれない。
僕は筆記用具コーナーの前にたった。
たくさんの筆記用を前にして僕は軽いパニックに陥った。
やばい、ボールペンってこんな種類あるんだ。
僕はその中でもたった一本だけ残っている一番お安い九十一円のボールペンに手を伸ばした。
「あ」
と僕が手を伸ばしたボールペンめがけて、別の誰かの手が伸びてきた。
僕と誰かの手の甲が、ボールペンの前で触れた。
「あ?」
僕が横を見ると、分厚いレンズの丸メガネをかけた、
どこにでもいそうな地味で小柄なショートカットの女子生徒が、
おどおどとした目で僕を見上げていた。
背中に背負われた学校カバンに東南高校の文字が見える。
女生徒が着ている制服も確か東南高校のものだ。
しかし、見るとはなく見てしまった彼女の胸の膨らみだけは並はずれて巨大だった。
「あ、すみません」
僕がそう言って手を引っ込めると同時に、彼女も手を引っ込めた。
「こちらこそ、ごめんなさい」
女生徒は姿勢を正して、スカートに手を添えて礼儀正しく深々と頭を下げた。
その途端、背中に背負っている学校カバンの蓋が開いて、
中の教科書やら、筆記用具やらがばらばらと床に落ちた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
女生徒は、慌てて床にしゃがみ込んで、
ばら撒かれた文具を拾い始めた。
「あ、あ、」
女生徒はかなり焦っている様子だ。
顔が真っ赤で動きもぎこちない。
わかる、この感覚。
「大丈夫ですよ、僕も手伝います」
僕も手伝ってノートなどをひろった。
彼女はすまなさそうにそれを受け取り、
「ごめんなさい」
ともう一度頭を下げると、
また背中のカバンの口が開いて、中のものばらばらと床に落ちた。
「すみません、すみません、すみません」
彼女は顔を真っ赤にさせたまままた頭を下げた。
結局10分ほども、かけてカバンの中身を拾い集めて、よ
うやく全ての荷物が元通りにカバンに収まった。
「ごめんなさいでした」
もう一度頭を下げようとする彼女のおでこに僕は手を添えて、
お辞儀ができないようにした。
「”ごめんなさい”も”すみません”も言う必要ぜんぜんないですよ」
彼女は驚いた表情で僕を見上げた。
「え?そうですか?」
「あなた、謝ることなんて、何一つないですよ。最初から最後まで何一つ悪いことしてないですから」
僕は真顔でいった。謝りたくなる気持ちは、痛いほどよくわかる。
普段の僕がそうだから。
「だって地上にいるときは、みんな私のこと、バカでドジで世間知らずって言うし・・」
地上って、この人地底人かなんかかよって、僕は心の中でつっこんだけれど、
言葉には出さなかった。
その時、店の前に高級車が止まった。黒いろをしたメルセデスベンツのマイバッハのようだ。
「ごめなさい、私行かなきゃ」
女生徒は、何も買わずに店の外に出て、マイバッハの後部座席に乗り込んだ。
僕は床に落ちているものを手に取った。
「あれ、まだ落ちしものが残ってたかな?」
“東南高校 1年3組 吉田舞”と書かれた
生徒手帳が落ちていた。
僕はそれを手に取った。
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