騎士王子の片恋相手③

「本当に、本当の本当に意味が分からないわっ!」


 それから数週間後。グレースは行きつけの酒場でジョッキを傾けていた。


 普段はお上品にワインを口にするグレースだが、割とビールなどの類も好きである。今日は酔いたい気分だったので、グレースはここに来たのだ。


「何が意味わからないのよ。結婚の話を受け入れれば玉の輿よ? 玉の輿! 貴女にはできすぎたお話じゃない」

「ジスレーヌにはわからないわ、私の葛藤なんて。だって、貴女は伯爵令嬢。王子殿下の妃になってもおかしくない身分だもの」


 隣にいるラフなドレスを身に纏う令嬢に視線を向け、グレースはそういう。


 彼女の名前はジスレーヌ・ギャロワ。ギャロワ伯爵家の次女であり、グレースにとって気心の知れた友人である。


 彼女自身は由緒正しい伯爵家の令嬢ということもあり、とてもお淑やかな麗しの淑女。グレースとは似ても似つかない性格をしているが、何故か気が合い今の今まで友人関係が続いていた。


 ちなみに、彼女もビールがいける口である。むしろグレースよりも飲める。全く、人は見た目に寄らないものである。


「それに対して、私はどう? 末端男爵家の娘で、嫁ぎ遅れ一歩手前。そんな私を妃に迎えようとするなんて、オディロン殿下の正気を疑うわ」


 チーズをつまみながらそう零せば、ジスレーヌは「……まぁ、そうかもね」と言いながら彼女もまたチーズを口に運んでいた。


「それによ? こっちとしては付き合うのならば必ず結婚できる人が良いわ。そんな……」

「そんな?」

「何処から妬まれて破局させられるかわからない付き合いなんて絶対に無理だわ」


 オディロンは人気がある。ならば、その恋人ともなれば妬まれるのがオチだ。そして、悪い噂を流されオディロンに振られる。そこまで見えた。それこそ、王道のパターン。誰がなんと言おうと完璧な道しるべ。


「そうかなぁ……」


 ジスレーヌがそう言いながら頬杖を突く。そんな彼女はとても美しく、グレースはぼうっと彼女を見つめてしまった。


「でもでも、オディロン殿下がグレースのことを好いているのは本当だと思うわ」

「……だけど」

「だって、オディロン殿下は今までどの女性も袖にしているじゃない」


 ……まぁ、そりゃそうなのだが。


 オディロンは女性遊びをこれっぽっちもしない。そこはグレースとて好意的に思っているところではあるのだが、いかんせん彼との間には身分差がありすぎる。……本気だったとしても、妬まれることを考えれば迷惑なことこの上ない。


「……一度、しっかりとオディロン殿下と向き合ってみたら?」

「うぅ」


 ジスレーヌの言葉は正論である。


 むしろ、向き合うチャンスはいくらでもあった。あれ以来、オディロンは三日と開けずにグレースの元を訪れ、付き合ってほしいやら結婚してほしいやら熱烈な愛の言葉を告げてきている。それを相手にせずに蹴り飛ばしてきたのはグレースなのだ。……まぁ、彼もそれはそれで嬉しそうにするので、なんだかんだ言っても楽しんでいるのだろうが。


「わ、私と付き合うって言って、オディロン殿下が周囲にいろいろと言われるかも……」

「もうっ! オディロン殿下は子供じゃないのだから、それくらい自分で対処できるわ」


 ……正論である。


 ジスレーヌの言う通り、オディロンだって子供じゃない。二十歳を迎えた大人なのだから、彼だって自分で対処が出来る。むしろ、好きな人一人守れない男性なんてこちらから願い下げである。


「わかったら、ほら、きちんと向き合う」


 そう言ってジスレーヌがグレースの背をバンっとたたく。それは彼女の華奢な身体の何処から出たのかというほどの力加減だった。その所為で、グレースは半ばテーブルに倒れこんでしまう。


「……うぅ、だけど、だけどぉ」

「もういい加減覚悟を決めなさい。このままだと……」

「このままだと?」

「王子殿下を袖にした女騎士って、囁かれるかもよ」


 ……それは、ぜひとも遠慮したい。


 そう思うからこそ、グレースは「わかったわよぉ!」と言ってジョッキを一気に煽る。


「あぁ、いい飲みっぷりね。今日はグレースのおごりよ?」

「どうしてよ」

「愚痴に付き合ってあげたんだから、当然じゃない。私は部屋を抜け出すのが大変なのだから」


 肩をすくめながらそう言われ、グレースは「はいはい」と答えることしか出来なかった。


 そして、この日。グレースはようやくオディロンと向き合う決意を固めた。


 固めたのだけれど――……。


 ◆


「隊長! もうっ! ため息つかないでくださいよ~!」

「……知らないわよ」


 あれから二週間。オディロンはぱったりと姿を見せなくなってしまった。風の噂ではオディロンが隊長を務める部隊が要請を受けて魔物退治に出てしまったとか、何とかである。


 第一部隊は最も前線で戦う部隊である。今の今まで、王都にとどまっていたのが奇跡と言えるレベルだった。


(……あぁ、もっと早くオディロン殿下に向き合うと決めていたらっ!)


 ジスレーヌにもっと早くに背中を押してもらえばよかった。そう思いつつも、グレースは手元の資料を眺める。


 そんなとき、不意に魔力で動く通信機器が音を鳴らす。それに驚きつつも、側に居たナタンに出るようにと指示を出す。そうすれば、彼は「はいはい」と言いつつも出てくれた。


(あぁ、オディロン殿下に次どんな表情をして会えばいいんだろう……)


 時間が経てば経つほど、会いにくくなってしまう。それは誰だって同じだろう。つまり、魔物退治から帰ってきたオディロンはグレースの元を訪れなくなってしまって――……。


(って、そんな最悪なことは考えちゃダメよ!)


 素直になれなかった自分を棚に上げて何を言っているのだろうとは思う。けれど、年頃の乙女としては(そんな年齢は過ぎているが)、大好きな人の前で素直になれない気持ちを悟ってほしいと思わないこともない。


 初恋なのだ。……オディロンのことが。


「……長、隊長!」

「はっ、な、なに!?」


 突然大声で呼ばれ、大きな声を上げてしまう。それに対し、ナタンは「第五部隊に要請ですって!」と無駄に大きな声で告げてくる。……そんなにも大きな声は必要ない。そう思いつつ、グレースは「わ、わかったわ。何処?」と問いかける。


「場所はえぇっと……あっ、ちょうど第一部隊が行っている場所ですね。なんでも、高ランクの魔物が出ているので、助けてほしいっていうことでした」


 淡々とナタンがそう言ってくる。しかし、グレースからすればいろいろと問題のある要請だった。


(タイミング最悪すぎない!?)


 そう思ったとしても、魔物は待ってくれない。グレースは「わかりました。すぐに準備を整えて向かうと」ということしか出来ない。


 それを聞いたナタンは、通信機器越しに肯定の返事をする。そんな彼の様子を横目に、グレースは放送機器を使って騎士たちに準備を促す。


「要請がありました。ただちに魔物退治の準備を」


 グレースのその言葉を聞いてか、騎士たちがバタバタと足音を立ててそこら中を駆け回る。そんな足音を聞きながらも、グレースは立ち上がり馬小屋へと向かう。


 基本的に騎士の移動は馬である。馬車なんて使うのはもってのほか。騎士団に入って一番に覚えさせられるのも馬の扱い方だったりするほどに、乗馬は必須のスキルだった。


(……高ランクの魔物。第一部隊だけで手に負えないということは……かなり、大変そうね)


 言っては何だが、第一部隊は精鋭のエリート部隊である。第二部隊から第四部隊は後方支援などを得意とする部隊なので、一気に第五部隊に要請が回ってきたということのはず。……もちろん、第二部隊から第四部隊のどこかにも要請が入っているはずだが。


「隊長!」


 そんなことを考えていれば、遠くから数名の騎士たちが馬小屋に駆けてくる。なので、グレースは視線だけで数を数える。……部隊内の三分の一と言ったところだろうか。ならば、


「ナタン。私と彼らは一足先に魔物退治に向かうわ。貴方は残りの騎士たちを連れて後から来なさい」

「はっ!」


 グレースはそれだけの指示を出して、馬にまたがる。一足先に馬の世話役たちには出向の準備をさせていたので、すぐに乗ることが出来た。


「行きますよ」

「はっ!」


 騎士たちを連れて、グレースは馬を走らせる。


 要請があった場所までは、馬で飛ばして二時間と言ったところだ。そこまで離れていないため、王都の騎士団に要請が来たと考えるのが妥当である。


 しかし、ここら辺は割と平和だったりする。魔物だって現れても低ランクのものばかり。高ランクの魔物なんてめったなことでは現れないのだが――……。


(まぁ、数十年に一度はこういうことがあるから仕方がないわ)


 数十年に一度、魔物たちが住まう森の食料が枯渇するのだ。それゆえに、魔物たちは食料を求めて人里に降りてくる。多分、今回もそういうことなのだろう。


(……オディロン殿下)


 もしも、オディロンが大けがを負っていたらどうしようか?


 一瞬だけ思い浮かんだそんな邪念を打ち消すかのように首を横に振り、グレースは必死に馬を走らせた。


 それから一時間半後。特急で馬を走らせたこともあり、無事要請があった地にたどり着くことが出来た。正直なところ、この時点で体力の半分以上を消耗している形ではあるのだが、このまま戦いに入ることが望ましい。


 そう思いつつ、グレースは魔法の空間から剣を取り出す。その剣のさやを撫でた後、近くにいた第一部隊の騎士に声をかける。


「第五部隊隊長、グレースです。要請を受けてこちらに来ました」

「はっ! 魔物は高ランクが十体。中ランクが十五体です」

「……随分と多いですね」

「……これでも、隊長が頑張って倒したんですけれどね」


 騎士はそう言って苦笑を浮かべる。確かに彼の視線の先にはたくさんの魔物の亡骸があった。


(これは、相当やばそうだわ)


 そう思いつつ、グレースは共にやってきた騎士たちに指示を飛ばしていく。


「お前たちはあちらの援護を」

「はっ!」

「私は向こうに行く」


 ある程度指示を飛ばし終え、グレース自身も戦いのモードに入る。


 グレースの目の前にいるのは中ランクの魔物が三体。この種類は図体はでかいが、大した攻撃はしてこない種類だ。


(……図体がでかいこと。あと、毛皮でおおわれているせいでなかなか攻撃が届かないのよね……)


 全く。手間のかかる魔物なこった。


 心の中でそう思いつつ、グレースはおもむろに魔物たちの中に飛び込んでいく。


 そのまま魔法を唱え剣に電撃を走らせて――魔物を切り裂いていった。


(……まだ、息はあるわね)


 瞬時にそう判断し、グレースは一瞬で踵を返す。先ほどの攻撃は致命傷とはならなかったらしい。それどころか、痛みに悶える魔物はより一層狂暴になってしまう。


「……っ!?」


 別の魔物が、グレースに手を伸ばしてくる。それを瞬時によけ、グレースは体勢を立て直そうとする。だが、別の魔物もグレースを狙ってくる。……女だからと、舐められているらしい。


(全く、本当に魔物も気に食わないわ――!)


 そう思いながら、グレースはその魔物たちに応戦していく。ほかの騎士たちを見渡すものの、助けはあまり期待できないだろう。……なんと言っても、彼らも彼らで精いっぱいなのだから。


(クソッ、一人で三体の相手はきつい――!)


 思わず舌打ちをしてしまいそうな気持ちを抑え込み、グレースは剣で魔物の攻撃を受け止める。


(本当に、本当に――)


 ――何もかもが気に食わないっ!


 そう思ったからなのだろうか。グレースはおもむろに手を伸ばし――その手で魔物の顔面を思いきりぶん殴った。


「本当に何もかも気に食わないわ!」


 オディロンにも、自分自身にも、魔物にも。何もかもが気に食わなくて、何もかもが――面倒で。


「あんたたちの相手をしている暇はこっちにはないんですー!」


 そう言いながら、今度は蹴りを食らわせる。そうすれば、魔物は吹っ飛んで近くの木にぶつかった。


「――後ろです!」


 着地した途端、横からそんな声が飛んでくる。それに驚いて後ろを振り向けば、そこには先ほどの魔物がグレースを殴ろうとしていた。しかし、突然だったのでグレースには成す術がない。目を瞑って襲い来る衝撃に耐えようとするものの――衝撃は来ない。


「第五部隊隊長、グレース・レドレル。油断は禁物です」

「……あっ」

「いいですか。……ここはいわば戦場です。気を乱さないでください」


 静かな声と、凛とした横顔。それにぼうっと見惚れてしまいそうになるが、グレースは意を決して剣を持つ。


「わかっています、第一部隊隊長、オディロン・ヴェスピエ殿下」

「だったら、いいです」

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