第81話 81

 話し合える機会があるなら、それを生かすべきだと琉架は思う。話す機会さえ与えられなかった身としては、とても羨ましく思えた。


「そうですね。そうしてみます。ありがとうございます」


 少し、憑きものが落ちたような表情になり、紫苑は丁寧に頭を下げた。


「ところで、兼続は私のことをなにか言っていましたか?」


 買い物から帰って来たときの二人の様子が普段と変わりなく、何があったのか興味を惹かれたのだ。


「貴方の傍に居て良いのか悩んでいました」


「そうですか……」


 紫苑の表情が曇り、視線を床へ落とした。


「私は、血の繋がりだけが親子ではないと思っています。それを兼続くんに伝えました。なにか考えるところはあったようです」


 まるで、自分自身に言い聞かせているようだと思う。誰よりも親子の絆を望んで得られなかった自身への言葉だった。


「ありがとうございます」


 深く頭を下げ、紫苑は感謝を述べた。


「それでは、兼続と話をしてきます」


 どこか期待に満ちた表情を浮かべ、そそくさと礼拝堂から出て行った。その後ろ姿を見送ったのち、琉架は背後の十字架へ向き直った。そしてゆっくりと見上げた。背後から不安が入り交じったざわつきを感じた。


「nemo nos servare potest nisi dominus」


 背後に語りかけるようにそう言い、琉架は胸の前で十次を切り丁寧に頭を下げた。




 一番始めの記憶は、名前を呼ぶ声だった。その声も、今では正確なのか自信が無い。顔も思い出せず、ただ長い緩やかなウェーブのかかった黒髪だけは憶えている。敬虔なクリスチャンだったのか、名前は聖ルカと同じにしたと言っていた。


 母親の記憶は、いつも悲しそうな笑顔だった。顔も覚えていないのに、それだけは憶えていた。毎夜、遅くに父親の怒声となにかを殴る鈍い音が聞こえてきた。それが恐ろしく、耳を塞ぎ布団の中で身体を丸め収まるのを待っていた。気が付けば、朝になっており、いつの間にか寝ていたのだと知る。


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