少女のままで(2)
再び息を合わせて踊るように洞窟内を走り回る二人。ステップを踏み、ターンして、さらに切り返し、致命を狙った攻撃を放つ。手数は向こうが圧倒的に有利。こちらはその隙を掻い潜って一撃必殺を狙うしかない。自然と防戦一方になる。
「アイズ!」
怯え、泣きながら名を呼ぶリリティア。アイリスの言葉を信じるなら彼女の命が脅かされることはない。だから今はその存在を忘れるよう努める。集中しなければ、この相手は倒せない。
(強い! 前のアイリス以上かもしれない!)
だが理解できる。今なら、この猛攻の軌道だけでなく意味までも理解できる。
(本気で私を殺しに来ている)
数多の触手、その全てに宿る明確な殺意。それは自らの死を望む意志の裏返し。本気で殺そうとしなければ、確実に殺してもらえない。相手が躊躇ってしまうことを恐れている。だから――
逃げ回りつつアイズは問いかけた。
(そんなに私を信じているのか? 信じられるのか?)
攻撃の嵐のその隙間から見えた少女の瞳も回答する。
(はい)
ならば、その信頼に応えなければならない。アイズは生まれて初めて、自分の意志でそう決めた。天士としての使命ではなく、アイズという一個の存在をかけて応じるべきだと。
そのために見ろ、見ろ、見ろ!
もっと遠くを、もっと先を!
未来を、この両目で!
「!」
見えた――その未来に向かって躊躇無く踏み出す。アイリスを倒せる唯一の手順。数秒先の未来まで予測し導き出した答え。それに現在の自分の動きを重ね合わせ、触手と触手の間に強引に身を滑り込ませる。無数の傷からは血が噴出した。
構わない。さらに上体を捻じって奥へ。頬を切り裂いた一撃も無視。
「ッ!?」
激痛が膝を貫く。避けたはずの触手から鋭い棘が飛び出して貫かれた。けれどそれも見えていた未来。覚悟していたから動きは止まらない。天士の膂力で強引に棘をへし折り、もう一歩。
ここだ、この間合い、ここからなら心臓を攻撃できる。次の瞬間にチャンスが生まれる。
だが疑念を抱いた。本当にそんなことが起こるのか? この両目が見た未来はあまりに荒唐無稽なものだった。非現実的だ。ありえない。
そう思ったが、それでも彼女は信じた。信じるしかなかった。
「やめてっ!」
「!」
――アイリスに背後から組み付くリリティア。こちらの動きに集中していた分、背中は無防備になっていた。そこに少女が飛びかかったのだ。
人質の予想外の行動に動揺するアイリス。一糸乱れぬ動きで制御されていた無数の触手の軌道にわずかなブレが生じる。
そして間髪入れずアイズの突き出した剣の切っ先が隙間をなんなく潜り抜けた。
今度こそ、それは少女の形をしたものの胸に吸い込まれ心臓を貫き、そこに宿っていた魔素結晶を破砕する。甲高い音を立てて砕け散り、機能を停止した。
「……ああ、ここでおしまいなのですね」
終わりを望んでいた。けれど、いざその時が来るとやはり寂しい。そんな顔で俯く少女。やはりシエナの時のように本来の肉体に属さない部分――触手だけが末端から銀色の霧になって拡散していく。
いや、ドレスもだ。これも『アイリス』の力で再現していたものだったらしい。
アイズは訊ねる。どうしても訊いておきたい。
「満足できたか?」
これは彼女の望んでいた終わり方とは違うかもしれない。リリティアという第三者の介入を許し、アイズの独断でそれを受け入れた。
不本意なのでは? そう心配する彼女に対し、少女は穏やかな笑みを返す。
「いいえ……おかげで最後にまた、人の温もりも思い出せました」
「……そうか」
「温かいですね人間は。なのにどうして、あんなことをしてしまうのか……」
少女は自分に組み付いているリリティアの手に触れ、天を見上げた。
「みんな貴女のように、清らかだったら……いい、のに……」
膝をつき沈黙する少女。顔は天井を見上げたまま両頬を涙が伝う。
リリティアはそんな彼女から離れ、アイズの横に並んだ。
「この人、死んじゃったの……?」
「ああ……」
それが彼女の願いだった。その願いを叶えてやれたことに満足しつつ、アイズは一つだけ大きな後悔を抱く。
「名前を、聞いておきたかった……」
先に訊ねておけば良かった。彼女の本当の名はなんだったのだろう? 少なくとももうアイズにとって、この少女達は『アイリス』ではなくなっている。それぞれが異なる名を持ち、自分の人生を歩んで来た『人間』だったのだ。
ようやく、それを理解出来た。
血を流し過ぎた。流石に動けず、しばらく洞窟内で休んでいると意外な救援が現れる。
「副長!」
トークエアーズだ。鉱夫達が持っていた採掘道具を使い、強引に壁の亀裂を広げて中に侵入して来ようとしている。
「エアーズ、何故ここに?」
「ザラトス閣下からここで起きたことを聞いて来ました! すいません、実は団長の指示でずっと副長達を監視していて――」
「それは知っている。何故クラリオに戻らなかったのかを知りたい」
「えっ、そ、それは……」
アイズなら気付いてるかもしれない。そう思っていたので、監視がバレていたこと自体に驚きは無い。だが、たしかにこの状況なら自分はクラリオに戻るべき。現に同行していたキッカーはそう主張して一人で戻った。こちらは駄々をこねてサラジェに残ったのである。
何故かと問われれば、実のところ彼の中ではすでに答えが出ている。けれど、まだそれを正直に打ち明ける勇気は無い。
「と、ともかくすぐにそちらへ参ります! お二人はご無事ですか!?」
「ああ、リリティアは無傷だ。私も、命に別状は無い」
「アイリスは!? まだそこにいますか!」
「……」
部下が彼女を『アイリス』と呼んだことに心苦しさを覚える。だが、それ以外に呼びようが無いことも事実。
「ああ……倒した」
「お一人で!?」
驚愕するエアーズ。そうだが、到底誇る気にはなれない。
「向こうが、それを望んでいたからな……」
でなければ勝てなかった。シエナの時もそうだったのだろう、本来『アイリス』は天士が一人で対抗できる存在ではない。今回のことでそれがよくわかった。
そして別の事実も。
「ふ、副長っ!?」
どうにか中へ侵入してきたエアーズは服が破け、肌を露にしたアイズの姿と全身の怪我に大いに慌てふためく。
「こ、これをどうぞ……」
そう言って自分の上着を脱ぎ、差し出して来た。この姿で人前に出るのは流石にどうかと思っていたので素直に受け取る。
「感謝する」
「い、いえ……リリティアもご無事でなによりです」
「アイズが助けに来てくれたから……」
リリティアは今なお恐怖が抜けきっておらず、ずっとアイズにしがみついている。おかげで上着を着替えるのに苦労した。
上半身裸でそっぽを向いたエアーズは周囲を警戒しつつ提案する。
「そ、その、歩けないようでしたら、私が背負います」
「問題無い、歩く程度ならできる。十分に休んだ」
天士の回復力は人間のそれとは異なる。そんなことはエアーズとて知っているだろう。アイズは呆れ顔で立ち上がった。そんな彼女を支えるように腕の下に潜り込み、下から持ち上げようとするリリティア。
エアーズからは見えない角度で、本人もまた気付かぬまま彼女は――少しだけ口角を上げる。
「がんばってアイズ、いっしょに帰ろう」
「ああ……」
ほんの少しだけ体重を預け、頼りながら歩き出した。そして、この手で奪った命に誓う。
(ブローチだけは本物だった……だから、これを持っていく。約束だ、いつか必ずナルガルの土に埋める。君も故郷へ帰るんだ)
それもまた自分の使命だと思った。
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