違和感(2)

 一行がアイズに導かれて暗い坑道の奥へ進むと、なるほど手持ち照明の光に照らされ壁面に深い亀裂が浮かび上がった。ちなみに彼等が持っているそれはソルジェ灯といって陽光石を加工した際に出る微細な破片を再利用したものである。坑道内は気温が一定に保たれており常に寒い。だから内部の陽光石が光を放ち、同時にその光を浴びた者達の身体も温めてくれるという仕組みだ。

「おお、こんなところに……」

「前回の調査時には見つかりませんでしたね」

「こんなに奥までは来なかったからな」

 左の坑道はいくつも分岐していて複雑な構造。見取り図を見てもなお迷いそうになる。アイズがいたおかげですんなり辿り着けたが、そうでなかったらこの亀裂を見つけ出すだけで一月かかっていたかもしれない。

「最近できた亀裂のようだ」

 兵士達の照らしたそれを改めてじっくり観察するアイズ。なんとか潜り込めそうだが、女の彼女でも狭く感じる。この中ですんなり通れるとしたらリリティアだけ。

「地震か?」

「そう言えば十日くらい前に少し揺れたな」

「ああ、あったあった」

 おそらくその時に崩れたのだろうと推測する兵士達。アイズの目から見ても、崩れてからの経過日数はそのくらいに見える。

 ただ――

「妙だな……」

「どうされました?」

「自然に崩れたように見えるが、違う。そう見えるように偽装されている」

「偽装……?」

 喜びから一転、緊迫した表情で周囲を警戒する兵士達。ザラトスも表情を険しくして義手で剣を握る。手首の内側にあるスイッチを押すとバチンと音を立てて五本の指が閉じた。

「侵入者がいるということですか」

「おそらくな」

 しかも、その侵入者は地震によって緩んでいた地盤を的確に見抜き、そこを突いて崩落させたのだと推察できる。だとしたら普通の人間ではない。

 ザラトス達にとってこの鉱山は貴重な財産だ。当然、四六時中監視を立てている。その警戒網を潜り抜けて坑道に侵入し、彼等が求めるもののある場所へ先に忍び込んだ何かが存在する。それは、もしかしたら今も近くで彼等を見ているのかもしれない。

「魔獣かもしれん! 全周警戒! 民間人を中心に陣を組め!」

「ひ、ひいっ!!」

「冗談じゃねえぞ!」

 怯えながら集まる鉱夫達。その周囲を囲み、死角を生まぬようそれぞれの視界の隅々にまで目を配る兵士達。

 なのにリリティアはアイズの近くにいた。アイズは苛立ちながらその肩を押す。

「お前も彼等と一緒にいろ」

「やだ、アイズの近くがいい!」

 きつく腕にしがみついて来る少女のその怯え方は尋常でない。おそらく魔獣に襲われた時の恐怖が蘇ってしまったのだ。

 しかし彼女を庇いながらでは戦いにくくなる。そう思ったアイズは、もう一度少女を押し退けた。

「邪魔だ、今は離れ――」


 突然、手応えが無くなる。


「なっ!?」

 驚きながら振り返ると、何かがリリティアを掴んで空中高く持ち上げていた。それは人間や他の天士の目では捉えることのできない透明な触手。見覚えがある。

 まさかと、そう思った時にはもう遅かった。彼女の見逃してしまったそれは凄まじい勢いで少女を亀裂の中に引きずり込んでしまう。

「アイズ! アイ――」

 自分の名を呼ぶ声がどんどん遠ざかって行く。しかも、かつて見たあれと同じ銀色の物質が壁となって視線を遮った。やはりすぐ近くに隠れていたのだ。リリティアに気を取られていて気が付けなかった。

 ここにいるのが何者なのか、確信を抱いて焦りが募る。無意識のうちに叫ぶアイズ。

「リリティア!」

 昨夜感じた甘い締め付けは、遥かに強い力となって彼女の心臓を掴んだ。




「くっ……!」

 アイズは突然甲冑を脱ぎ始めた。絶世の美女の予想外の行動に男達は狼狽える。

「アイズ殿、何を!?」

「外へ出ろ! お前達にあれの相手は無理だ!」

 アイリス――間違いない、あの透明な触手と銀色の物質。魔素なるそれを操ることが可能なのは一ヶ月前に倒した少女と同様の存在だけ。

 あれが生きていたのか? それとも他にもまだ同じ身の上の子供がいたのか? 次々に浮かんで来る疑問は、けれども別の思考にかき乱されて消えてしまう。


 リリティア、リリティア、リリティア。

 あの少女の顔が脳裏から離れない。


「アイリスですと? クラリオを襲った最強の魔獣がここに!?」

「そうだ、だから急いで脱出しろ! 奴がその気になったらサラジェは一瞬で滅ぶ! 今のうちに避難してクラリオに救援要請を出せ!」

「……承知!」

 流石に判断が早い。ザラトスは兵達を率いて鉱夫を守りながら元来た道を引き返し始めた。だが、その前にアイズに向かって自分の持っていたソルジェ灯を投げてよこす。

「お使いください!」

「感謝する」

 受け取って一旦下に置くアイズ。彼女自身には必要の無いものだが、もしかしたらリリティアを一人で脱出させることになるかもしれない。その時には明かりが要る。ザラトスもそれを見越して貸してくれたのだろう。

 甲冑を全て脱ぎ、鎧下着と靴だけの格好になったアイズは子供一人がようやく通れるような狭い亀裂に無理矢理自分の身体を押し込んだ。

「うっ……!」

 やはり狭い。だが、天士の膂力でなら強引に進めなくもない。

 咎った石が服を貫き、その下の皮膚にまで食い込んで来る。その状態で強引に前進すると流石の天士の肉体にも傷がついた。血を流し、痛みに歯を食い縛りながらさらに前へ。幸いにもそれほど長い道のりではない。広い空間に出るまでせいぜい三十m。

「まっ……て、いろ……!」

 前回の戦い以上の苦痛に苛まれ、何度も同じ疑問を抱く。

(私は、どうしてこんなことを?)

 たかが人間の子供一人、見捨ててしまってもいいはずだ。戦略的にはザラトス達と共に脱出する方が正しい。今こうしてロクに身動きも取れない状態で攻撃されたらどうする、反撃しようがない。一方的に嬲り殺されるだけだ。

 そんなことはわかっている。なのに、どうしてもその正しい判断ができない。

(壊れてしまったのか?)

 今の自分はもう天士とは呼べない、正常に機能しなくなっている。ついには幻覚まで見え始めた。

 狭い……そう、こんな狭くて暗い路地。そこで彼女の前を走っていた少年が振り返る。どういうわけか顔だけが見えない。けれど自分にとって近しい関係だった気がする。そんな彼が懐かしい名を呼ぶのだ。


『大丈夫だ、来いノーラ』


 ノーラ? それが自分の名前? どうしてそう思うのか、今の彼女にはわからない。


『怖かったら手を繋いでてやる』


 視界が縦に揺れた。きっと頷いたのだ。そして自分は手を伸ばす。まだ小さな、リリティアよりさらに幼い右手を。彼はそれを掴んで、複雑に入り組んだ路地を進み、やがて光が――

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