生き残った者達(2)
ザラトスを中心に復興を進めつつあるオルナガン王国も、今はそれほど余裕が無いはず。しかし最上級の賓客である二人に対しては十分なもてなしが用意された。普段粗食しか口にしないアイズは当然として、リリティアにとっても初めて見るようなご馳走がテーブルの上に並べられる。
なのに今日の彼女は物静かだ。いや、旅の途中からそうだった。帝国民に向けられる憎悪を目の当たりにして委縮したらしい。あるいはララヒルのように被害を受けた人々がそれでもなお子供の自分に優しく接してくれることが余計に辛いのかもしれない。
「話は聞きました、妻が失礼な振る舞いをしてしまったようで。しかと言い聞かせておきますゆえ、どうかご容赦のほどを」
屋敷の主でありながら二人より下座になることを選んだザラトスは、そう言ってリリティアに声をかける。けれども少女の表情は一向に晴れない。彼の隣のララヒルも申し訳なさそうに肩を落とした。
なんとか場の空気を良くしようと、ザラトスはさらに問いかける。
「リリティア殿はこのサラジェの出身だとか」
「あっ、はい……」
質問に無言で返すのは流石に失礼と思ったのだろう、切り分けた仔牛肉を慌てて飲み込んで返答する少女。老将は会話の糸口を掴み、微笑んだ。
「案内役としてアイズ殿に同道なされたと聞いております。鉱山の中にお詳しいので?」
「お、おじいちゃんが鉱山で働いていて、お父さんは子供の時に何度か連れて行ってもらってたんです。その話をよく聞いてました。それにわたしも二回入ったことがあります」
「ほう、どうして?」
「わたしが生まれた時にはもう廃坑だったけど、入口にいる管理人さんと知り合いなら奥の方以外は自由に入ってよくて、おじいちゃんが働いていた場所を見せてやるぞって言ってお父さんが案内してくれたことが……あと、学校の行事でも四年生の時に見学しました」
「なるほど」
納得するザラトス。それではつまり何も知らないのと変わらない。なら、この娘がアイズに同行させられた真の理由は別にあるのだろう。そう推察した。
もちろん、その考えはおくびにも出さない。
「それは頼もしい、我々もあの鉱山をなんとか復活させたいと思っているのですが、なにぶん移民ばかりで必要な知識に欠けていましてな、頼りにしておりますぞ」
「が、がんばります」
「はは、そう緊張なさらず。さあ、英気を養うためたくさん食べて下さい。リリティア殿は成長期でもありましょう。そういえば今はおいくつで?」
「十二です」
「そんな……」
突然ショックを受けたのはララヒルだ。彼女はついさっき、夫からリリティアの身の上について聞かされた。
「まだ十二歳の子に……私は、なんという態度を……」
「こら、泣くな。申し訳ない、妻は感受性が強い性質でして」
「大丈夫ですか?」
「どうかお気になさらず、食事を楽しんでください。これらは全て家内の手料理です」
「あ、そうなんですか。あの、とってもおいしいです」
「うううっ」
少女の気遣いに余計涙してしまうララヒル。ザラトスはそんな妻の背中をさすり、どうにか落ち着かせようとする。リリティアの年齢を訊ねたのは失策だった。旧帝国民の娘に妻がここまで同情してしまうとは。
結局その後はお互い、あたりさわりのない話をしながらそれなりに良好な雰囲気で食事を続けた。
一人ただ黙々と食事を続けていたアイズは、人間達のそんな様子をずっと冷淡な視線で見つめるのだった。
若干の疎外感を覚えながら。
――深夜、リリティアと抱き合う形で眠っていたアイズはゆっくりと起き上がり、下着姿のまま窓へ近付いて行く。休息を取る時以外常に甲冑を身に着けている彼女にとって、今は最も無防備な時間。だとしても警戒は怠らない。
街の住民達の一部が集まって来た。そしてこの屋敷を遠巻きに見つめている。
別に何かをするわけではない。けれど、彼等のその眼差しからはどれも敵意を感じ取れる。もし隙あらばと考えているのかもしれない。
(リリティアが旧帝国民だという情報は知れ渡ったようだな)
口止めもしていないのだから仕方なかろう。これはブレイブの指示だ。人の口に戸は立てられず、情報を封鎖しても必ずどこからか漏れる。だから嘘はつかなくていい、その代わりリリティアの身の安全に最大限配慮しろと言われた。
それでいいと思う。この身が全力をもって守るなら、対象を傷付けられる者などこの世には存在しない。ましてや人間など万人が束になっても容易く蹴散らせる。
そもそも全てを見通す瞳の前で凶行に走ろうとする者はいないはず――とはいえ、時に不可解な行動を選択するのも人間か、やはりここは眠らない方がいい。
音を立てるとリリティアまで目覚めてしまう。だから下着姿のまま窓辺に椅子を動かし、静かに腰かけた。一応、剣は手元に置いておく。
今この地に天士は自分だけ。つまり、この身とリリティアを脅かせる者は皆無。なのに次第に妙な感覚が湧きあがって来る。
落ち着かない。
どうしてか、そう感じる。この胸の奥にある何かが掴まれ、少しずつ締め付けられていくようなこれはなんだ?
(以前にも……そうだ、戦争が終わる直前、ナルグルを包囲していた時と同じだ)
もうすぐ戦争が終わる。自分達の地上での役割も。そう思った時、同様の感覚に陥った。
けれどこれは、似ていてもまた非なるものかもしれない。終戦間際に感じたものより優しく甘い締め付け。
(甘い、か……そういえばあの時、ジャムのついたパンを食べたな)
今日の夕食の最後にもララヒルが手ずから焼いた菓子が出て来た。菓子などというものは初めて口にしたが、人間が魅了されるのも納得できる味だったと思う。
終戦間際のあの日以来マトモな食事をしてなかった。そして一年ぶりの甘味。あのジャムの味を思い出せたのは、だからなのだと思う。
やがて気付く。外を見張っていたはずの彼女は、しかしいつの間にかリリティアの顔を見つめてしまっていた。眠り続ける少女に無意識に視線が吸い寄せられた。
「……」
さみしい。
(なんだ、それは?)
頭に浮かんで来た単語に軽く困惑する。意味は知っているが、どうして突然それを思い浮かべたのか全くわからない。
リリティアを預かって以来、夜はいつも抱き合って眠っていた。少女がそれを望み、こちらにも拒否する理由が無かったから。
けれど今日は、そうするわけにはいかない。もしもザラトスが裏切ったら? 他の人間達はともかく彼には可能性がある。万が一を起こすかもしれない、そう思わせるだけの実力者。
だから、そう……怖い。
そんな自分の思考にやはり混乱する。
(私は、もしかして、いつものように眠りたいのか?)
リリティアと抱き合って。
「さみしい……不安……これが、それだとでも……」
この胸を締め付ける優しい圧力は、その感情によるもの? だとしたら自分にもついに皆と同じ感情が芽生えつつある。そういうことになってしまう。
戸惑いながらもアイズは、この世でただ一つ確かなものであるかのように剣の柄を強く握り締め、寝ずの番を続けた。
外ではまだ、あの戦いを生き延びた人間達が屋敷を見つめている。よくよく見れば、それぞれの目には憎悪以外の感情も見て取れた。哀しみ、憐れみ、それ以外の何かがないまぜになった複雑な想い。
いつかは自分も彼等のように、不可解な存在になるのだろうか?
そんな想像がまた、不安を加速させた。
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