絶望的な戦い

 夏間近。されど空は暗く、冷たい風が吹く朝。三柱教の総本山である聖地オルトランドの北、なだらかな丘がいくつも連なる丘陵地帯にて帝国と連合の両軍は睨み合っていた。

「来た……ついに来た……」

「このオルトランドまで……」

「聖地まで、奴らが到達した……!」


 魔獣トーイ

 かつて邪神が率いた異形の獣。それが群れを成し連合軍を威嚇する。命令が下れば躊躇無く突撃して来るだろう。奴等に恐れや惑いは無い。あれらは普通の獣と違い、人工的に合成された兵器なのだ。

 鉄を通さぬ硬い鱗で覆われた狼。大きく飛び出した両目は昆虫と同じ複眼で広い視野と高い動体視力を誇り、執拗に獲物を追跡して確実に喉笛に食らいつく。

 人を背に乗せて運べる大蛇。敵と味方を明確に識別し、敵だけにその長大な肉体を巻き付けて捕え、騎乗者に差し出す。熱を感知する器官を有し、物陰に隠れたとしても逃れることはできない。

 空に無数に舞っている虫達は戦場を睥睨する目であり、同時に特攻兵器。肉食で強靭な顎を持つ彼等は敵陣の守りが崩れかけている場所を見つけると、そこに殺到し止めを刺す。しかも、いくら叩き潰されようとなんら問題にしない。死体に卵を産みつけ、すぐにまた新たな個体を発生させる。

 あまりにおぞましい生物群。しかし、そんな怪物の群れを率いるのは今や邪神ではない。同じ人間である。


「カーネライズ……!」

「帝国のクソどもッ!! 来いよ、かかって来い!!」

「どうせもう後は無い、一匹でも多く道連れにしてやる!」

 オルトランドを背にした連合の兵士達は怒りと憎しみに燃え、魔獣の群れとその合間や背の上にある敵兵の姿を睨みつけた。あれらはカーネライズ帝国軍。北の果てからやって来た者達。

 カーネライズ帝国は豊かではない。むしろ貧しい。だが歴史だけは深く、千年前の大戦以前から生き残っている数少ない国の一つでもある。

 千年前、神々のぶつかり合いで大規模な気候変動が起こり、帝国の位置する大陸北部は厳寒の地と化した。それでも残ったのは、かつての栄華を忘れられず過去にしがみついた者達だけ。子孫は一年の大半を雪に閉ざされるかの地で先祖の妄執に囚われ、細々とした生活を続けている。

 そんな版図だけは広い小国が半年前、突如侵攻を始めた。南に位置する隣国へ攻め入り、そこからさらに方々へと戦果を拡大させた。

 しかもそれは侵略でなく虐殺だった。狂気に憑かれた皇帝ジニヤは邪神の眷属たる魔獣を蘇らせ自国の兵器と化したのだ。彼が彼等に与えた命令は二つだけ。


 自身の命令が無い限り、帝国臣民を傷付けてはならない。

 逆に、他国の民は一人たりとも生かしておくな。

 皆殺しにせよ、根絶やしにせよ。


 ──たった半年、その半年だけで大陸の北半分は文字通りの地獄と化した。今も生きているのは運良く逃げ延びて南下できた者達だけ。難民の大半は背後にあるオルトランドに匿われている。

 だからここを突破されたらおしまい。大陸北部は完全に壊滅する。

 それに、事は北だけの問題ではない。狂帝ジニヤは皆殺しを宣言した。つまり帝国の民以外の全ての人間がいなくなるまで、この暴虐は終わらない。オルトランドが壊滅したら次は残り半分が狙われる番。よってまだ無事な国々は三柱教の呼びかけに応じる形で戦力の大半をここに集結させた。


 ここはすでに、最終防衛線なのである。


「クソッ、クソッ……もう、もうこんなところまで……」

「早く来い、早く来い、早く来い!」

「殺してやる。一匹残らず殺してジニヤの口に貴様等の臓物を詰め込んでやる!」

 兵士達は怯えているが、同時に憎しみにも燃えていた。それだけが唯一の救い。少なくとも戦意はある。協議の結果、連合国軍全体の指揮を執ることになった老騎士ザラトスは枯れた肉体から渾身の力を振り絞って吠える。


「兵士達よ! この聖戦の場に集った勇者達よ! 私はザラトス! カーネライズに最初に滅ぼされた国の生き残りだ!

 諸君に感謝する! 恐怖に打ち勝ち、この場に残ってくれた全ての勇気ある兵士に感謝する! 共に戦う者は全て我が同胞であり尊敬すべき戦士だ!

 友よ、信仰せよ! 神の愛を! 勝ち目はあると! 女神アルトルは全てを見通す眼でこの戦いを今も見守ってくださっているはず! ならば必ず我々の雄姿に心打たれ、勝利するための祝福を下さるだろう! 信じて耐え抜け! 各々持ち場を死守し、与えられた役割を全うせよ! たとえ死したとて我々は楽園に導かれ、奴らは地獄に落ちる! そうしたら天から見下ろし笑ってやれ! 狂帝ジニヤに味方した愚行を! 我等神に愛されし勇者へ立ち向かった無謀を!」


 彼は誰よりも前に出て馬上で剣を抜き、掲げた。

 そしてさらに声を張る。


「勝者はすでに決まっている! 我々が勝つ! 臆するならば、とっとと北へ逃げ帰るがいい! さもなくば挑んでみよ! 貴様等にその勇気があるか帝国軍!」

「鳴らせ!」

 合図と共に兵士達が武器をぶつけ合い、金属音を鳴り響かせる。さらに一斉に足踏みを繰り返し、大地を揺らした。終結した兵の総数は五十万を超える。その人数が発生させた地響きは波のように伝播してカーネライズ帝国軍にまで伝わった。


 ──一方、帝国軍を率いる将は疲れた顔で右手を持ち上げる。終わらせたい。こんな戦は一刻も早く終わらせてしまいたい。

 簡単なことだ、命じるだけでいい。


「……行け、全て喰らい尽くせ」

「グルァッ!」

 堅牢な鱗を纏った狼達が走り出す。大蛇も兵士達を背中に乗せ、巨体をくねらせながら前進を始める。雲霞の如く集まっていた肉食虫は戦場全体へと拡散していった。

「後は待ちましょう、いつものごとく」

「そうだな……」

 副官の言葉に頷く彼。誰も好き好んで虐殺などしない。惨たらしい光景も見たくはない。帝国兵の大半はそのまま自分達の陣地に残った。誰も彼もが疲れているか、精神を病んで虚ろな表情。


 どうしてこんなことに?


(少し前までは、我々も普通の人間だった……貧しくとも平穏な生活があった)

 一人の男が魔獣を蘇らせ、全て変わった。皇帝は血に飢えた獣と化し、臣民は彼の憎悪の矛先が自身に向くことを恐れ逆らえずにいる。兵士は命じられるまま望まぬ虐殺を繰り返し、すでにこの大陸の半分を蹂躙した。

 止められるものなら止めて欲しい。誰でもいい。もはや故郷が滅んでしまっても仕方がない。それだけの罪は犯した。

 だが無理だ。人間では魔獣に敵わない。どんな屈強な戦士でも奴等の力の前では無力な赤子と同じ。誰にも勝てるはずが無い。

 敵は名将ザラトスに指揮を委ねた。開戦から帝国と戦い続け、今もなお生きている彼はたしかに優秀な男。彼が戦いの中で研究し構築した対魔獣戦術も一定の戦果を挙げているようだ。

 それでもやはり足りない。決定的に足りていない。

 ここからでもよく見える。連合兵の奮戦ぶり。ザラトスの教えをよく守り、突っ込んで来る狼達を馬防柵で止め、石を投げつける。固い鱗を持つあれらに矢など射かけても無駄、弾かれるだけ。だが石なら衝撃である程度弱らせられる。そこに槍を突き出し、鱗と鱗の隙間、あるいは目や鼻、口などを狙えば倒すことは可能。

 矢は空中から襲いかかる肉食虫に対して使う。ありったけかき集め、あるいは増産したそれを惜しみなく空に向かって射る。あれらの甲殻は狼の鱗ほど固くない。当てにくいが、当たりさえすれば効果がある。


「火をつけろ!」


 何体かの大蛇が馬防柵を乗り越えようとしたところへ火が放たれた。あらかじめ燃料を染み込ませておいたのだろう。すぐに炎上し、後ろから投げつけられた追加の油の効果でさらに火勢を増す。

 魔獣は火など恐れない。しかし熱を感知する力を持つ蛇達にとって炎の壁は目眩ましになる。そこへ──


「怯むな、かかれ!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 何人もの兵士達が長槍を突き込む。自らも火に巻かれかねない危険な攻撃。しかし穂先は大蛇に突き刺さり、背に跨る帝国兵を転落させた。しかも後方で控えている弩が極太の杭を射出して止めを刺す。

 見事だ。狼と虫と蛇、それだけなら数で圧倒的に勝るザラトス達が勝っていたかもしれない。帝国は元々小国。しかも侵攻した国をいちいち壊滅させて進んで来た。常に寡兵で、魔獣も虫の他はそう簡単に増やせない。少数であることが唯一の弱点。


 だが、だとしても無意味。彼等が対抗策を打ち立てるまで時間がかかりすぎた。成長し発展するのは人間だけの特権ではない。あの三種に手を焼いている時点で結局勝ち目など無いのだ。


「思ったより手を焼いていますね」

「そうだな、本国から届いたばかりのあれも投入しろ。長く苦しませず一気に片を付けてやれ」

「はっ。新型を全て外に出せ!」

 副官の命令で何頭もの馬車に引かれた巨大な檻が開放される。これで決まり。最初から全ての魔獣を投入しなかったのは、ほんの少しだけ期待していたから。

 けれど、彼等ではこれに勝てない。それがわかった。

 帝国の将は天を仰ぐ。

「お許しを……」

 自分達は仕方がない。でも、せめて故郷に残して来た家族には慈悲を。彼等には何の罪も無い。

 祈る彼の横をすり抜け、解き放たれた“新兵器”は戦場を目指す。

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