三月二十日 6

 早速神主は、掛け軸を鴨居に引っかけて、するすると開いていった。


 少し幅広の一幅には、ざんばら髪で無精髭の生えた二級の生首が描かれていた。カッと見開いた生首の目玉がまるで夜須自身を睨んでいるように見える。歯を食いしばり、唇が歪んでいる。血こそ描かれていないが、妙に生首が写実的なだけに斬り口の肉のめくれ具合まで生々しい。生きたまま斬られたように見えた。


「これ、宗順が書いたと聞きましたが」


 夜須の言葉に神主が目を輝かせる。


「そう。ここに筆名があるんです。ただ、宗順はこれを絵画としてみなしてなかったようで、落款を押してませんし、書かれた元号もわざと消してあるんですよ。これが何のために描かれたのか分からないですけど、だれかに見せるために描かれたんだと思うんですよね。いくつか説はありますけど、誰にもどれが正しいか分からないんです」


 夜須の返事を待たず、神主が続ける。


「でね、この生首の掛け軸、宗順が沖の島の寺に身を寄せていた間に描かれたものらしいんです。九相図の依頼があって、この島まで来たようです。ほら、淨願寺の九相図。多分あれを描くためでしょうねぇ」


 神主はさも自分事のように自慢した。


「ですが、この絵はテレビでも紹介されて、当時十六歳やったうちも出演したんですよ! この生首の目が動くってね。当時は蝿か何かが止まっていたのを見間違えたんやとか言われたですけど、この目、どこから見ても、こちらと目が合う気がするんですよ」


 夜須は午前中にガイドで耳にしたご落胤と家来二人の話を思い出した。


「ご落胤の伝説を聞きましたが、それがこの掛け軸ですか」

「そうでなくとも歴史的にも貴重なものですけど、いかんせん元号が消されていますから……」


 神主が残念そうに眉を下げた。


「でも、ご落胤と家来二人ならば、首級が三つないとおかしくないですか?」

 伝説では、三人の首が切られたとある。それが本当の話ならば、掛け軸の首は三つないと伝説と異なる。


 夜須の言葉に神主がのんびりと答える。


「おそらくね、ご落胤の首級は別の掛け軸に描かれていて、家来の首級の絵だけが、なぜか源氏に引き渡されず、この神社に保管されたのかと」


 それを聞いて、夜須はご落胤の逸話を真実ではない、と断定した。なぜなら、もしこの掛け軸が本物なら、ご落胤の首級の絵が残されていてもおかしくない。実際には平家のご落胤など存在せず、作られた伝説なのだ。


 ただ、その後自死した娘を先頭にご落胤と家来の怨霊が志々岐島を練り歩いているという話は、まさしく御先様のことなのだろうと思った。


 鵜来島のミサキは、海で行き逢った船を沈める、海の妖怪だ。御先様と一番近い妖怪は、七人ミサキ、七人同行などと呼ばれる存在だ。御先様の場合、七人の亡霊はいないが、分類としては前述の妖怪と似ている。


 行き逢うと海に牽かれて死んでしまうという点も、行き逢い神とされる七人ミサキと同じだ。


「御先様は一体何人怨霊を引き連れているんですか?」


 必ずしも七人でなくても良い。現に長宗我部元親を含む八人の武士が殉死して怨霊となった七人ミサキは、何故か八人ではなく七人とされる。名前通りに七人という決まり事ではないのだ。


「そうですねぇ、娘とご落胤とその家来二人。これは言い伝えですけど、源氏の夜須七郎に命じられてご落胤達の首を刎ねさせたのは、和田津集落の惣領とその息子や言われてます。この二人は怨霊に祟られて海で亡くなり、御先様の行列に加わったのです。だから六人なんですねぇ。娘を先頭にご落胤と家来二人、惣領親子の順番で並んでいると伝えられています」


 志々岐島の御先様はひとり足りないパターンなのかと納得して、この逸話を研究論文に書いていれば、もっと完成度が上がっただろうな、と夜須は悔しくなった。もう少し早く、論文を提出する前にこの話が聞けていれば良かったのに、と三月に入ってから連絡してきた交野に腹が立った。


「それにしても、何故二十二日だけなんですか」

「そりゃ、おまえさん、ご落胤が首を斬られたのが二十二日だからですよ。それで、自分の首が斬られたのを恨んで怨霊になったんです。同じように二十二日に集落で行き逢った島民の一人を海に牽いて殺し、首をぐんですよ。まぁ、今は島民が二十二日に海で亡くなることはないです。その前に外を出歩いたりもしないんですけどね」


 すると、神主が複雑そうな表情を浮かべた。


「そんなわけでもないんですよねぇ。観光客が増えてやはり不注意から事故が起こって、毎年三月二十二日に亡くなられて、碧の洞窟に首無しで上がるんですよ。それに、最近は都会に出て行った若者が戻ってきて、風習など関係のう出歩くなんて事もあって、奇習自体も廃れてきてはいるんですけど……こればっかりは説明も付かないから、民宿に籠もっていろとは言えんわけでして……」


 困り果てている面持ちで神主は茶をすすった。


「ただね、昔と比べると、毎年海で亡くなられる方は増えているんですよ。人死にが出るのが二十二日だけではなくなったのと、身元不明の死体が島近うで引き上げられるのと、昔とは比べられんくらいには。ですけど、明らかに御先様に海へ牽かれた方の死に方は本当に残酷なんですよねぇ……。潮流に巻き込まれるかして、岩場に擦られて首が捥げて、首無し死体で碧の洞窟に上がる。必ず、です」

「例えば牽かれなかった犠牲者が碧の洞窟に上がることはあるんですか」

「ないんじゃないかなぁ。不思議なことです」


 神主が否定するように手を振った。


 夜須は生首の掛け軸で中断されたシジキチョウの話を振ってみる。


「シジキチョウは水死体の肉を食うんでしょう? 碧の洞窟でなくても出現するのでは?」

「出るというのは聞いたことがあるんです。漁師がひるこさんを引き上げますしね。つい先日も船がひるこさんを連れて戻ってきたましたけど、若い子が蝶を見た言うてましたねぇ」


 まさに十九日に港でたむろしていた漁師達のことではないだろうか。やはりシジキチョウを見ていたのだ。それを何故秘密にして夜須を邪険に扱ったのだろうか。


「漁師は縁起を担ぐと言われてましてね、ひるこさんを連れて戻ったことも秘密にせんと豊漁が続かん思うんですよ。その割にはちゃんと警察には届けてますけどね」


 神主の言葉には一理ある。それならば、漁師が夜須を追い払ったのも頷けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る