第10話

      ◆


 ブブは俺に自ら何の説明もしなかった。だから俺の方からつつくことになった。

「さらに後退する。敵が迫っている」

 まず彼はそう口にして、次に「スタンドアッパーは使えるのか」と確認してきた。

「それが俺の仕事だ。報酬の分は働く」

 いいだろう、と頷いたブブが離れていこうとするので、俺はとっさに彼の腕を掴んでいた。これにはブブよりも、彼のそばにいるゲリラ兵が反応した。自動小銃を構えたのだ。もちろん、銃口は俺に向いている。

 よせ、とブブが言ったことで、全ての銃口が下に向いたが、俺としても度胸が試された。試されたが、戦場で整備士をしていれば、これくらいの殺意、暴力の気配には慣れている。それにブブが心変わりして俺を蜂の巣にするように命じるとは思えなかった。

「電子的妨害をしていると聞いた」

 俺の言葉に、ブブはすぐに応じなかったが、目元がかすかに震えた。

「誰から聞いた?」

「誰からでもいいだろう。その電子的妨害とやらは、本当に機能しているのか?」

「そのはずだ。実際、今までは他の武装勢力から、偵察の結果と思われる攻撃はなかった」

「ついこの前、俺がいた場所をどこかの誰かが、いやに正確に砲撃してきた。あんたもあの場にいたはずだ。あれはどう説明する。まさか、まぐれとは言わないよな」

「私にもわからん」

 ブブの目を俺はじっと見た。奴の黒い瞳の奥には何かがありそうだったが、それが何かはわからなかった。怒り、苛立ちのようでもあり、一方でもっと粘り気の強い感情のようでもあった。

「本当か?」

「本当だ」

 俺は問い詰めることを諦めた。時間的余裕はそれほどない。

「後退する場所があるのか」

 別の話題を振ると、ブブはどこか雰囲気を緩めたが、もちろん、弛緩しきったりはしない。ここは戦場なのだ。彼はゲリラの指揮官の一人だ。組織の行動の責任、兵士たちの生死の責任は彼の肩に乗っている。

「まだ余裕はある。戦線を縮めて、敵の攻勢をやり過ごす。イカロス、あのスタンドアッパーはすぐに使えるのか」

 フェンリルⅢ型のことだ。

「さっきも言った通りだ。使える」

「操縦士は誰だ」

 思わず俺はもう一度、ブブの顔を見てしまった。その顔には本当に操縦士について知らない、という色があった。いったい、ディアナは誰の依頼でここへ来たんだ?

「傭兵だよ」

 俺が答えるとブブは途端に納得したように頷いた。その顔に理解が浮かんだので、俺としてもホッとした。揉め事はごめんだし、ディアナという有能な操縦を手放したくない。

 ブブがちょっと笑みを浮かべる。

「拠点で合流するはずが、その拠点が敵に制圧されたからな。巻き込まれて逃げたと思っていたよ」

 その言葉に、さもありなん、というのが俺の感想だった。傭兵どころか、元々からのゲリラ兵にだいぶ損害が出ているはずだ。

「俺もそうだが、あの操縦士も、誰が雇っているんだ?」

 思い切ってブブに問いかけてみたが、知らないな、という返事があり、私にはやることがある、と彼は一言で俺の追撃を防いだ。食い下がろうとしたが、ブブは一顧だにしない。

「あのスタンドアッパーには敵に圧力をかけてもらう。その間に我々はもう少し後退しよう」

「圧力って、他にもスタンドアッパーが用意されているのか? ここにはスタンドアッパーは一台しかないぞ」

 当たり前のことを、という顔つきでブブが静かに言った。

「我々が所有しているスタンドアッパーでまともに動くのは、お前が整備したその一台きりだ」

 それはまた、最悪な展開だ。

 しかし動けない機体はあるのだ。

「他の機体とやらを整備した方がいいんだろうな」

 こちらから提案したが、してから、交換できる部品の在庫もなければ、整備に必要な大型設備もないと気づいた。

 ただ、やりようはある。

 指揮官が否定しようとするのを、こちらから声をかぶせる。

「なぁ、ブブ、これは提案なんだが」

 聞こう、という視線が返ってくる。

「圧力をかける途中で、あのスタンドアッパーに敵機を鹵獲させるってのはどうだ。それで部品も武器も手に入る。あれに乗っている操縦士の腕は確かだ。俺が保証する。うまくやるだろう」

「手元に武器もなく、どうやって鹵獲するというのだ? 手品か? 魔法か?」

「技術だよ」

 ブブが鼻で笑ったので、俺はとっておきの情報を出してやった。

「あれに乗っているのはリンベルグ渓谷で戦った操縦士だ」

 効果は大きかった。ブブはうつむき、何かを考えた後、「鹵獲できるならやって見せてもらおう」と言った。素早い変わり身だ。

 俺は彼の肩を叩いて、もうこの指揮官のことは忘れることにした。

 フェンリルⅢ型に近づくと、マイクで音を拾っていたのだろう、巨体が俺の方に向き直った。そこに声をかけてやる。

「いきなりで悪いが出撃だ! 敵のスタンドアッパーを鹵獲するんだ!」

 返事はすぐになかった。

 だが返事には力強いものがあった。

「できる限りのことはする。整備士殿からの注文は?」

「できる限り無傷で、だ」

 無茶を言う、というディアナの呟きが律儀に外部スピーカーから漏れた。

 そのスタンドアッパーは敬礼のようなポーズを取ると、「支援の準備をしておいてくれ」と音声を発し、歩き始めた。

 俺の背後ではブブがゲリラ兵たちにスタンドアッパーについていくように指示している。

 敵機を鹵獲するとしても、搭乗しているディアナだけではどうしようもない。敵の操縦士を無力化する必要もあるし、無力化した機体を運ぶのにも人の助けがいる。援護も必要だ。

 俺もついていきたいところだが、他にやることがある。

 ルザを呼んで、ブブから他の動けないスタンドアッパーとやらがどこに隠されているか、聞き出すように命じた。律儀に頷いたルザがブブの方へ走っていくのとすれ違い、俺は広げていた工具をまとめ始めた。

 一度はなくしかけた工具があるのは、心の安定に大きな力を発揮する。

 ディアナがうまくやれば、スタンドアッパーが手に入る。まともな操縦士がいるかは不明だが、戦力にはなるだろう。鹵獲した機体を補修して使ってもいいし、そこから部品を引っぺがして手元にある機体の補修に使ってもいい。

 工具をまとめ終わった頃、ブブが一人の兵士と戻ってきた。誰かと思えば最初に会った一人、ヌダだった。お互いに握手をして無事を祝い、すぐにヌダは話を始める。

「軽トラックを一台、借りました。三人で拠点を回って、スタンドアッパーの状態を確認して作業するように、とのことです」

「全部で何箇所だ?」

「三箇所です。スタンドアッパーも三台。うち一台は見込みはないようです。その一台から部品を外して、ここの部隊のスタンドアッパーを動かしていました。残っているのは残骸だと、見たことがあるものから聞きました」

 つまり二台、か。

 ニコイチが成立する見込みもないということになる。ではサンコイチか。

 時刻はすでに日が傾き始めている。

「夜の間に現場につきたい。その残骸とやらを最初に見よう。使えそうなものは全部回収する」

 お手伝いします、と力強い返事がヌダからあり、ルザも頷いた。

 その日のうちに俺たちはその場を離れた。運転席には道を知っているヌダ、助手席に俺、荷台にはルザだった。荷台は今はスペースがあるが、機関銃が載っている。ついでに弾薬の入った箱もある。

 気づくと俺は、自分で整備したフェンリルⅢ型の駆動音を思い出していた。問題はないはずだ。機関部も、駆動部も異常はなかった。

 無事で帰ってきてもらえればそれでいい。

 いや、機体は無事じゃなくてもいい。

 操縦士が帰って来ればいいのだ。

 森は静かだった。その静けさを、軽トラックのエンジン音が唯一、決定的に乱していた。



(続く)

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