エクイヴァレント・イクスチェンジ
「僕の使う魔法は、君たちの使う魔法とも他の世界の魔法とも根本的に術理が異なる」
学園校舎のある図書館の一室。
世界最高峰の学舎として、そこには多くの学術書・魔導書の原本、写し本等々が納められている。まだ新学期が始まって一週間、もう少し時が経てば日々の課題や自身の研究に励む生徒で溢れかえるだろう。少なくとも新生活が始まって一週間で図書館に足を運ぶ者は相当なもの好きだ。
当然、書架の中机を挟んで向かい合うアルマとトリウィアも物好きに入るのだろう。
「この世界の系統魔法も含め、大概の世界の魔法は物理現象の再現だ」
机の上、広げた小さな右手の平の上に小さな水球が生まれる。
拳よりも少し小さいくらいのサイズのそれは落ちることなく浮き続ける。
煙草を蒸かすトリウィアは眼鏡を抑えながら黙って聞いていた。
ただ何も見逃さぬように、聞き逃さぬように、アルマの掌を凝視ししていた。
「体内、或いは周囲にある力、魔力とか呪力とか精神力とか、とにかく呼び方は千差万別だけど何かしらのエネルギーリソースを消費して、術式や個人が先天的に持つルールに乗せて魔法を発現するわけだ」
水球を左指で軽く触れると、それが一瞬で氷の玉になった。
それを掌で握るとすぐに蒸気が上がり、何も残らなくなる。
「…………お見事」
ただ、トリウィアの眼鏡が曇って真っ白にはなったが。
「おっと失礼」
「いえ、よくあることですし」
曇った眼鏡のフレームを何度か叩けば、視界のクリアさが戻ってくる。
「君にも見事と言っておこう。実にスムーズだ」
「これくらいは日常使用の範囲ですしね。この2か月で完全に系統魔法を把握しているアルマさんにはとても」
「うむ。その賞賛受け取っておこう。学習と修練は得意分野だ」
アルマは口端を吊り上げながら顎を上げ、トリウィアは肩を竦めながら形の良い唇から煙を長く吐き出した。
「話を戻そう。世界によって差異はあるにしても現象の再現、あるいはそこからの改変ということは共通している。ある世界にはない現象だとしてもどこかの世界にはあるからね」
「ふむ……私たちの魔法系統も確かに物理現象に存在します。ただ『封印』や『時間』、『浄化』というものは?」
「『封印』は『鎮静』とかで代用できるだろう。要は活性状態から非活性状態への移行だ。『浄化』も毒素や害の排出だし。観念としてまとめられているだけだ。『時間』にしてもそうだね。普通に生きていたら物理的には触れられないとしても確かに存在しているのだから」
「……ふむ。確かに私たちは1つの結果をそれぞれが持つ系統で独自に再現するものですしね」
小さく頷く。それはトリウィアにとっては前提であり、常識のようなもの。
ウィルとアルマを除けばこの世界で最も多くの系統保有者であり、この世界で有数の魔法研究者にとっては今更過ぎる話だ。
それでも彼女はその話を遮らない。
これが前置きであることを分かっているから。
「では、僕が得意とするものは何かというと」
アルマは机の上に重ねられていた本を取る。
何てことのない本だ。重なったそれはこの世界の地図や風土、宗教、文化のもの。アルマがこの世界を学ぶためにトリウィアが選んだ参考書だ。
「王国の歴史入門」という本だ。
それを手にしながら、逆の手で指を鳴らし、
「こういうこと」
本だったはずのものがマグカップになっていた。
二人の間に漂う珈琲は紛れもなく本物だ。
「…………うぅむ」
眼は離していなかった。
なのに、いつの間にか本がマグカップに変わっていたのだ。
「ほら、どうぞ」
「どうも…………ぐあっ」
貰った珈琲に口をつけたらあまりの濃さにトリウィアは仰け反った。
またしてもいつの間にか同じものを取り出したアルマは当然のように喉に流し込んでいるが。
「……………………濃すぎます。よく飲めますね」
「僕にはこれくらいがちょうどいいんだ」
肩を竦めながらマグカップを置き、
「僕が使う魔法は言ってしまえば現実の改変だ」
両手の間に小さな白い光が生まれる。
手を広げればそれは線になり、複雑な文字とも模様とも言える図形にゆっくりと変化していく。
「≪アカシック・ライト≫、と僕は呼んでいる。これを媒介として世界法則そのものに干渉・改変するというわけだ。今はだいぶゆっくり出したけど、さっきみたいに小物を出したりするくらいならもう必要なくなった。昔は予備動作色々必要だったけどね」
「……うーむ」
青と黒のオッドアイが細まり、≪アカシック・ライト≫を凝視するが、
「私にはどうにも理解しきれませんね。何か特別な力がある……というのだけはなんとなく解りますが、それにしてもどういう原理なのか全く謎です」
嘆息しながら煙を吐く。
「そりゃそうだ。僕だってこいつを出せるようになるのに10年くらいかかったんだぜ?」
「……そんなに?」
「僕にもそういう時期はあった。そっから術として確立させるのにも随分かかったしね。今みたいにあれこれ自由にできるのは……えぇと、700年くらい前かな」
「……つまり、完全に習得するのに300年は掛かると」
「まぁね。もっとも、僕の場合はかなり効率は悪かっただろうが」
思わず苦笑してしまう。
アルマの特権≪森羅知覚≫は得られる情報量そのものは文字通り世界全てだが、かつての彼女にはそれを正しく処理することができなかった。
まさしく出会った頃のウィルと同じと言える。
できることが多すぎて、逆にできない。
眼の前にあらゆる知識があるけれど、それ通りに実践するのは簡単なことではなかったのだ。
「これは単一世界だけではなく、マルチバースの根底に通じる力だ。難易度は当然高い」
「……後輩君が、あの魔族を倒したのもその力ですか」
「そうだね。ただあれは僕がサポートした上だ。ウィルもウィルで特別だからできる可能性はわりと高いけどそれでも一朝一夕……いや、うーん。彼は次元門は開いてたしな、模倣くらいならいけるか。無理をすると脳が弾けそうだから基本やらないようにとは忠告したけど」
「なるほど」
頷き、煙草の灰を灰皿に落とす。
咥え直して煙を深く吸い込んでから吐き出して、
「――――私は、可能ですか?」
「可能だ」
聞いたのは即答だった。
「マルチバースを理解すれば使えるんだから使えるのが当然だ。難易度が死ぬほど高いだけでね。その点君は僕から見ても実に優秀だ。総合力という点で見ればクリスマス……建国祭で集まった人間でも最高級だろう。故にできる」
紅玉の瞳を輝かせ、掌に魔法陣を浮かべた彼女は笑う。
「時間は掛かるだろうけどね」
「けれど不可能ではない。知ることができる」
ならばと、トリウィアの唇が薄く歪む。
酷薄、とさえ言っていい。
普段無表情な彼女だが知識に、知ることに呪われたと自らを嘯く彼女は、目前に広がる途方もない未知に歓喜しないはずがない。
或いはそれが途方もないものだとしても。
ただの未知ではない。
本来この世界に生きていれば知ることができるはずのない叡智。
人生を懸けても満足することはないのかもしれない。
自分には身の丈にも合わないものかもしれない。
けれど――――「知りたい」という気持ちを抑えることができないのがトリウィア・フロネシスという女だ。
「……けれど」
短くなった煙草の灰皿で火を笑みと共に消しながら彼女はアルマに問う。
「よかったのでしょうか、私に教えても」
「流石に誰にでも教えるわけでもないし、相手を選ぶけどね。君なら問題ないだろ」
それに、と。アルマは周りに積まれている本を手に取る。
「ここ2ヶ月、君には色々教えてもらってばかりだったしね。おかげでまぁ、この世界の一般常識は体験できた。情報としてではなく、経験として。それの感謝でもある」
「私としてはまるで価値が釣り合っていませんけれど」
新しい煙草に火をつけた彼女は肩を竦めた。
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