第30話 水楓
ヒメノがドックウッド家に来てから13日目。
外遊出発の前日午前中までに行ったガクリンとの組打ち稽古の勝敗は110戦全敗である。
ヒメノもこれだけ徹底的に負け続けていればその要因に気づいていた。
大きなそれはこの組打ち稽古は命に危険が及ぶ行為を御法度にしていることにある。
本来ヒメノがサンスティグマーダーの痣持ちと戦う際に想定している戦闘スタイルは致命の攻撃をいかに相手に刺すかで勝敗を決める猟師の戦い方。
しかし組打ち稽古では稽古相手を殺すなど言語道断であり、必然的に相手を殺さずに制圧する捕物における騎士の戦い方を求められていた。
先日のミオらとの戦いのように、激流同士の激突であれば空のサンスティグマという切り札を持つヒメノは簡単には負けない。
たとえ相打ちになろうとも一人は道連れに出来るだけの力をヒメノはサンスティグマを受け継いだ時点で有していた。
だが組打ち稽古におけるガクリンはその激流を受け流す静水であり、アズミを超えるガクリンの許容量をヒメノは未だに溢れさせるに至っていない。
ただの力押しではいずれ限界が来る。
アルスやミオとの戦いで生き残れたのは運の良さによるものだと今の彼女も理解していた。
極端な話、ガクリンと同等以上の剣気術と痣の力を両立した相手と戦いになったら恐らく負ける。
ではどうすればヒメノはガクリンに組打ち稽古で勝てるであろう。
100回以上も負け続ける中でようやくヒメノはそれを掴みかけていた。
「流石にアズミは午後の稽古は休んでいてくれ。俺の面倒も見てくれていたのもあって体がボロボロだ」
「だ……大丈夫ですよ。このくらい平気です」
「だけど午前中だって5回連続で負けた時点でフラフラだったじゃねえか。そんな苦しそうなお前の姿は見たくないんだよ」
「ガクリン様……」
「そうそう。お姉ちゃんは塩茶でも飲みながら横で見守っていてよ」
「そういうヒメノちゃんこそ一向に勝てる様子がないじゃない。この調子じゃ明日からのことが心配になっちゃう」
「それこそ大丈夫。お姉ちゃんに心配をかけないように、そろそろ特訓の成果を見せてあげるから」
「お! 大きく出たな。そこまで言うんだったら、ようやくなにか掴めたんだろうな?」
「もちろん」
大口を叩いたヒメノの笑顔は満面で、そこにガクリンも彼女の自信の大きさを感じ取った。
昼食を兼ねた雑談と休憩を終えて午後2時。
再び中庭に出たヒメノとガクリンは軽い柔軟体操をしてから向かい合う。
昼食前に一度着替えて汗を流しているので互いに汗一つ染みていない真新しい衣服であり、特にヒメノはアズミとお揃いのメイド服姿なのが可愛らしい。
ヒメノはアズミから妹認定を受けた翌日から組打ち稽古をするときにはこのメイド服に着替えている。
クッションのように膨らんでいる箇所が見た目よりも軽い着心地を実現しており、アズミが愛用しているのも納得の防御力は稽古だけではなく実戦でも役に立ちそうだ。
流石に明日からの外遊に来ていくのは恥ずかしいが、いつか外でもこの服を着る日が来るのかもしれない。
そんなふうにヒメノは考えていた。
「毎度のように先攻はヒメノに譲るぜ。俺から攻めたらすぐに決着がついちまうからな」
正眼に構えたガクリンはヒメノの攻め手を待つ。
ヒメノは木刀を鉈に見立てた片手構えで剣先を向けるわけだが、ピタリと静止して待ち構えられると攻めにくい。
どんな構えで攻めようとも剣による攻撃は上下左右とその間、つまり8方向からの斬撃と正面からの突きに集約される。
落ち着いて正眼で受けて立てば理屈の上ではすべての攻撃は無効化が可能なのだ。
100回以上も返り討ちになっているヒメノもそれは体で理解している。
その上で力づくで防御を押しつぶすことも、スピードで防御する暇を与えないことも、フェイントで隙を生むこともヒメノは出来ていない。
ヒメノに残された手段は防御されてもその上から効果を発揮する避ける以外に防げない攻撃の考案である。
スタンに特化したガード崩しにヒメノは可能性を見出していた。
(純粋な剣の腕前では今のボクにはガクリンに勝ち目なんかない。だけど彼が得意としている虚仮落としを応用できればボクにだって勝ち目はあるハズだ)
木刀に楓の要領で精気をこめたヒメノはガクリンの虚仮落としを模倣する。
間合いの外から精気の刃を飛ばすわけだが単純な虚仮落としモドキなどガクリンにはもちろん通用しない。
技の特性を知っているからこそ精気を集めた剣先で撫でるようにそれを最小の動きで弾いた。
そのまま間合いを詰めて上段から振り下ろしたヒメノの楓もガクリンは右に動きながら斜めにそらしてしまう。
(休憩明け一本目なのに反応が遅れているじゃない。ヒメノちゃんも見た目以上に疲れているようね)
ガクリンの返しははそらす際に持ち上げた右腕を返しての片手袈裟斬り。
これまでならば苦し紛れなバックステップで避けて仕切り直すか間に合わずに斬られるかのいずれかなわけだが、何かを掴みかけているヒメノはギリギリまで引きつけた。
これを見たアズミはヒメノの疲労を疑ってしまうほど反応が遅い。
だがこれはヒメノにとっては予定通りの遅れ。
首筋に当たるギリギリまで待ったヒメノは肌をかすめた精気で感覚を研ぎ澄ます。
虚仮落としの真髄は剣そのものという実を囮にして精気という虚を当てる術。
首という急所を晒すことでガクリンの剣に宿った虚実を見極めたヒメノはそのまま一撃を噛みしめるように受けた。
「今のはモロに当ったな。こんな簡単に一本を取られるだなんて、特訓の成果はどうしたんだよ。それとももうバテたか? 明日からトゥルース先生の旅に同行するんだから、それに備えての特訓で体を壊したら本末転倒だぜ」
「そうよヒメノちゃん。さっきのはまるで反応出来ていなかったじゃない」
首への直撃で大きな腫れを作ったヒメノを見れば心配する二人のリアクションはさもありなん。
「大丈夫だよ二人とも。それよりも今のでなんとなく掴めたと思う。だからもう一回……お願いしてもいいかなガクリン」
ヒメノの言葉は自信ありげなものではあるが、既に心配モードにあるガクリンとしては「これ以上の組打ち稽古は辞めたほうが良いのでは?」という心境。
なのでこれは泣きのもう一回。
これでダメなら出発前に自分に勝つという目標は未達成のまま送り出すしかない。
「これ以上は……」
「いいやアズミ。あと一回だけやってやるよ」
「ありがとうガクリンさん」
「だけどコレが最後だ。これ以上やったら明日に響くからな」
これで最後と言い放つガクリンにヒメノが頷いたのを合図に112回目の組打ち稽古が開始した。
今度は手早く決着をつけたいガクリンから攻めるのだが彼の構えはオーソドックスな両手持ち。
縦に構えた状態で間合いを詰めていき、体格差から半歩広いリーチを活かして振り下ろした。
対するヒメノはガクリンの拳、肘、肩の精気に注視して虚仮落としを使うのかを見極めた上でギリギリのところで初太刀を躱す。
避けられたガクリンはそのまま木刀を右手片手持ちに切り替えると、今度は切り上げながらリーチを補う虚仮落としで追撃を仕掛けた。
(さっきの痛みでようやく見えてきた。普通の攻撃のときと、防御のときと、虚仮落としを使うとき。それぞれ精気の質が違うんだ。痣の力に置き換えると、防御のときはガッシリとした土の属性で攻撃のときは沸き立つような火の属性。ちょうど初めて戦った炎使いとガチムチな彼氏さんの精気の流れで比較できる。そして──)
だが木刀を振るう方向以外に刀身が纏う精気の特性を見分けられるようになったヒメノは的確な動きで攻撃をいなす。
遠距離技の虚仮落としは通常の精気をこめた一撃よりも威力に欠けるため間合いに飛び込んで刀身を弾いたほうが安全である。
虚実を見極められなかった今までは強打への切り替えを恐れて出来なかった動きで距離を縮めたヒメノはガクリンの目の前に潜り込んだ。
左側を前にした半身の姿勢で右手は虚仮落としの根本を受け止めた後、肩の高さまで腕を持ち上げてたガクリンが返す手首に合わせて喉を振り抜く。
こうなれば防御も兼ねて脇を絞りながらガクリンは木刀を振り下ろすしかない。
二人の木刀がぶつかり合う音が中庭に響く。
(虚仮落としを飛ばすときは相手の体の内側に精気を染み込ませる水の属性なんだ。だからこの技は単純な威力以上に体の中にダメージが留まって動けなくできる。本来ならば完全な虚仮落としなんてボクが一朝一夕に覚えられるような技じゃない。だけどボクにはミオさんに刻まれた水の痣がある。こいつが失った水のサンスティグマの代わりとして「精気の伝達」をサポートしてくれるんだ!)
木刀同士がぶつかった際の単純な破壊力は圧倒的にガクリンが上。
撫でるように片手で打ち据えたヒメノと、咄嗟ではあったが両手で握って打ち下ろしたガクリンに差があるのは当然だろう。
(ヒメノに間合いを詰められてヒヤリとしたけど防御が間に合った。あとはこのまま絡めとってやる)
ガクリンはこのまま手首を返してヒメノから木刀を絡め取り、そのまま弾き飛ばして王手をかける。
そのつもりでくるりと手首を曲げて木刀の先をヒメノの木刀の内側に潜り込ませた。
そのまま弾き飛ばされた木刀は空を舞うが、ヒメノは空手になった右手に未だ木刀を握っているかのような素振りで振り抜いてガクリンの後ろまで通り抜ける。
「これで決着だ」
ガクリンは勝利を確信していた。
「そうだね。ボクの勝ちだ」
(何を言っているの?)
だが先に勝ち名乗りを上げたのはヒメノだった。
それは困惑するアズミが小首を傾げるのに合わせてガクリンの膝が崩れたことで現実となる。
(木刀は確実に弾き飛ばしたのに……残心だけで俺の首を斬ったのか?)
木刀を弾き飛ばされてもなおそこにあるかのように意識を保っていたヒメノの行動を、ガクリンは剣術の所作における残心に例えた。
その正体は木刀という実を失ってもヒメノの拳に握られていた虚の剣。
水の痣の特性である精気の伝達によって生み出された実態を持たないもう一本の剣がガクリンの喉を捉えて虚仮落としによる一撃と同質のダメージを与えていた。
後にヒメノが名付けたこの技の名は水楓。
相手の体内に精気を伝導させて内側からの衝撃で気絶を狙う、極まった虚仮落としに酷似した防御困難の秘剣である。
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