【『国境なき世直し魔導士』ルーチェルの七変化】~その性根、叩き直して差し上げます~

大和撫子

第1話 プロローグ ありふれた、異世界から召喚された巫女に婚約者を奪われたある娘のお話

 古代ローマの闘技場を思わせる会場に、埋め尽くされる観客席。彼らの視線は一様に一点に注がれ、固唾を呑んで見守っている。その視線の先には、白銀の防御魔術甲冑に身を包んだブリュネットの美青年だった。彼の前には、当時の帝国の皇帝の姿があり、満面の笑みを浮かべてこう述べた。


 「では、約束通り剣術大会優勝者であるアロイス卿よ、願い事を五つまで叶えよう。何なりと申してみよ」


 ……神様、お願いします。どうか、どうか……


観客席では誰も彼もが、青年が何を言うのか心を弾ませて待ち構えている中、アンティークローズ色の髪を持つこの娘だけは、今にも張り裂けそうなほど切ない胸を抱えて神に祈りを捧げていた。


「有難き幸せに存じます。では、申し上げます!」


 ……その言葉だけは言わないで! 私を捨てないで、どうかお願い、アロイス……


アロイスと呼ばれる青年の凛とした声と、と娘の切なる心の叫びが重なる。同時にこの娘とは真逆の反応を示し、恍惚と夢見るように黒き瞳を輝かせる娘がいた。艶やかな黒髪を持つ少女は、期待に満ちて青年を見つめている。


「私、アロイス・ヴァイデンは男爵以上の爵位と領地を賜りたく思います。そしてたった今、ルーチェル・フロイデン侯爵令嬢との婚約を破棄し……」


 アンティークローズ色の髪を持つ娘は己の名を聞くと同時に希望が絶たれた。


 ……あぁ、やっぱりアナタは……


解ってはいたけれど、そのまま消えたくなった。


「……心から愛して止まない桜木心愛さくらぎここあとの婚約を希望します!!」


 途端に、観客たちのワァーッという怒涛の波の如くの歓声が湧く。歓喜の涙を浮かべる桜木心愛と呼ばれる黒髪の娘と。絶望に呆然とするルーチェルと呼ばれた娘。二人の娘はまさに光と闇の相反する反応を示した。


 皇帝が右手を挙げると、観客たちは水を打ったように静まり変える。薔薇色の未来を思い描く桜木心愛は、期待に胸を弾ませて皇帝の言葉を待った。


「では、その願いを叶えよう! アロイス・ヴァイデン卿はたった今からアロイス・グレンチェント伯爵と名乗り、クレスプキュールの領地を与える!! そしてフロイデン侯爵令嬢、ルーチェルとの婚約破棄と、異世界から召喚された巫女である桜木心愛との婚約をここに認める!!!」


 再び、ドッと湧き上がる観客たちの歓声。


 ……終わった、死にたい……


未来を絶たれ今すぐ死を望むルーチェル。輝く笑顔を愛する者に向けるアロイスと嬉し泣きしながらそれに応じる心愛。距離は遠く離れているが、『真実の愛』で結ばれた二人には距離など無関係らしい。


 ……このままここで首を切って死のうか。そしたら、少しはアロイスの記憶に残るかも。あの巫女とやらにも罪悪感の少しは残るかも……


 ルーチェルはヨロヨロと立ち上がった。こうなる事を予測して、ポケットの奥に防御魔法をかけて悟られぬよう隠し持ってい短刀を取り出そうとするも思い留まる。


 ……このまま自死を選んだら、一時しか記憶に残らない上に家族には黒歴史として封印されるだけだ……


そのままフラフラと外に出た。警備兵も皆歓喜に我を忘れ、誰もルーチェルを気にも留めない。


 ……『一生君だけだ、ずっと傍に居てくれ』って言った癖に。嘘つき!……


 今から凡そ三か月ほど前、突然異世界から召喚されたという黒髪に黒い瞳を持つ愛くるしい少女。聖職者たちが豊穣を祈る儀式をしていた際、偶然現れたのだという。その時、たまたま仕事で護衛に当たっていたアロイスと彼女は一目で恋に落ちた。アロイスはその瞬間から、今まで相思相愛だった婚約者ルーチェルを疎ましく感じ、いつの間にか『真実の愛に結ばれた二人を邪魔する悪女』というレッテルを貼られ、どこにも居場所が無くなった。


 元々、両親は長兄だけを可愛がり、ルーチェルの事を嫌っていたので毎日が針の筵だった。けれどもそのお陰で、身分違いであるアロイスとの結婚も反対されなかった訳なのだが……。


 アロイスとは幼馴染だった。


……脆いね、愛情って。人の気持ちなんて移ろい易くて信用出来ないね……


 自邸に着くと、門が閉められており護衛が二人冷たい視線を向けていた。門の前には、ボロボロのトランクが倒れており、ルーチェルの数少ない持ち物が詰められた物だとすぐに悟る。


……全世界に婚約破棄をフルネームで放送された恥さらしの娘など消え失せろ、て事か……


 ルーチェルはトランクを手に持つと、死に場所を求めてトボトボと歩き出した。

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