ギャルと偽物ハードボイルド
坂神京平
第1話「ギャルの依頼人」
ハードボイルドの世界では、しばしば奇妙な依頼人との接触で、物語が幕を開ける。
私は、
店内の壁面に
日曜日だが、もう昼の混雑するピークは過ぎているようだった。
ウェイターにコーヒーを注文した直後、新たな客が入店してきた。
私より明らかに年下の少女だった。
この年下の女性客が、たぶん
鏡峯は今日ここで面会する予定の相手で、仕事の「依頼人」になるはずの少女だ。
待ち合わせに指定した時刻より、一〇分近く早い登場だが、間違いなさそうだった。
鏡峯めぐみは、店内をぐるりと見回した。
私の姿を見て取ると、こちらへ足早に近付いてくる。
互いに初対面だが、すぐに彼女も私が待ち合わせ相手だと気付いたらしい。
私が着席しているテーブルの脇で立ち止まり、気安く問い掛けてきた。
「あんたがリナりんの兄貴?」
私は、年下の少女の姿を改めて
真っ直ぐで長い髪を、ややくすんだ金色に染めている。耳にはピアスが光っていた。
派手な化粧を
どうやら鏡峯めぐみは、いわゆる
私は依頼人について、名前と高校三年生の女子だということ以外、事前に
従って彼女の
付け加えるなら、過去にギャルの知り合いがいたこともない。
「私は
「あはは、やっぱそっか。ヨロシクねー」
鏡峯は断りもなく、テーブルを
猫のような瞳が、こちらを遠慮なく観察している。
「ていうかマジでリナりんが言ってた通りなんだけど。ウケる」
鏡峯が私の服装に言及していることは、彼女の視線を追わずとも明白だった。
タブカラーシャツの上から、黒いダブルヴェストとジャケットを着用し、ツータックパンツを
現代日本にあっては私の服装こそ、余程ギャルのそれより珍しいはずだった。
少なくとも駅前を歩いていて、ここへ来るまでに似た格好の通行人とすれ違った覚えはない。
だがたとえ時代錯誤であっても、私立探偵の着衣にはそれ相応の品格が求められる。
そうして、待ち合わせで目印になるのだから、実用性もあった。
「にしても今六月じゃん。暑くないのそれ」
「タフでなければ、生きていられない」
「は? 何それ」
私の返事を聞くと、鏡峯は瞳を二、三度
「優しくなければ、生きている資格がない」と続けるべき台詞を、私は思い止まった。
鏡峯はおそらく、フィリップ・マーロウを知らない。
「仕事の依頼があると聞いている」
私は、事務的に会話を切り出した。
「君は第三者からの紹介で、私との接触を図ったそうだが」
「第三者って。あんたの妹でしょリナりん、安千谷
「仲介者が過去に私と接点のある人物だとしても、それは依頼に無関係な話だ」
「ちょ、それ正気で言ってんの? どういう兄妹なのさ、あんたとリナりんは……」
鏡峯は、当惑した面持ちになった。
それから
私の反応を
ほどなく、
「ところでリナりんの兄貴ってさ、本物の探偵さんなの?」
「探偵を名乗るだけなら、特別な資格は何もいらない」
「え、どゆこと。要するに名乗ってるだけって話?」
「私の職業は、世間一般では学生ということになっている」
「……待った。学生ってことは、大学とか通ってんの?」
身分を明かすと、重ねて問い
私は、さらに付け足して答えた。
「
「
「探偵仕事を営利目的で行うには、事業所がある地域で所轄の警察署を通じ、公安委員会に届出をする必要がある。それによって探偵業届出証明書を取得しなければならない」
「いや意味わかんないし……」
鏡峯は、かぶりを振って苦笑いを浮かべる。
声音には、幾分かの失望が
そこへウェイターが引き返してきて、コーヒーをテーブルの上に置いた。
相席している鏡峯に向き直り、注文を取る。紅茶とケーキのセットを電子端末に入力すると、少々お待ちください、と愛想良く言って下がった。
「こないだリナりんに相談したら、あんたが探偵みたいなことしてる、って言っていて。頼めば助けてくれるかもって聞いてたんだけど……。あたしが悩んでるような困り事をどうにかするのは、得意なはずだからって」
鏡峯は、ウェイターがテーブルから離れるのを待ってから、溜め息混じりに言った。
「でもとりあえず、なんで探偵に仕事頼むのに『依頼料はいらない』ってあの子が言ってたか、そこんとこはわかったわ。要するにあんたは素人探偵で、テレビドラマの真似事してるみたいな偽物だからってわけね」
「ハードボイルドの世界では、必ずしも探偵役が本職のそれとは限らない。小説家のような肩書を持つ人間が事件を解決する場合もあるし、生意気な高校生がその役目を負う作品もある」
「いやだから意味わかんないんだけど?」
「ちなみに君の言う通り、この仕事についての依頼料を請求するつもりはないが、これから協力するとしても純粋な善意からというわけではない。その点は勘違いしないことだ」
鏡峯は、彼女なりに現状を把握する一方、いささか不平そうだった。
とはいえ私としても、あらかじめ言うべきことは言っておかねばならない。
鏡峯の依頼を解決するか否かは、藍ヶ崎大学ハードボイルド同好会の将来に関わる。
我が同好会は遺憾ながら、あまり学内で
そしてまた現在、ハードボイルド同好会に対する
所属会員が私ただ一人の弱小サークルに対して、世間の風は冷たい。
もっともハードボイルド同好会はこれまで、まるで活動実態がない団体だったわけでもない。
前々から大学キャンパスの内外を問わず、様々なボランティアの依頼を
主に引き受ける依頼は、探偵行為に属する調査活動だが。
課外活動に取り組むに当たっての建前は、「ハードボイルド作品の主人公に学んだ不屈の心や行動力を
ハードボイルドなのに社会貢献というのも奇妙な話だが、
一方ですでに述べた通り、大学のサークルは専門の探偵事業者や興信所と違って、公的に認可されていない。これは尾行や張り込みなど、一部の調査手法に違法性があることを意味する。
そのため自治会側へ提出する課外活動報告書には、あくまでボランティアの内容を「依頼者の相談に応じ、困り事を解決する適法なものだった」という体裁で記述していた。事実をそのまま書き込めば、最早サークルの存続どころか、私自身の立場を左右しかねない問題になる。
とにかく我が同好会はそうすることによって、例えば法律系のサークルが無料相談活動に取り組んでいるのと、
だから信用できる依頼人に持ち込まれた相談なら、極力引き受けているのだった。
「つまり、あたしを助けてくれるのは大学のサークル活動だからってわけ?」
こちらの背景を説明すると、鏡峯は
「不本意ではあるがそうなる」
「いや何、でもなんかちょくちょく活動しとかなきゃサークルがヤバいんじゃないの」
「本心では、あまり余計な労力を使わずに廃部を
「や、やる気ないな……。ホントに頼っても大丈夫?」
「とにかく、まずは用件を教えてもらおう」
「あ、うん……。リナりんから頼み事の内容自体は、まだ何も知らされてないんだっけ?」
「そうだ。その方が互いにやり取りの中で、相手を信用に足る人間かを見定めることができる。だから君の要望に応じるかどうかも、実際にはこれから聞く話を
「なるほどね、わかった」
鏡峯は、ひと
この際は仕方ないとあきらめて、ひとまず相談してみる気になったようだ。
あるいは、私を紹介した人物への義理立てもあったのかもしれない。
「あたしが相談したいのは、連絡が取れない友達のことなんだ」
「連絡が取れない? 電話を掛けても応答しない、メッセージアプリの返信がない、というような話か」
「そう、同い年の女の子なんだけどね。通ってる高校が違うし、その子ん
「それはどれぐらい前から?」
「もう半年……いや七、八ヶ月近く前からかな」
鏡峯は、若干考える間を挟んでから続けた。
「それで、その連絡が取れなくなった女の子と、もう一度話がしたいの」
会話の途中で、ウェイターが紅茶とケーキを運んできた。
いったん私はやり取りを中断し、コーヒーカップを口元で
ほろ苦い液体は舌を刺激し、複雑な香りが
「単純に友達付き合いを解消されただけ、とは考えられないか」
ウェイターが立ち去るのを待ってから、私は会話を再開した。
「何度連絡を取ろうとしても相手が応じないなら、真っ先にその可能性を疑うべきだと思うが」
「でも着信拒否されたりブロックされたりしてるわけじゃないし。SNSも全部相互フォローのままでさ、とにかくひたすらスルーされてる感じなの。なんかおかしくない?」
「その少女から嫌われることをしたような記憶もないわけか」
「ない! ……いやあたしが自分で知らないうちに何か悪いこと言って、あの子をいつの間にか傷付けてたことはあるかもしんない。だから絶対とは言い切れないけど」
「君以外の知人友人も、同じように連絡は取れないのか」
「うん、そうみたい」
「通っている高校が違う、と言っていたな。しかし
「あー、それね。実はそれも無理なんだよね。その友達が通ってる高校って通信制だから、そもそも学校に行ったり行かなかったりするのが普通っていうか。試しに様子を見に行ってみたこともあるんだけど、やっぱ会えなかったんだわ」
「音信不通になった友人以外で、通信制高校の生徒に知り合いはいないのか」
「えーっと。いることはいるんだけど、あたしはそいつのメッセージアプリのID持ってないんだよな……。あともう一人別の友達を挟んで頼めば、普通に会えるとは思うけど。でもあの子――ユッコと連絡取れないのは、やっぱ同じだって聞いたことあるよ」
鏡峯は、弱り顔で言った。
「たぶんあの子さ、行方不明? あと何つったっけ……あ、
私はコーヒーを、二口三口と喉の奥へ流し込んだ。
ジャケットの内ポケットから、
「
「へぇ、喫うんだ煙草。別にいいけど、ここ喫煙オッケーなの?」
鏡峯の問いには答えず、パッケージから一本抜いて火を点ける。
ハードボイルドの世界では、探偵は禁煙の喫茶店を待ち合わせ場所に指定しない。おそらく。
「……根本的なことが知りたい」
私は、ゆっくりと煙を
「なぜそこまで、連絡が取れなくなった人間一人に固執する? 金の貸し借りでもあるのか」
「いやいや何それ、人間一人って……。仲が良い友達と連絡が付かなくなったらさ、どうしたんだろうって心配するぐらい、当たり前のことじゃん」
鏡峯は面食らった様子で、若干上体を椅子の背もたれ側へ反らした。
こちらを見る目に一瞬、軽蔑の気配が宿ったのは、誤解ではないだろう。
「ユッコはさ、メチャ友達付き合い大事にする子だったんだよ。去年も一昨年もあたしの誕生日が来ると、他の友達に根回ししてサプライズパーティー開いてくれるみたいな、そういう
「だがそれなら半年以上も前から困っていたことを、どうして今頃になって誰かに相談しようとしたのだ」
「そりゃどうすればいいか、わかんなかったからじゃん! リナりんとは別々の高校に進学して以来、メッセージアプリぐらいでしかやり取りしてなかったし。だから、あんたを頼ってみようなんて、たまたま最近になってリナりんから勧められるまで、考えてもみなかった」
私は、煙草をくゆらせながら、じっと話に耳を
鏡峯は少し
「実はもうすぐね、ユッコの誕生日が来るんだ。今月の二七日なんだけど。それまでにあの子ともう一度連絡を取って、今年はあたしがサプライズのお祝いしてあげたいの。それって何か変? あんたは自分に親切にしてくれた友達を、縁が切れたと思ったらアッサリ忘れられるわけ?」
本当に仲が良い友人は、半年かそこら連絡が取れなくなっただけで、縁が切れるだろうか。
鏡峯と私とでは、友人という概念の認識に
もっとも目の前の少女の主張を、無下に突き放そうとも考えていなかった。
私は持ち掛けられた依頼を、何だかんだと引き受けるつもりになっていたからだ。
少なくとも鏡峯めぐみにとって、納得がいくところまでは調査してもいいと思っていた。
鏡峯が友人を案ずる言葉には、どうやら嘘はなさそうだと感じる。
仮にすべてが演技とするなら、女優になれる才能があるだろう。
藍ヶ崎大学ハードボイルド同好会は、久々に新たな活動実績を作ることができそうだった。
「君の友人に関する話を、もっとしっかり聞かせてくれ」
「じゃあユッコのこと、ちゃんと調べてくれんの?」
さらなる情報開示をうながすと、鏡峯は正式に依頼の受諾を求めてきた。
私は「……ああ」と返答してから、灰皿を手繰り寄せ、煙草の灰を落とした。
「ハードボイルドの世界だと【人探し】の依頼というのは、
「……ホント意味わかんないわあんた」
鏡峯は眉を
しかし私との対話を経ても、どうやら依頼の撤回は考えていないらしかった。
他に頼るものがないのか、いい手立てが思い付かないのかもしれない。
ハードボイルドの世界で「消息不明になった登場人物の多くが、いかなる運命をたどるか」については、差し当たり言及を避けることにした。
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