ギャルと偽物ハードボイルド

坂神京平

第1話「ギャルの依頼人」

 ハードボイルドの世界では、しばしば奇妙な依頼人との接触で、物語が幕を開ける。



 私は、星澄ほしずみ駅前の喫茶店へ入ると、窓際の席に腰掛けた。

 店内の壁面にかかげられた時計の針は、午後一時二〇分を指している。

 日曜日だが、もう昼の混雑するピークは過ぎているようだった。


 ウェイターにコーヒーを注文した直後、新たな客が入店してきた。

 私より明らかに年下の少女だった。


 この年下の女性客が、たぶん鏡峯かがみねめぐみなのだろう。


 鏡峯は今日ここで面会する予定の相手で、仕事の「依頼人」になるはずの少女だ。

 待ち合わせに指定した時刻より、一〇分近く早い登場だが、間違いなさそうだった。



 鏡峯めぐみは、店内をぐるりと見回した。

 私の姿を見て取ると、こちらへ足早に近付いてくる。

 互いに初対面だが、すぐに彼女も私が待ち合わせ相手だと気付いたらしい。

 私が着席しているテーブルの脇で立ち止まり、気安く問い掛けてきた。



「あんたがリナりんの兄貴?」


 私は、年下の少女の姿を改めてながめた。

 真っ直ぐで長い髪を、ややくすんだ金色に染めている。耳にはピアスが光っていた。

 派手な化粧をほどこした顔には、明るく、物怖ものおじのない笑みが浮かんでいる。

 ゆるいシルエットのトップスを着用し、ショートパンツから細い生足を伸ばしていた。


 どうやら鏡峯めぐみは、いわゆるちまたで「ギャル」と呼ばれる人種のようだった。

 私は依頼人について、名前と高校三年生の女子だということ以外、事前にくわしい情報を得ていない。仕事内容も本人に会ってから直接聞くことにしているため、具体的には何も知らない。

 従って彼女の性質パーソナリティを把握したのは、このときが初めてだった。

 付け加えるなら、過去にギャルの知り合いがいたこともない。


「私は安千谷あちやりゅうだ。君が鏡峯めぐみか」


「あはは、やっぱそっか。ヨロシクねー」


 鏡峯は断りもなく、テーブルをはさんで差し向かいの席に座った。

 猫のような瞳が、こちらを遠慮なく観察している。



「ていうかマジでリナりんが言ってた通りなんだけど。ウケる」


 鏡峯が私の服装に言及していることは、彼女の視線を追わずとも明白だった。

 タブカラーシャツの上から、黒いダブルヴェストとジャケットを着用し、ツータックパンツを穿いている客は、店の中に他にいない。今は脱いでいるが、かたわらの席に置いたトレンチコートと中折れ帽も、ここまで私が身に着けてきたものだ。


 現代日本にあっては私の服装こそ、余程ギャルのそれより珍しいはずだった。

 少なくとも駅前を歩いていて、ここへ来るまでに似た格好の通行人とすれ違った覚えはない。

 だがたとえ時代錯誤であっても、私立探偵の着衣にはそれ相応の品格が求められる。

 そうして、待ち合わせで目印になるのだから、実用性もあった。


「にしても今六月じゃん。暑くないのそれ」


「タフでなければ、生きていられない」


「は? 何それ」


 私の返事を聞くと、鏡峯は瞳を二、三度またたかせる。

「優しくなければ、生きている資格がない」と続けるべき台詞を、私は思い止まった。

 鏡峯はおそらく、フィリップ・マーロウを知らない。



「仕事の依頼があると聞いている」


 私は、事務的に会話を切り出した。


「君は第三者からの紹介で、私との接触を図ったそうだが」


「第三者って。あんたの妹でしょリナりん、安千谷里奈りな


「仲介者が過去に私と接点のある人物だとしても、それは依頼に無関係な話だ」


「ちょ、それ正気で言ってんの? どういう兄妹なのさ、あんたとリナりんは……」


 鏡峯は、当惑した面持ちになった。

 それからわずかな間を挟む。

 私の反応をうかがいながら、何事か思案していたようだ。

 ほどなく、怪訝けげんそうな口調で続ける。


「ところでリナりんの兄貴ってさ、本物の探偵さんなの?」


「探偵を名乗るだけなら、特別な資格は何もいらない」


「え、どゆこと。要するに名乗ってるだけって話?」


「私の職業は、世間一般では学生ということになっている」


「……待った。学生ってことは、大学とか通ってんの?」


 身分を明かすと、重ねて問いただされた。

 私は、さらに付け足して答えた。


藍ヶ崎あいがさき大学法学部法律学科の三年生だ。学内ではハードボイルド同好会の代表を務めている」


マ?マジ? ガチで学生じゃん。ハードなんとか……っていうのはわかんないけど、それじゃ探偵は趣味か何かでやってるわけ? アマチュア?」


「探偵仕事を営利目的で行うには、事業所がある地域で所轄の警察署を通じ、公安委員会に届出をする必要がある。それによって探偵業届出証明書を取得しなければならない」


「いや意味わかんないし……」


 鏡峯は、かぶりを振って苦笑いを浮かべる。

 声音には、幾分かの失望がにじんでいた。



 そこへウェイターが引き返してきて、コーヒーをテーブルの上に置いた。

 相席している鏡峯に向き直り、注文を取る。紅茶とケーキのセットを電子端末に入力すると、少々お待ちください、と愛想良く言って下がった。


「こないだリナりんに相談したら、あんたが探偵みたいなことしてる、って言っていて。頼めば助けてくれるかもって聞いてたんだけど……。あたしが悩んでるような困り事をどうにかするのは、得意なはずだからって」


 鏡峯は、ウェイターがテーブルから離れるのを待ってから、溜め息混じりに言った。


「でもとりあえず、なんで探偵に仕事頼むのに『依頼料はいらない』ってあの子が言ってたか、そこんとこはわかったわ。要するにあんたは素人探偵で、テレビドラマの真似事してるみたいな偽物だからってわけね」


「ハードボイルドの世界では、必ずしも探偵役が本職のそれとは限らない。小説家のような肩書を持つ人間が事件を解決する場合もあるし、生意気な高校生がその役目を負う作品もある」


「いやだから意味わかんないんだけど?」


「ちなみに君の言う通り、この仕事についての依頼料を請求するつもりはないが、これから協力するとしても純粋な善意からというわけではない。その点は勘違いしないことだ」


 鏡峯は、彼女なりに現状を把握する一方、いささか不平そうだった。

 とはいえ私としても、あらかじめ言うべきことは言っておかねばならない。




 鏡峯の依頼を解決するか否かは、藍ヶ崎大学ハードボイルド同好会の将来に関わる。


 我が同好会は遺憾ながら、あまり学内でかんばしい評価を受けていない。学生自治会の文化連合会によって発足以来、廃部へ二度追い込まれそうになったことがある。

 そしてまた現在、ハードボイルド同好会に対するめ付けは強まりつつあった。

 所属会員が私ただ一人の弱小サークルに対して、世間の風は冷たい。


 もっともハードボイルド同好会はこれまで、まるで活動実態がない団体だったわけでもない。

 前々から大学キャンパスの内外を問わず、様々なボランティアの依頼をけ負っている――

 主に引き受ける依頼は、探偵行為に属する調査活動だが。


 課外活動に取り組むに当たっての建前は、「ハードボイルド作品の主人公に学んだ不屈の心や行動力をかして、社会貢献活動を実践する」というものだった。

 ハードボイルドなのに社会貢献というのも奇妙な話だが、所詮しょせんは表向きのことだ。そもそも文化連合会の連中は、ハードボイルドという概念を正しく理解しているか怪しい。


 一方ですでに述べた通り、大学のサークルは専門の探偵事業者や興信所と違って、公的に認可されていない。これは尾行や張り込みなど、一部の調査手法に違法性があることを意味する。

 そのため自治会側へ提出する課外活動報告書には、あくまでボランティアの内容を「依頼者の相談に応じ、困り事を解決する適法なものだった」という体裁で記述していた。事実をそのまま書き込めば、最早サークルの存続どころか、私自身の立場を左右しかねない問題になる。


 とにかく我が同好会はそうすることによって、例えば法律系のサークルが無料相談活動に取り組んでいるのと、おおむね類似の評価を学内で求めてきた。ただし定期的に依頼が寄せられるわけではないので、活動実績を作る機会が常に不安定ではある。


 だから信用できる依頼人に持ち込まれた相談なら、極力引き受けているのだった。



「つまり、あたしを助けてくれるのは大学のサークル活動だからってわけ?」


 こちらの背景を説明すると、鏡峯はあきれ顔でたずねてきた。


「不本意ではあるがそうなる」


「いや何、でもなんかちょくちょく活動しとかなきゃサークルがヤバいんじゃないの」


「本心では、あまり余計な労力を使わずに廃部をまぬかれ続けていたいのだ」


「や、やる気ないな……。ホントに頼っても大丈夫?」


「とにかく、まずは用件を教えてもらおう」


「あ、うん……。リナりんから頼み事の内容自体は、まだ何も知らされてないんだっけ?」


「そうだ。その方が互いにやり取りの中で、相手を信用に足る人間かを見定めることができる。だから君の要望に応じるかどうかも、実際にはこれから聞く話を吟味ぎんみして決める。君も私が気に食わないと感じたら、依頼を取り下げてもかまわない」


「なるほどね、わかった」


 鏡峯は、ひとしきり事情を確認したところで、気を取り直したようにうなずいた。

 この際は仕方ないとあきらめて、ひとまず相談してみる気になったようだ。

 あるいは、私を紹介した人物への義理立てもあったのかもしれない。


「あたしが相談したいのは、連絡が取れない友達のことなんだ」


「連絡が取れない? 電話を掛けても応答しない、メッセージアプリの返信がない、というような話か」


「そう、同い年の女の子なんだけどね。通ってる高校が違うし、その子んがどこにあるのかもわかんないから、直接会ったりもできなくてさ」


「それはどれぐらい前から?」


「もう半年……いや七、八ヶ月近く前からかな」


 鏡峯は、若干考える間を挟んでから続けた。



「それで、その連絡が取れなくなった女の子と、もう一度話がしたいの」



 会話の途中で、ウェイターが紅茶とケーキを運んできた。

 いったん私はやり取りを中断し、コーヒーカップを口元でかたむけた。

 ほろ苦い液体は舌を刺激し、複雑な香りが鼻腔びこうへ抜ける。


「単純に友達付き合いを解消されただけ、とは考えられないか」


 ウェイターが立ち去るのを待ってから、私は会話を再開した。


「何度連絡を取ろうとしても相手が応じないなら、真っ先にその可能性を疑うべきだと思うが」


「でも着信拒否されたりブロックされたりしてるわけじゃないし。SNSも全部相互フォローのままでさ、とにかくひたすらスルーされてる感じなの。なんかおかしくない?」


「その少女から嫌われることをしたような記憶もないわけか」


「ない! ……いやあたしが自分で知らないうちに何か悪いこと言って、あの子をいつの間にか傷付けてたことはあるかもしんない。だから絶対とは言い切れないけど」


「君以外の知人友人も、同じように連絡は取れないのか」


「うん、そうみたい」


「通っている高校が違う、と言っていたな。しかしくだんの少女が在籍する学校を直接訪ねれば、私などに頼らなくても接触の機会はあるんじゃないか」


「あー、それね。実はそれも無理なんだよね。その友達が通ってる高校って通信制だから、そもそも学校に行ったり行かなかったりするのが普通っていうか。試しに様子を見に行ってみたこともあるんだけど、やっぱ会えなかったんだわ」


「音信不通になった友人以外で、通信制高校の生徒に知り合いはいないのか」


「えーっと。いることはいるんだけど、あたしはそいつのメッセージアプリのID持ってないんだよな……。あともう一人別の友達を挟んで頼めば、普通に会えるとは思うけど。でもあの子――ユッコと連絡取れないのは、やっぱ同じだって聞いたことあるよ」


 鏡峯は、弱り顔で言った。


「たぶんあの子さ、行方不明? あと何つったっけ……あ、失踪シッソウ? そういうのになったわけでもないと思うんだ。もしそうなら警察ケーサツ行けって話なんだろうけど。だからどうしていいかもよくわかんなくてさ」



 私はコーヒーを、二口三口と喉の奥へ流し込んだ。

 ジャケットの内ポケットから、煙草たばこのパッケージとライターを取り出す。


ってもいいか」


「へぇ、喫うんだ煙草。別にいいけど、ここ喫煙オッケーなの?」


 鏡峯の問いには答えず、パッケージから一本抜いて火を点ける。

 ハードボイルドの世界では、探偵は禁煙の喫茶店を待ち合わせ場所に指定しない。おそらく。


「……根本的なことが知りたい」


 私は、ゆっくりと煙をき出してから続ける。


「なぜそこまで、連絡が取れなくなった人間一人に固執する? 金の貸し借りでもあるのか」


「いやいや何それ、人間一人って……。仲が良い友達と連絡が付かなくなったらさ、どうしたんだろうって心配するぐらい、当たり前のことじゃん」


 鏡峯は面食らった様子で、若干上体を椅子の背もたれ側へ反らした。

 こちらを見る目に一瞬、軽蔑の気配が宿ったのは、誤解ではないだろう。


「ユッコはさ、メチャ友達付き合い大事にする子だったんだよ。去年も一昨年もあたしの誕生日が来ると、他の友達に根回ししてサプライズパーティー開いてくれるみたいな、そういう気遣きづかいもあって。なのにこんなに長いこと連絡取れなくなるだなんて、何かあったとしか考えられないじゃんか」


「だがそれなら半年以上も前から困っていたことを、どうして今頃になって誰かに相談しようとしたのだ」


「そりゃどうすればいいか、わかんなかったからじゃん! リナりんとは別々の高校に進学して以来、メッセージアプリぐらいでしかやり取りしてなかったし。だから、あんたを頼ってみようなんて、たまたま最近になってリナりんから勧められるまで、考えてもみなかった」


 私は、煙草をくゆらせながら、じっと話に耳をかたむけていた。

 鏡峯は少ししずんだ声音で、尚も続ける。言葉をつむいで事情を伝えようとしているうち、感傷的な気分になったのかもしれなかった。


「実はもうすぐね、ユッコの誕生日が来るんだ。今月の二七日なんだけど。それまでにあの子ともう一度連絡を取って、今年はあたしがサプライズのお祝いしてあげたいの。それって何か変? あんたは自分に親切にしてくれた友達を、縁が切れたと思ったらアッサリ忘れられるわけ?」


 本当に仲が良い友人は、半年かそこら連絡が取れなくなっただけで、縁が切れるだろうか。


 鏡峯と私とでは、友人という概念の認識にへだたりがありそうだ。


 もっとも目の前の少女の主張を、無下に突き放そうとも考えていなかった。

 私は持ち掛けられた依頼を、何だかんだと引き受けるつもりになっていたからだ。

 少なくとも鏡峯めぐみにとって、納得がいくところまでは調査してもいいと思っていた。


 鏡峯が友人を案ずる言葉には、どうやら嘘はなさそうだと感じる。

 仮にすべてが演技とするなら、女優になれる才能があるだろう。


 藍ヶ崎大学ハードボイルド同好会は、久々に新たな活動実績を作ることができそうだった。



「君の友人に関する話を、もっとしっかり聞かせてくれ」


「じゃあユッコのこと、ちゃんと調べてくれんの?」


 さらなる情報開示をうながすと、鏡峯は正式に依頼の受諾を求めてきた。

 私は「……ああ」と返答してから、灰皿を手繰り寄せ、煙草の灰を落とした。


「ハードボイルドの世界だと【人探し】の依頼というのは、わば王道展開のひとつだからな。レイモンド・チャンドラー『湖中の女』もロス・マクドナルド『さむけ』も、事件の発端になるのは人探しだった」


「……ホント意味わかんないわあんた」


 鏡峯は眉をひそめ、かすかに口元をゆがめた。

 胡乱うろんな探偵の協力を取り付けたことについて、素直に喜ぶべきなのか、決めかねているように見える。

 しかし私との対話を経ても、どうやら依頼の撤回は考えていないらしかった。

 他に頼るものがないのか、いい手立てが思い付かないのかもしれない。



 ハードボイルドの世界で「消息不明になった登場人物の多くが、いかなる運命をたどるか」については、差し当たり言及を避けることにした。

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