怒りとはもちべいしよん

 鎧武者は、冷静ながらに怒っていた。あれほどの戦闘才覚を持ちながら、どうして【ご主人さま】のごとき外道にかしずくのかと。あまつさえその野望に乗っかり、彼の偏愛が詰まった象徴などに乗り込んでしまったのかと。

 仮に八十四番がこの見解を聞かされれば、全力で首を横に振るだろう。自分は無理やり括り付けられただけであり、いつの間にか乗り込まされていただけであると。

 しかし鎧武者に言わせれば、抵抗しなかった時点で大罪だった。


「……」


 ともあれそうした怒りが、またしても鎧武者に世界の重なりを見せていた。視界の先が、二重ふたえに見えている。腹掻き切って果てた男の憎悪が瘴気をまとい、筆舌に尽くしがたい光景を生み出していた。死骸と武具の山から、もぞもぞと立ち上がろうとするなにか。それは、まるで――


「――!」


 鎧武者は吼えた。人ならざる声を上げ、手近にあった忍者の背中を踏み台にした。目指すは十五尺のうちの六分か七分ほど、鋼鉄女中の胸元だ。怒りをぶつけるべき対象が、そこでのうのうと、悠々と巨体を振るっている。己のまず果たすべき役割は、それを引きずり下ろすこと――!


「――!」

 ビシィッ。


 その大太刀の一撃は、鉄壁のはずのガラスにヒビを入れた。彼女は心底驚いた。驚いたと同時に、怒りが噴き上がった。無敵の身体を手にしてなお、奴らは食らいついてくいるのか。忌々しい。


 シュゴオオオッ!!!


 怒りは蒸気に変換される。彼女は再び高速の風となった。突く、薙ぐ、払う、叩く。叩き込まれた武具でのしぐさを、あらんばかりに放出して鎧武者たちに挑んだ。

 背後からは、【ご主人さま】の忌々しい高笑いも響く。どこかで潰し、私としての戦をしなければ。八十四番は、野望をくゆらせた。


「隙ありでござる!」


 忍者の耳障りな声を拾う。跳躍からの、ヒビをめがけた手裏剣の雨。鋼鉄の身体で跳ね返すのはたやすいが、万が一にもヒビが拡大させるわけにはいかない。ほうきをぶん回して、すべてを弾き飛ばす。


「やれる」


 八十四番の胸のうちに、再び全能感が沸き起こる。やるべきことは多いが、この身体とならできる気がした。同時に、動きの滑らかさが向上していく。鋼鉄の拡張肉体が、己の身体そのものにさえ思えてくる。


「やれる」


 蒸気が再び噴き上がる。機体を加速させ、跳躍し、回し蹴りまでも披露した。背後で【ご主人さま】から驚きの声。胸のすくような気持ちが、彼女に訪れた。忍者と鎧武者が、再び間合いを取っていく。


「今!」


 思念で機体を踏み込ませる。早い。今ならあの二人を追い越し、踏み殺すこともできそうだった。落とし穴などの危惧は浮かぶが、そのような罠を仕掛ける余裕はないだろう。彼女は歩みを進め、二人をまたいだ。示威行為だ。面白いように、左右へ飛び退く。


「楽しい」


 彼女は声に出した。蹂躙の愉悦が、己を満たしていく。ああ、このまま踏み殺したい。忍者も、鎧武者も、【ご主人さま】も。すべて踏み潰して、私は私に、自由闊達な蘭学女中メイドに戻るのだ。

 そう。すでに廃れた忍の里で育ち、技を仕込まれ、未来のなさに脱兎した抜け忍などもういない。今の私は主人さえ持たぬ、ただの一人の蘭学女中なのだ。そのことを、この戦で――


 がくん。


 そのきしみは、突然に訪れた。地面を踏み締めた右足に、体重が傾いたのだ。一拍。いや、もう少し間があってから、右足の平に強烈な痛みが襲い掛かった。忍びの記憶が、答えを導く。そうだ、これは――


「蘭学巨体を操るには繊細さも必要でござる。だったら、コイツでござるよ」


 忍者がなにかを握っている。八十四番には見ずとも分かった。簡易的に配置でき、しかも足を打ち抜ける兵器。一つしかない。


「まきびしのお味、いかがでござるか?」


 視界から、忍者が消える。直後見えたのは、長槍を振りかざす幽鬼の姿だった。

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