第3話

街を抜けて駅につき、帰路の電車に乗るため、改札口でSuicaを押す。

習慣化された作業。

家に帰る時には電車に乗るために必ず押す。

意味のない作業だが、この瞬間は二度と戻ってこない。

後でいくら後悔しても。


ホームに着くと、人はまばらだった。

今日は何かあるのだろうか?と思ったが、特に大きなイベントも無いし、金曜日なわけでも無い。

まるで嵐の前の静けさのようだった。


電車が来る。

電車のドアが空き、人が降りる。

最初に急いでいる人が降りて、その後、普通の速度の人がぞろぞろと降りる。

そして、ドアの横で待っていた人の先頭が乗ろうとすると、駆け足で電車から降りそびれた人が降りてきた。

先頭の人は嫌そうに止まり、待っている横に並ぶ人々も迷惑そうな視線を送る。

急ぐ人、普通の人、遅れる人。

日常の一部分でも人々が集まれば違いが生まれる。


俺は座席の前に立ち、座席の上の荷物置きにバックを置く。

つり革に捕まり、ただゆらゆらと揺れる電車でまた考え事をしようとおもった。

窓から見えるビルは人工的な光を放ち、暗黒に包まれるはずの世界を照らしていた。

遠くを眺めように遠くを見つめる。

夜空の暗黒に一日の疲労感もろとも飲みこまれるような気分になった。


だが、ゆらりゆらりと等間隔で揺れていた電車がリズムを崩し、大きく揺れる。

俺も少しよろけるが手すりをぎゅっと持ち体勢を立て直した。

一時停止した動画を再生させるかのような気分でもう一度窓を見ようとした。


だが、これは運命だったのだろうか、偶然だったのだろうか。

ふと俺は横を見た。意味の無い動作。

こんなもの数分後には忘れるはずの動作だった。

でも、これは一生忘れない、忘れたくても忘れられないだろう

。きっといつかこれを思い出して、後悔するんだ。

そう感じた。会いたくなかった。思い出したくなかった。

ずっと頭の中の深い底に閉じ込めておきたかった。


蛍光灯の光でさえ、その少女の可憐さを際立たせた。

紗恵は間違いなく美しかったが、その少女は違った。

その少女の可憐さは普通の女子高生のものではなかった。

凛とした佇まいとその儚げな表情は廃墟を背景にすれば本当に絵になる。

いや、もう既に絵になっている。

少女は1人窓を見つめていた。

俺と同じように考え事をするかのように。

悲しげな視線の裏側に彼女は今何を思っているのだろうか。


その少女は目線に気づいたのだろうか、考え事をやめこちらを向いてきた。

媚びたような可憐さは無いが、ガサツな程の雑さも無い、そんな動きだった。

俺はその少女を正面から見て、ずっと思い出さないようにして記憶にかけた鍵がいとも容易く壊れた。

俺は今どういう表情をしているのか分からない。知りたくない。

その少女も俺を覚えていたのだろう。

心底驚いた表情で俺の顔を見つめていた。

こんな状態でさえ気を抜くと見惚れしてしまいそうになる。


数秒間見つめ合い固まる。数秒が永遠に感じる。

視界が目の前の少女以外シャットアウトされ世界が固まる。

出会う前と後の世界、この数秒を挟んで別の世界なのではないか、そんなことさえ考えた。


「おひさしぶりです……夜彩先輩」

少女は挨拶をして、少し考え込んだ後、俺を見て言った。

先ほどの驚いた顔とは違い窓を見つめていた時のような儚げさも含まれていた表情だ。

俺の事を夜彩先輩と呼ぶ事に抵抗があったのかもしれない。

いや、あったのだろう。

だって、こいつが俺に敬語を使うのなんて初めてだ。

事情があるにしても、敬語を使うなんてな。

4年という歳月で人は大きく成長するのだ。


「久しぶり…はな…いや雪憐」

相手がわざわざ名字で読んだのに、こちらが名前で呼ぶわけにはいかない。

それにもう4年前とは違うのだ。現に雪憐せつれん 花乃はなのは俺の呼び方を変えた。

先輩のくせに分かってても4年前の癖で言い間違えそうになってしまった自分が恥ずかしい。

こいつに言いたい事は山程ある。

聞きたいことも山程ある。

でも、こんな電車で聞くような事じゃない。

落ち着いた時に落ち着いた場所で話すべき事だ。


お約束の挨拶を使ってしまった我々は話す事…いや、"話しても問題が無い事"が無くなってしまい、再びお互いが固まる。

雪憐も居心地が悪そうな顔をしている。

ここで知らん顔をしてもう一度窓を見る選択肢も俺にはあったかもしれない。

それは決して不可能では無い選択肢だったはずだ。

でも、俺はその選択に激しい嫌悪感があった。

このまま、また無理矢理記憶に鍵をかけるのは違う。

ちゃんと考えて向き合うべきだ。


話を止めることも進めることもできない。

たかが数秒でさえ永遠に感じるこの場面でこれ以上この時間を進めたくなかった。

事柄を止めても時間は躊躇無く進む。とても残酷な事だと感じた。


ふと、雪憐が口を開けて何かを言おうとする。雪憐の柔らかそうな唇が動く。

傷が一つ無く自然な色の健康的なその唇は雪憐の唇にふさわしいものだった。


でも、俺はいいのか。雪憐は当たり障りの無い事を言うはずだ。

雪憐は本当にやさしい女の子だった、最低でも4年前は。

だから、雪憐がこの場にふさわしい話題を出してくれる確信があった。

俺と同じくらい雪憐も辛いはずだ、苦しいはずだ。

それを俺は放棄して、目の前の少女に委ねようとしている。

それに…これは4年前の俺が招いた結果だ。

これは俺が話を始めるべきだ。


「雪憐、それ、日成坂(ひなりざか)高校の制服だけど、新入生なのか?」

だから、雪憐が何かを言い出そうとした時に俺が早口で切り出した。

俺が話し始めると雪憐は申し訳なさそうに俺の話を聴き始めた。


だが、言い終わって、しまったと思った。

だって、俺が日成坂高校の生徒なのは雪憐は知っていたはずだ。

分かってて入学したんだ。

だから、これはすごく愚問で失礼な気がした。

これじゃあ、まるで俺が4年の年月で雪憐を忘れたように見えてしまうのでは無いのかと思った。


話始める前は俺が話し始めるべきだと思った。

それが最善の選択肢だと信じた。

俺が話し始めなければ、きっと俺はその選択を後悔するだろうから。

でも、蓋を開けてみれば、最善の選択肢を選んでも後悔した。

いつだって、選択は後悔を生む。例え、どんなに良い選択だったとしても。


雪憐は俺の質問を聞き終わると、自分の制服を見てその後俺を見て言った。

「そうですよ。先輩と同じ学校です」

凛とした眼差しで問いに答えた。

まるで、自分への戒めとも取れる重い重い声色だった。

雪憐も、俺と同じように考えて最善の選択したのだろうか。

雪憐はこの答えに一体どんな気持ちを込めて答えたのか。


「そうか」

俺は少し目を逸らしてぶっきらぼうに答えた。

何か、言おうかとも考えた。何か、話題を広げようかとも考えた。

でも、どれも後悔しそうで、リスクが大きすぎた。

考えた末、雪憐の凛とした眼差しに対して自分が後悔するような選択をするのは失礼なんじゃないかと思った。

だから、少し目を逸らした。

目を見つめることも出来ず、かといって、相手は向き合おうとしているのに自分は向き合えていない罪悪感から完全に逸らすことも出来なかった。


言い終わりと、また静寂が訪れる。

本当にぎこちない会話だ。俺はまた雪憐の方を向くと、雪憐は俺のことをじっと見ていた。

何か言わなければ…。数秒前に考えた事をもう一度考える。

でも、数秒前の後悔は鮮明に頭に焼き付いていて離れない。

どの話題も他意や後悔が含まれているような気がして、選べない。

どれを選んでも不正解な気がして仕方がない。

いや、どれも不正解なんだろう。どれを選んでも、俺は後悔する。


そんなことを考えていた俺を見ていられなかったのかどうかは分からないが、雪憐は俺から目を逸らして、窓を見た。

窓には相変わらず夜景と夜空が広がっていた。

雪憐の視線はまるで最初の時のような儚げで切ないものだ。


「先輩は元気にしていましたか?」

窓を見ながら雪憐は俺に問う。

久しぶりにあった人間に言う台詞では定番なのかもしれない。

しかし、今の状況で社交辞令で済まされないことはお互い分かっていた。

俺が先程使うべきか検討した話題だ。

でも、俺はその問いは愚問だから聞かなかったんだ。だって、答えは決まってたから…

「元気なわけないだろ」

久しぶりに会った人間に「元気か?」と聞かれて「元気じゃない」と答えるなんて間違いだ。

でも今この状態で元気だと答える選択肢は大間違いだ。

比較的間違いでは無い方を選んだ。

なぜなら、元気と言えば、雪憐の事を気にしてないように聞こえるし、

ましてや俺が原因なのに、元気だと答えるのは無責任にも程がある。

それに、本当に俺は元気では無かった、嘘は言いたくない。


雪憐は俺の方を見る。

俺の答えは正解だったのだろうか、分からない。

でも、雪憐は少し、満足したような安心したような表情をしていた。

そして、また雪憐は窓を見た。

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