一万年振りの姉弟

 そのまま飛竜に乗ってこの世界から消えようとしたジューアを、カーナは引き止めた。


「ジューア、君の魔人族について確認したいことがある。昔、話してくれたことがあるね? 幼い弟と生き別れになったことがあると」


 マーゴットとカーナを助けてくれたリースト伯爵家の面々の、あの青みがかった銀髪と薄い水色の瞳は、ジューアとまったく同じだ。


 そう、彼らは魔人族と呼ばれるハイヒューマンの末裔だ。恐らく、このジューア系列の子孫だ。

 特に、あの莫大な魔力を持つルシウス少年は、近年リースト伯爵家で封印が解けたばかりと聞いていた。


「そうよ。両親が当時の神殿に祈願したの。『魔力をたくさん持った強い子が生まれますように』って。そしたら本人にも家族にも制御できない魔力を持った暴れん坊が生まれたわ」

「その子を封印した後はどうなったんだい?」

「一族の祠に納めてたけど、気づいたら無くなってたの。そうね、千年ぐらい前かしら」


 その頃のことならカーナも覚えている。

 弟や、弟を納めた祠の守り人だった自分の子孫たちまで消えたと言って、この見た目だけ美少女は随分長いこと憔悴していた。


「ジューア。君にいいものを見せてあげる」


 カーナはジューアを手招きすると、一角獣の姿に変わって背にジューアを乗せた。華奢な少女なので仔馬サイズの一角獣でも問題なく乗せられる。

 ジューアが乗ってきた飛竜は神殿の屋上でしばし、お留守番だ。




 カーナが空から向かったのは、広大な王宮の敷地内にある騎士団本部の裏手、寮の建物だ。

 そこの3階、真ん中あたりの部屋の窓からそっと中を覗き込んだ。


「!」

「あの子、君の縁者だろ?」


 部屋は狭い単身者用のワンルームだ。壁際に机と細いクローゼット、寝台は中央にシングルサイズが一台。

 そのベッドの上に、青銀の髪の少年が仰向けに、同じ髪の幼児がお腹の上に抱きつくように眠っていた。寝相が悪いのかブランケットの端を蹴り飛ばしている。


「弟だわ。……昔、一族総出で封印したの。魔力が強すぎて制御できないからって。危険だから処分しろって聖者どもに言われて、それで」


 唐突な再会にジューアが混乱している。


 ルシウス少年の魔力の強大さは、今日一日、首に巻かれてお腹いっぱいチャージさせられたカーナは身をもって、吐きそうになるほど体験した。


 そこで、カーナはちょっとだけ自分の虹色を帯びた魔力を伸ばして、お兄ちゃんのお腹の上ですやすや眠っているルシウス少年の頬を突っついた。


「むう?」


 目論見通り、ルシウスは目を覚まして、カーナの魔力に気づいた。

 そのまま魔力の出どころの窓を見ると、外に浮かんでいるカーナと、背に乗っているジューアを見て、薄い水色の目を見開いた。


 ちょいちょいっとカーナは一角獣の前脚でルシウスを手招きした。

 すぐさまルシウスは寝台から降りて窓を開けた。




「ねえさま」

「お前、私のことを覚えてるの?」

「おぼえてます! アッ、でももうお尻ぺんぺんはやああ……」


 慌てて、さっと両手で自分の尻を庇うルシウス少年にジューアは笑った。


 古い時代、魔力制御のできない赤ん坊だった弟を、ジューアは頬や尻をぶっ叩いて折檻したものだが、まったく効果がなかったことを覚えている。

 顔や尻が赤く腫れ上がるほど殴るのは現在では虐待と言われるだろうが、生憎とジューアも弟もハイヒューマンで、ダメージを受けてもすぐ回復するから人間とは感覚が違う。


「まさか無事で、アケロニア王国こんなところで生きてるとは思わなかった。さあ、行きましょう」

「どこへ?」

「もう父様も母様も、……魔人族は私たちだけよ。永遠の国、知ってるでしょ? そこで楽しく一緒に暮らしましょ?」


 ここは夢見の世界の中だ。

 だが、この世界でルシウス少年がジューアの手を取るなら、彼女が夢見を解いて現実に戻ったとき、『ルシウス少年が姉ジューアを選んだ』結果がそれなりに現実にも反映される。


 けれどルシウスは首を振って、伸ばされたジューアの白い手を取ることはなかった。


「ぼくは兄さんといっしょにいたいので、お断りします!」

「兄さん? 誰なのそれは」


 ルシウスは部屋の中を指差した。

 先ほどルシウス自身が起きてきた寝台の上には、昼間中、元気いっぱいのルシウスに振り回されて疲れきり、死んだように眠る兄カイルの姿がある。


「……そう。まあいいわ、どうせ人間の寿命は短いもの。待って、まだ窓を閉めないで。いつかお前に会えたら渡したかったものがあるのよ」


 ジューアが目の前に差し出した両手の平の上に、夜空のような深味ある紺色の魔力が集積していく。

 やがてそれは、透明な松ぼっくりの形になって安定した。


「私や、……両親、一族の皆の姿とメッセージを保存してあるの。使い方はわかる? 自分の魔力を流している間だけ再生するからね……」


 見本を見せると、松ぼっくりは映写機のように空中に映像を映し出し、音声を再生した。

 ジューアやルシウスによく似た男女や、様々な人々が代わる代わる空中に浮かび上がる。

 彼らの話す言葉は、現在の円環大陸の共通語とは違う古語だ。それでもルシウスには理解できるようで、人々が話す言葉にふんふんと目を輝かせて頷いている。


「ジューア、そろそろ」


 名残惜しげなジューアに声をかける。

 ジューアは窓の外、一角獣のカーナの背から身を伸ばしてルシウスのふっくらした頬に指を滑らせた後、額にちゅっと軽い口づけを送った。


「またね、弟よ。姉様はお前を愛してるわ」






 飛竜を待たせている神殿の屋上に戻りながら、ジューアがカーナの背の上で毒づいている。


「苛つくわ。あの子の姉様は私なのに。子孫の分際で兄さんなどと慕われてるなんて生意気よ」


 少しだけ意地悪しよう、とジューアは後にしたばかりの騎士団寮を振り向いて、指先を向けた。

 リースト伯爵家の兄弟の部屋に向けて、夜空色の魔力が細く放たれる。

 カーナは慌てて空中で蹄にブレーキをかけた。


「ばか、何をやってる!」

「さあね。教えない」

「ジューア!」

「……ちょっと兄のほうに素直になれなくなる悪戯をしただけよ。解き方は教えない」


 この感覚は何かの呪いだ。

 だが、どれだけ問い詰めてもジューアは呪いの解き方を白状しなかったので、カーナは仕方なく自分の祝福を上書きすることにした。


「ジューアの呪いがあってなお、己の本心に従えたなら、愛する者を得る幸運を授ける」


 先日、リースト伯爵家の彼宛に送られてきた不審な荷物のように、どうも兄カイルは女運が悪いようだ。

 その辺を改善できそうな祝福を与えてみた。


「無駄よ。私の子孫は幸運値が低いの。祝福で補強したって後からダメになるわ」

「そのときにならなきゃ、わからないさ」


 古い時代に魔力が強すぎて封印されかかったのは、ルシウス少年だけではない。ジューアを始めとした魔人族ほぼ全員と聞いている。

 当時の聖者や勇者たちに討伐されそうになった魔人族は、一族の長である“魔王”ジューアの提案で、自分たちの莫大な魔力をひとつずつ金剛石の魔法剣に変換していった。


 そうしてステータスの魔力値は抑制できたが、つられるように幸運値まで下がってしまった。

 それが現在の子孫であるリースト伯爵家の面々まで受け継がれてしまっているわけだ。




「弟よ。姉様を優先しないお前にもお仕置きよ。『うっかり屋さんの呪い』を授けるわ」

「……実の弟に仕掛ける呪いじゃないだろう?」

「ふん。常に慎重に生きてれば避けられるわよ。いずれ私を力で上回ったときに自然に解除されるわ」


 そうして神殿の屋上まで戻ってくると、カーナから飛竜に乗り換えて、青銀の髪の美少女は今度こそこの世界から消えていった。


「まったく、どうしてああも自分本意なのか。魔人族は自分の好きなものへの執着がきつすぎる」


 逆にいえば、好きなもの以外への関心が薄い。

 子孫のリースト伯爵や嫡男のカイルはさほどでもないように見えた。


 だが純正ハイヒューマンのルシウス少年は、これから成長するに従ってジューアのような偏屈さが出てこないとも限らなかった。



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