記憶の断片、一番最初に起こったこと

マーゴットとシルヴィスが婚約するはずだった日

 帰路、王都を馬車の中から見たが地震の被害は一部に留まっているようだ。

 リースト伯爵邸のように派手に崩れた建物はほとんどない。


「震源地がメガエリスさんのお宅になっちゃったのね……本当に申し訳ないことをしたわ……」


 少なくとも、あの縦揺れの大地震を誘発するきっかけを作ってしまったマーゴットの顔色はとても悪い。


 王宮に戻り、グレイシア王女と一緒にテオドロス国王にことのあらましを報告したら、もうマーゴットはすっかり疲れ果てていた。


 客間に戻ってその日はもう夕食も断って、入浴だけして休むことにした。


「カーナ。ルシウス君の魔力入りのぶどう酒、飲めるかしら?」


 客間付きの侍女に相談すると、王宮の薬師からスポイトを貰ってきてくれたので、ぶどう酒を少しずつ飲ませることができた。


「………………」


 カーナは小さな龍の姿のまま目を覚さなかったが、小さな杯に半分くらいは意識がなくても何とか飲んでくれた。

 ある程度飲み終えると、ぐったりしていた様子だったのが少しだけ表情が安らいだ気がする。


 マーゴットは杯に残ったぶどう酒を飲み干し、瓶の飴玉をひとつ口に含んだ。


(まあ。すごく美味しい!)


 ルシウス少年がくれた飴玉はとても透明度の高い飴で、中に様々なドライフルーツや花弁の砂糖漬けらしきものが入っている。

 何より飴の部分がとても美味しかった。最初の印象はグレープフルーツのような爽やかな柑橘類の風味なのだが、甘すぎずちょっとだけほろ苦く、かすかな塩味もする。

 市販の魔力ポーションをもっと爽快な風味にしたような。


「なるほど、固形ポーションかあ。リースト伯爵家は魔法の大家って言ってたものね」


 だとすると、かなり高価なものを頂戴してしまったことになる。

 この世界では体力回復用のポーションは手頃だが、魔力ポーションの類は飲む金貨と言われるほど高価なのだ。


「カレイド王国に帰ったら、迷惑かけたお詫びを送らなきゃ。ね、カーナ?」

「………………」


 カーナは寝息も立てず意識を落としている。

 リースト伯爵家で貰ってきた小さなバスケットに入れたまま、マーゴットはベッドの枕元にカーナを置いた。

 寝相は良いほうだ。カーナに何かあったらすぐ目を覚ませるように近くにいたほうがいいだろう。


(明日もカーナがこのままなら、神殿に預けて魔力チャージしてもらって……)


 何だか頭が痛い。昼間、ルシウス少年の聖剣で魚切り包丁と自分の魔の影響を祓ってもらってから、じんわり鈍い頭痛があった。


 いろいろ考えているうちに、マーゴットは夢の中に入った。




◇◇◇




 マーゴットは夢で、すべてのループの始まりを見た。


 そもそも、ことの始まりは学園の卒業式の後、マーゴットの婚約者決定を発表するパーティーに参加するため王宮に到着する前に起こった。


(シルヴィスが帰ってくる! 経歴に箔を付けるため冒険者として実績を積んでいた彼が、ようやく!)


 カレイド王国の血筋順位一位のマーゴットに対して、七位の親戚シルヴィスは文句ない婚約者候補だった。

 現国王夫妻の唯一の王子ではあっても、血筋順位の欄外バルカス王子とは比べ物にならない。性格も能力も、学業での成績なども。


 ただ、シルヴィスのディアーズ伯爵家は魔族の血が入っている。

 魔族は、かつてカレイド王国の始祖のハイエルフの一族と敵対していたと言われるハイヒューマンの種族だ。

 その血が強く出たシルヴィスは、始祖の光る緑の瞳も、中興の祖の女勇者の燃える炎の赤毛も持たない。髪も目も魔族に多かったとされる銀に近い灰色だった。


 そうは言っても血筋順位は七位。一位のマーゴットと年齢は8歳差だけで、能力的には申し分ない。


 けれど幼い頃から神殿に入っていて目立った実績のなかった彼は、手っ取り早く目に見える成果を得ようとマーゴットが10歳のとき、彼自身は学園を卒業した18歳のときにカレイド王国を出て他国で冒険者となった。

 冒険者ランクと、各国の騎士ランクには互換性がある。

 ランクは冒険者のほうが上がりやすい。


 マーゴットが成人する18歳までの8年間で修行してくると言って武者修行に出た彼が、ようやく帰ってくる。マーゴットの伴侶として!




 元々、マーゴットはシルヴィスのように落ち着いた雰囲気の男性が好きなのだ。


 初恋こそ優美な青年の守護者カーナだったが、彼は古い時代に失った伴侶と子供を想い続けていて、他者の求愛を受け付けない。


 早々に失恋したマーゴットは、カーナにどことなく似た笑顔の年上の幼馴染みと交流を重ね、そのうち本当に愛が芽生えて将来を誓い合うようになった。

 シルヴィスが国を出ている間も手紙を送り合い、送られてくる文面にはいつもマーゴットへの思いやりが溢れていた。




 シルヴィスは既に王宮に着いていると連絡がきた。

 カレイド王国の守護者カーナにも久し振りに会う。


(お父様とお母様は亡くなってしまったけれど。王配となった彼と新しい家族を作って、私は……)


 期待と希望でいっぱいの胸を抱えて、王宮の儀式の間に向かう。

 そこでマーゴットはシルヴィスと正式に婚約を結び、一年後には婚姻の儀となる。

 仲人は守護者カーナだ。

 女官に聞くと既に儀式の間に入ってマーゴットたちを待っているという。

 マーゴットが到着したことを受けて、シルヴィスや国王夫妻も間もなくこちらへやって来るとのこと。




「あれ? カーナ?」


 儀式の間は国の重要な儀式を行うための部屋で、奥の数段高い場所に祭壇と、手前下には参加者が話し合いや契約書を交わすときに使うための椅子やテーブルが設置されている。


 祭壇前に人影がある。

 王妃と同じ金髪の青年だ。


「バルカス? どうしてあなたがここにいるの?」


 彼はシルヴィスと同じマーゴットの婚約者候補だったが、王配の資質に欠けていて、マーゴットは早くから彼を候補から除外していた。

 バルカスにも伝え、本人も納得していたはずだった。


「バルカス?」


 何か様子がおかしい。

 祭壇に近づいていくと、バルカス王子が息を荒げていて、片手に何か握り締めていることに気づいた。


「魚切り包丁をなぜあなたが持っているの?」


 婚約を交わすにあたって、国の象徴のひとつとしてあらかじめ国宝の聖剣、魚切り包丁を祭壇に設置するよう女官たちに頼んでいたのはマーゴットだ。

 その包丁をなぜかバルカス王子が持っている。


 返事はない。バルカス王子はただ祭壇前の一点だけを見つめている。


「………………?」


 訝しげに思いながらも近づいたマーゴットは、そこにあったものに卒倒しそうになった。


 祭壇の手前に、ドレスを着た女性形のカーナが血塗れで倒れていた。


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