聖剣(包丁)を研いでみたけれど……

 さて、リースト伯爵家では一休みするまでもなく、速攻で作業場へと案内されたマーゴットたちだ。

 まだ午前中の早い時間なのでお茶をするにも早い。


 あらかじめ王宮からメガエリス伯爵が家人たちに連絡を入れていたそうで、敷地内の作業場には包丁を研ぐための用意がされていた。


 作業台に研石や水、研ぎ粉などが揃っている。

 砥石の種類と数がまたすごい。

 水に浸けられたものは十個ほどだが、それ以外のものが箱に入ったまま何十、下手すると百個近く出されて置かれている。


「聖剣というほどですから、過去に聖なる武具を産出した国や地域の砥石を出しておきました。ひとつずつ試して見ましょう」


 騎士服だったメガエリス伯爵が作業着のつなぎに着替えて戻ってきた。息子二人も見学するらしく一緒だ。


 促されて、マーゴットは木の箱の中から魚切り包丁を出して、作業台の上に置いた。

 魚切り包丁、正確には柳刃包丁と呼ばれる細長い刃の包丁だ。刺身を美しく切り分けるのは得意だが、硬いものを断ち切るのは不得意とされる。……一般的には。

 柄の断面は楕円形、いわゆる小判型の木製の柄だ。


 やはり神殿で見たときのまま、刃がすべて黒色化してしまっている。


「ほほう。これがカレイド王国の女勇者伝来の聖剣ですか。確かに特殊な魔力を感じます」

「とうさまー。ぼく、僕も触りたいですー」

「ダメだ、大切なものだからお前はダメ!」


 ルシウス少年がメガエリス伯爵の脚からよじ登って包丁に手を伸ばそうとするのを、後ろからひょいっと兄カイルに引き剥がされていた。


「駄目だよ、ルシウス。お前はこっち」

「やー!」

「駄目なものは駄目」


 暴れるルシウス少年をしっかり縦抱きしてお兄ちゃんは逃がさない。

 弟を抑えたまま、研ぎが見やすい位置に移動した。




「錆……には見えませぬが、まずは磨き粉を付けて磨いてみましょう」


 手元で少量の水で溶いた磨き粉を布に付けて磨いてみる。

 一同は息を呑んで見守ったが、刀身は何も変わらない。黒いままだ。

 別の材質の磨き粉も使ってみたが、やはり変わらない。


 それから順番に、一般的な包丁用の砥石から、剣用の砥石に変えて研いでいったのだが、削れるのは砥石だけで魚切り包丁は何も変わらない。黒いまま。


「希少金属で創られているだけあって、切れ味が鈍る様子のないことが幸いのようですな」


 メガエリス伯爵が言うには、この黒化は地金を巻いているヒヒイロカネという特殊金属と、それに混ぜられているミスリル銀が魔に反応しているのではないか、とのことだった。


「ミスリル銀は銀の上位金属です。銀は毒物に反応しますが、ミスリル銀は邪や魔に反応するってことなのでしょうなあ」


 青銀の髭をいじりながらメガエリス伯爵が説明してくれた。


 だが魚切り包丁はまったく光を取り戻していない。

 もう2時間は伯爵が手を砥石の粉と水が混ざった泥まみれにして研いでくれているにも関わらず。


「そう、ですか……。やはり元に戻すのは難しいのでしょう、か」


 しおしお、と美形家族の麗しさを拝顔してチャージしたはずのマーゴットの元気がどんどん抜けて萎んでいく。


「公女様、午後からはレア武器用の砥石の準備が整いますので、そちらを試してみましょう。神殿から頂戴してきた聖水に浸けてそろそろ良い塩梅のはず」


 砥石は通常、乾いたままでは研ぎに使えない。

 水に浸けて常に水分を含んだ状態で研ぐのだ。

 メガエリス伯爵はマーゴットがカレイド王国から持参した聖なる魚切り包丁用の砥石も準備していたようだ。


「昼は我が家自慢の名物料理でおもてなし致しましょう。屋敷でそれまで休まれますか?」

「メガエリスさん。砥石、私も使ってみてもいいかしら? 持ち主の私が研げば何か変わるかもしれない」

「ええ、かまいませんよ」


 メガエリス伯爵は息子のうち兄カイルに、砥石の使い方や種類の説明をするよう命じて、屋敷へ戻っていった。


「わあ。お昼は父様のごはんー!」


 またルシウス少年が作業台の周りでくるくる、飛び跳ねるように回っている。右回りで。




「公女様、危ないのでオレが手伝います」

「マーゴットでいいわよ。私もカイル君と呼ばせてもらうわね」

「……はい」


 とそんなやりとりをしながら、美少年の兄カイルと魚切り包丁を前にあれこれ試していた。


 包丁の黒化は、マーゴットに悪影響を与えていたと思しき魔の影響によるもので間違いないだろう。

 だが黒くなった刃を触っても、おかしな影響などは出ない。


「聖剣というだけあって、変色だけで魔の悪影響を抑えているのでしょうね」


 試しにカイルが自分の青い魔力を刃に流すも、黒色が変わることはなかった。


 グレイシア王女の真紅の魔力を流しても同じだった。


 マーゴットの魔力はオレンジ色をしている。

 かつては魔力の色によって効果が分かれていたが、現在では魔石や魔導具を使えば誰でも望む効果を出せるのであまり意味がない。

 残念ながらマーゴットの魔力にも包丁の黒化は解けなかった。


 最後、カーナの虹色を帯びた真珠色の魔力を馴染ませたときは、ほんの少しだけ黒色が薄くなった。


「ぼくも! ぼくもやるのー!」


 作業台の足元でルシウス少年が飛び跳ねている。


 とそのとき、屋敷の方から執事が一堂を呼びに来た。


「皆様、食事の準備が整いましてございます」


 続きは昼食の後だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る