第7話 再生
「田村さん。ここにある食材は使ってもよろしいんですか」
「ええ。それはもう自由奔放に」
渡君はキッチンで鼻歌でも歌うように動き回る。まるで自分の家のように。
「明日香がいなければ、僕は調理師学校へ入るつもりだったんですよ。だから広いキッチンを見るとつい嬉しくなって。真二君、このペーパーフィルターをもらってもいいかな」
「えっと、いいけど――」
彼は真っ黒に焼けたチキンをまな板へ移し、その皮を剥いだ。それを水を張った鍋へ移し、やはり天板で黒焦げになった野菜くずをかき集め、滴る油と共に煮込み始める。
「こうやってしばらく煮込んで、濾してからさらに煮詰める。すると美味しいグレービーソースが出来上がります。チキンの方も焦げのないところから切っていきましょう」
背を向けたままの渡君がまな板に向かって包丁を振るう。僕らはそれを眺めるだけだ。
「これもこれで見事なスープができているじゃないですか。野菜も溶けるほどに煮詰まって充分です。ニンジンは小口に、湯剥きしたトマトをカットして加えましょう」
何が起きているのやら分からず、僕は田村さんの顔を覗き込む。彼女は無表情にキッチンを眺めていた。
「さあ、テーブルを空けて。ささやかですが僕がアレンジしてみました。女性にはウィングと胸肉のホワイトミートを。男性陣の僕らにはレッグ付近の、ワイルドなダークミードを。ソースをかけてあります。ナイフとフォークで召し上がれ。スープは濃厚なミネストローネになっています」
満足そうに席へ着くと、渡君は早速ナイフを構えた。
「うん。ソースの深みの次に、詰め物のハーブの香りが爽やか鼻に抜ける。余熱で柔らかく焼けたチキンも美味しい。皆も食べましょう、せっかくの田村さんの料理です」
騙された気分でそれぞれがナイフとフォークを持つ。先にひと口運んだのは二郷木さんで、目を見開いた。
「……」
「どうだい、明日香」
「どうって……美味しいじゃない。けど、どれも清治が作ったようなもんでしょ」
「いや、これだけの下ごしらえ。きっと昨夜のうちに一生懸命仕込んでいなきゃ間に合わないものだ。他人が作ったものをアレンジするのは誰でもできる。感謝しますよ、田村さん」
田村さんが頷いたのかどうだか分からない顔でフォークを口に運んだ。そして、
「美味しい――。私が思い描いていたものより。クリスマスの味がするわ」
「そう言っていただけると光栄です。さあ、真二君も」
僕も皮の剥げたもも肉をそっと口に運ぶ。褐色のソースがしたたり落ちた。口へ入れるとまず酸味と甘みの入り混じった濃厚なソースに肉汁が混ざった。チキンの弾力がふっと消え、繊維を切るように簡単に噛むことができた。ファストフードやコンビニのチキンと比べ物にならない。
「詰め物のお米はあとからブイヨンで煮てリゾットにしましょう。チキンの味をふんだんに含んでとても美味しいはずです。ミネストローネも最高ですね。煮豚の方はしょうゆだれでじっくり煮込めば美味しいチャーシューになりますよ」
渡君の話を交え、食事は和やかに進んだ。二郷木さんはその間にハイボールをひと缶追加して、悪態も消えていた。
食事が終わり、口元をティッシュで拭いた田村さんが、
「渡君、ありがとう」
短い感謝の言葉を贈る。
「礼には及びませんよ。招かれるだけでは申し訳ありませんでしたから。それはそれとして、お二人は今後、どういう進路を選ばれるんですか」
するとそれまで我関せずの顔をしていた二郷木さんが、
「私はシナリオライター一本ね。どうしたって叶えたい夢なの。絶対、ママが書いた本を映像にして見せるんだから」
その言葉に僕が動揺した。その隙に田村さんが答える。
「私は何も考えていないわ。竜崎君と同じ大学に通いたかっただけ」
「はあっ? 一生に一度の大事な進路をそんなことで決めたっていうの? どれだけお花畑なのよ。いい? 恋愛なんて、今の時期には必要ないの。自分の決めた道を真っすぐ突き進むだけよ。じゃなきゃ、大学生活なんて全部ムダ!」
田村さんはウーロン茶のグラスを置いて、
「恋愛じゃないわ。竜崎君と私は、大きな絆で結ばれているのよ――」
すると二郷木さんが呆れて僕へ質問を投げる。
「はいはい、どうでもいいわ。で、アンタは何がしたい訳?」
「僕も――母さんの作品を動かしてみたくて。それだけで――」
「母さんって誰よ」
田村さんが割って入る。
「絵本作家のりゅうざきはつこ。代表作は『あおいそら くろいそら』『海なんてすてっちまえ』。幼児絵本というよりは、情操発達がひと区切りした子供への、解けない疑問を投げかけるような作品が多かったわ。内容は大人でも難解。ただ、その色使いは澄み切ったもので、明るく伸びやかな青が印象的だわ」
二郷木さんが視線を泳がせて黙る。
「なるほど。実は僕もきっかけは田村さんと似たようなもので、明日香のことが気がかりなだけで入学したような大学です」
「ちょっと清治」
二郷木さんが恨みがましく彼を見つめる。
「いや、だからといって目標がない訳じゃないんです。僕はここで人間関係を学びたいんですよ。今日はその第一歩でした。ですから、お蔭さまで有意義な時間になったと思います。あらためて、呼んでくれてありがとうございます――」
午後六時に二人を見送ると、お皿を片づけていた田村さんがぼそりとこぼした。
「これで親友になれたかしら――」
僕は鍋を洗いながら、
「そんな無理に親友を作ることはないと思うけど」
「いいえ。私は高校の三年間をムダに過ごした気がするの。渡君が言ったように、私にもここで人間関係を築く必要があるように思うわ。私の生活のすべてが竜崎君に帰結するものであったら、それは依存になってしまうもの」
「だから、そんな難しく考えなくても――」
彼女はグラスをキッチンへ並べて壁を見る。
「私の高校生活は、どこか壊れていた。それをこれから再生するの。焦げたチキンが生まれ変わったように」
そして彼女は冷蔵庫を開けると、
「カボチャサラダを置いて行くわ。好きな時に食べて」
「食べてって、どうして出さなかったの」
「だって、ポテトサラダとカボチャサラダでは同じ領域で干渉し合ってしまうわ。それに二郷木さんの方が不味かった場合に険悪なムードになるから」
確かに人間関係を学んでいる気はする。気はするがどこかズレている。
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