Roller World

T-Kawa

第1章 砂漠

 暑く乾いた砂漠の昼、その熱気に男は起こされた。

 眠気が抜けない頭から一転、男は焦りから急激に覚醒する。飛び起きて靴を履きそのまま部屋の外へ飛び出すと、太陽の光が男を出迎えた。

 太陽は男の真上で膨大な光を発している。時間がおよそ正午であることを示しているが、男の時計は故障しており正確な時間は不詳である。

 男が恐る恐る後ろを振り返ると、高さ50mはある灰色の筒状のものが、あと100mというところまで迫っていた。筒状の何かはその大きさに反し非常に遅い速度で男のほうへ転がっている。あと2時間遅かったら潰されていたと、安心と焦りの混じった心情でそのまま支木を握り車輪付きの部屋を引っ張る。

 前に進むごとに摩擦の感触が軽くなり、車輪の回転に慣性が加わると力を入れずとも前に進むようになる。そのまま男は前に進み続けた。背後の筒は非常に長く、どこまで続いているのか男に視認することはできない。その長さ故に、転がってくる筒を左右に移動して回避することも不可能である。そのため、押し潰されたくなければ前に進み続けるしかない。男はこの筒を「ローラー」と呼んでいる。

 一度停まって右後ろを振り返ると、男が引っ張っているものと似た移動小屋がローラーのすぐ手前に停まっていた。小屋が回転に巻き込まれ少しずつ押し潰されていく。その回転は遅く、徐々に徐々に小屋は形を失っていく。ローラーに触れたところから木片になっていくが、その内部は男の位置から確認できない。乗り捨てられたものと考えたほうが男の精神衛生上は良かった。何十秒もかけて小屋が完全に潰されるまでを見届ける心の余裕が男にはなかったため、すぐに振り向くのをやめた。

 数十分進んだところで、男の視界に生い茂る緑が飛び込む。オアシスである。男は目を輝かせ、小屋を引っ張る力を強めた。ローラーは男が飛び起きた時よりも後退している。

 オアシスに近づくとともに少しずつ涼しくなり男の期待は高まる。そこから数十分経つと、男は目的地に到着していた。薄黄色の砂の地面に、緑と青と茶色を纏ったオアシスは不思議と違和感なく馴染んでいる。泉は池程度の広さだが、周囲はナツメヤシの木が何本も生えている、規模の割に豊かなオアシスだった。

 木を切っただけの車輪止めを後輪に設置すると、男は泉のふちに膝をつき両手を突っ込んで水を掬った。そのまま口に運び水を飲むと、再び両手を泉にくぐらせ水を飲んだ。朝から何も飲んでいなかった男はこれを数度繰り返した。

 水を飲み終えると、男は水辺の空気を目一杯吸い込んだ。その後は小屋に入ると古びた甕を取り出し泉にくぐらせ水で満たす。それをもとの位置に戻すとまた小屋から木箱を取り出し、その中の陶器のコップ三つと皿三枚を泉の水で洗う。小屋の中に無造作に置いてあった衣服も泉で汚れを落とすと、洗うものが男本体と着ている服のみとなった。

 男は少し後退すると、助走をつけて湖に飛び込む。大きな水飛沫が飛ぶと、男の上半身が水面から現れた。水位は男のへそより少し上で、余裕で足が着くようだ。

 そのまましゃがみ込むと、男の体は肩まで泉に浸かった。そこで服を脱ぐと、それも水中で振り両手でこすり合わせた。寝間着として使っていた服であまり汚れはなかったが、焦って普段着に着替えず小屋を引っ張ったため、汗が染みこんでいた。ズボンも脱いで同様に洗うと、全身を水中に潜らせ頭をコシゴシと洗った。

 男の身体は均等に日焼けしており、それは普段から全裸で過ごす時間が多いことを示していた。水に濡れて男の全身は静かな光の反射を纏っている。

 泉から出た男は振り返りローラーを確認する。オアシスに着いた時よりも接近していたが、まだ潰されるまでは丸一日ほどの猶予がある。

 男は全裸のまま、移動小屋の入口の左横に取り付けられた梯子を登る。屋上に取り付けられた物干し竿に洗った衣服を全て掛けると、再び地面に降りた。

 食糧も尽きる寸前だったため、食べるものを探すべく周囲を見渡した。水を飲み汗を流した男は、先ほどとは打って変わって落ち着いた気持ちだった。

 泉の周囲に不規則に並ぶナツメヤシの枝には、橙色の小さな実が一か所にまとまってぶら下がっている。色からして既に熟しているようで、すぐに食べることができると察した男は錆びた鉈と布袋を手に一番背の高い木に抱き着き、頂点近くまで20m近く登った。器用に実を刈り取っていくと、一塊と少しだけ入れたところで袋が満杯になったため転落しないよう注意し地面に降りた。

 男は袋に詰まった実を小屋の木箱に移すと、再び木に登っていった。

 木箱が満杯になる頃には約2時間が経過していた。ローラーに追いつかれるまでにはまだ時間があるが、夜を待ちそのまま越せばさすがに危険である。男は日が落ちる前になるべく距離を伸ばすべきと考え、外に出しっぱなしだった食器などの雑貨を入れた木箱を小屋にしまうと、急いで斧を手に2mほどの高さの名前のわからない木を木材にし、そのまま支木を握り小屋を引っ張った。

 夜になるころにはローラーはかなり離れており、三日ほど寝ていても無事で済む距離だった。10km以上離れているだろうか、巨大な壁として男に迫った朝と違い、小さく、遠くに見えている。

 移動小屋の屋上で、男は全裸のまま昼に採集した実に塩をまぶし床に並べていた。干して保存食にするためである。

 梯子が取り付けられた面以外の三面には陶器製のプランターが据え付けられており、そこには男が育てている大豆の苗が9株ほど間隔を空けて背を伸ばしていた。白い花がいくつか咲いているので、もうすぐ食べられるようになる。大豆の種子は数年前に出会った旅人との交換で手に入れたもので、少しずつ育てている。大豆は植えた直後を除きあまり水やりを必要としない種なので、砂漠を旅する男にも育てることができた。水は貴重だし、屋上のプランターは小屋の外部に排水できるパイプを備えてはいるものの、排水機能は低く水をこまめに与えるには適さない。

 最低限の足場を残し並べられるだけ実を並べると、衣服が乾いているかを確認す る。強風が吹かなかったため砂もあまり付いておらず、日光に何時間も照らされてすっかり乾いていた。洗濯物を全て回収すると、男は梯子を下りた。

 男は水で満たされた甕とナツメヤシの実で七割ほど埋まった木箱を見て達成感に浸りながら、実を一粒掴んで口に運んだ。癖のない甘さが口に広がり、日中歩き続けた疲れが軽くなるのを男は感じた。30粒ほど食べると、甕の横に置かれた実を入れたものとは別の木箱からコップを取り出した。そのコップで甕から水を掬うと、すぐ口に運んだ。飲み干すと木箱に入っていた布でコップを拭いて床に置いた。

 そうしている間に気温が下がり、全裸だった男は肌寒さを感じて寝間着を着た。

 寒さが和らぐと、男は安心し畳んであった薄い布団を広げ、その上に寝転んだ。遅めながら慌ただしい起床とともに始まり、体を動かし続けた一日を過ごした男の身体には疲れがどっと沁み始め、いつの間にか眠りについていた。

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