第88話 何も知らない朝
昨晩この村でどのようなやりとりがあったのか知らずして、一夜が明ける。
時刻は朝食を食べるにはまだ少し早い朝の六時半。カスパールとルドルフはまだ少し重い瞼を軽く擦り、窓から入って来る朝の光を感じていた。
「おはよー、ふわあああああっ」
ルドルフはふにゃふにゃした声を出してから、大きなあくびをする。あくびで出た涙を手で拭うと、時計のかかっている場所に目を向ける。
「あ、やっぱりこの時間だ。討伐隊学校のときの習慣かあ」
「二人で同時に起きたし、多分身体に残ってるんだな」
二人はベッドから降り、着ている服を整える。パジャマを持ってきていないので、彼らは宿に着いてから着替えた服そのままで眠っていたのだ。
ある程度身だしなみを整えると、二人の部屋にノック音が響く。
「二人とも、起きた?」
「うん、起きてるよ」
そう答えてから、ルドルフが小部屋のドアを開く。そこには、目を半開きにした寝癖だらけのレベッカがいた。
「ぶわっ、なんだその髪」
その姿を見て、すぐさまカスパールが反応する。
「……なによ、おかしい? 寝起きなんて普通こんなものよ」
「いや、そっちにも鏡あるんだし、ちょっとは直せねえのか? ほら、服だって──」
カスパールは上から下へ、レベッカの服装に目をつける。
まず彼の目には、上半身のブラウスの裾がスカートから出ているところが入って来る。
その下に目を向けると、寝ている間に一部がめくれ上がったレベッカの短いスカートと、少しずり落ちた右足のニーソックスがあった。
(おっ、見えるか?)カスパールは上半身を左側に動かし、中を見ようとする。
「そ、その……。上のブラウス、スカートに入ってないなーって、ははは」
見えない見えないと目を凝らしながら、口ではとりあえずそう言っておくカスパール。
だが、彼の計画は未遂に終わることになる。
「あとレベッカ、スカートスカート。ちょっとめくれてるよ。あと靴下も」
ルドルフが指摘すると、レベッカは慌ててその部分を探し手を伸ばす。次にブラウスの裾を入れると、彼女はカスパールに再び目を向ける。
「これでいいでしょ。それと、この宿じゃ夜以外にごはんが出ないらしいから、あとでパンか何か買いに行くわよ」
期待していたものが見れず遠い目をしていた彼が、思わず声を上げる。
「はあっ? マジかよ、何が出るか楽しみにしてたのに」
「まあ、早いところだともう少しでパン屋さんに焼きたてのパンが並ぶわ。昨日ここに来るときに一つ見つけたから、後で行ってみましょう」
二人は迷うことなく賛成の意を告げ、全会一致で三人はそのパン屋まで行ってみることにした。
「いやー、結構安かったよな。田舎は物価が安いって聞くけど、あんなに安いのか」
七時を回り、パン屋に行き朝食を買い帰路に着く三人。
彼らはあれから各々買いたいものを買い、それぞれ品物が入った紙袋を持つ。
「パンだけじゃなくて、肉とか野菜が挟まったサンドイッチもあったよね」
そう言って、ルドルフは袋から一つ小さな紙箱を取り出し、それを開ける。
「ほら、ベーコンサンド二枚入り」
中には大きなベーコンとレタスが挟まったサンドイッチが二つ詰められていた。二つの間は少し開いていたが、形が崩れるほどではない。
それを見た二人はおおと感心し、自分の買ったパンを見せようとする。
「俺はこれ二つ、なんかコロッケがパンに挟まってて、気になったんだ」
「あたしは普通のライ麦パンにしたわ、朝だからあんまりいっぱい食べない方がいいと思って」
それぞれが買った朝食を見せ合い、宿へと戻る。
ほどなく宿の前に到着する三人。だが、宿の前には初老の男──村長であるゲオルグがいた。
「えと、村長? こんな朝に一体なぜ──」
カスパールが村長に声をかけると、彼は驚きわっと声を出して振り向く。
「なんだ、外にいたんですか……。実はお三方に御用がありまして、ここまで来たんです」
朝の七時にわざわざ宿まで訪ねてきたゲオルグ。その理由は、至極単純であった。
「昨日、私の息子がとんだ無礼を働いたようで、そのお詫びに伺いました。本当に、申し訳ございません」
彼は頭を下げ、クルトの非礼を謝罪する。その様子を見て、レベッカがいえいえと宥める。
「昨日のことだったら、気にしなくて大丈夫ですよ。こんな朝からわざわざ来ていただいて……」
困ったような表情でそのように言われ、ゲオルグは顔を上げる。
「なんとかここにもたどり着けましたし、村長さんが謝る必要はありませんよ。……ただちょっと、困ったことがありまして」
「──困ったこと、一体なんでしょうか?」
カスパールの言葉を耳にしたゲオルグは、心配げに彼の方に目を向ける。
「いえ、そんな大したことではなくて……。ただ工場の場所がわからないってだけですよ」
彼の言葉に、レベッカも反応する。
「そういえばそうね、まだ聞いてなかったわ。今日から燃料精製の仕事するはずなのに」
「ああ、それなら私が案内いたしますよ。もともとそこに行くつもりでしたし」
工場の場所を知らない三人の案内役を買って出たゲオルグ。これにより、仕事を始める前の問題は大方解決した。
だが、村長の事業の裏に潜む魔物の脅威を彼らは知らない。
それを知ることになる時──そして、ハボローネの正体を知る時、カスパールたちの心は何を思うのだろうか。
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