0.1秒のその先へ
青斗 輝竜
第1話
パンッ――
飽きるほど聞いたその音は心臓の鼓動を早くした。
次は俺達の番だ。
放課後の部活で行われている100mの測定。
ここで大会のリレーメンバーが決まる……とは言っても3人は確定みたいなもの。
残る一枠は俺かそれとも――
タイムを計ってくれている先生が遠くで手を挙げた。
走れ、の合図だ。
「オンユアマーク」
休憩中の後輩が100m先にいる先生にまで聞こえるように叫ぶ。
その声を聴き、俺達は一礼してスターティングブロックを合わせる。
静寂が訪れた。
サッカー部の声も蝉の鳴き声も、自分の鼓動の音も聞こえない。
深呼吸をしてその静寂の中で次の言葉を待つ。
「セット」
腰をあげ、数秒後――
パンッ! とスタート合図機が音を立てたのと同時に走り出す。
ただ目の前のゴールを目指して――
「手塚13.2秒。川田13.1秒! ほぼ同着だったけど市川の方が若干速かったな」
手元のストップウォッチを見ながら先生が短く言った。
俺らは息を整えながらはい、と返事をする。
「……ハア、俺の勝ちー! ユズ惜しかったな」
「……るせーよ! 川田が速すぎるんだよ」
笑って受け流すと、一緒に走った川田は汗を拭い、腰に手を当てながら小走りで水飲み場に向かって行く。
どこか嬉しそうでその足取りも軽そうに見える姿を見て俺は急に力が抜けた。
膝に手を起き、地面を睨めば、額から汗が流れ地面に色を付けていく。
それをただじっと見つめながら呼吸を整える。
そうしていればこの悔しさを汗と一緒に流せると思ったから――
「ただいまー」
部活が終わり家に帰宅。
玄関でのお出迎えはないらしい。
つまり今日、両親は仕事で妹と弟と俺しか居ない訳だ。
重い足取りでリビングに入ると妹がテレビ見ながらくつろいでいる。
弟は……きっと自室だろう。
「ユズおかえり」
「ん……ただいま。もうご飯食べた? 」
「うん。二人とも食べた」
「ほーん。了解」
話し終わると、テレビの音だけがリビングに響く。
決して仲が悪いわけではないのだがこれといって話すことはない。
手を洗い、タオルで汗を拭けば鼻声が聞こえてくるが心地いいくらいの小ささで、親がいるとうるさくなるやつらなので今の俺にはこの静かさの方がありがたかった。
冷蔵庫から生姜焼きが乗った皿を取り出してレンジに入れる。
その間に味噌汁を温めレタスをちぎり、茶碗にご飯を盛り机に並べていく。
今日はお腹が空いていないので量はあまり多くない。
「いただきます」
一人大きなテーブルでご飯を食べるのもだんだん慣れてきた。
母が働き始めたのはつい最近……といってももう一年近くになるだろうか。
父も週一休みなので家にはほとんどおらず、家族が揃うのは日曜日だけだ。
そんな環境なので基本的には何にも縛られていない。
勉強をするもよし、ゲームするもよし。
だから、弟も帰ってすぐにやることを終わらせゲーム三昧。
俺は――
「ごちそうさま」
手を合わせ食器を片付け、そそくさと玄関に向かう。
バッグから運動靴を出す。
買って半年も使っているので、それなりに汚れも多いが、とても走りやすくて気に入っている。
靴ひもをきつく縛り外に出ると、既に辺りは暗くなっていた。
俺の住んでいる所はそれなりに田舎なので外灯も全くなく、走るのには向いていないだろうが、軽くランニングする分にはいいだろう。
少し準備運動をしてゆっくりなペースで走る。
長距離は得意でないので、自分のフォーム確認や走り方の癖を治すためだ――
「はぁ……」
走り出してすぐに俺は足を止めた。
こんな事全く意味がないと脳が訴えてくる。
1年前は数ヶ月続いてたが今じゃこれだけ。
悔しいからってその日だけ自主練習したって足が速くなることはないのだ。
俺は毎日ランニングしてる訳じゃない。
悔しい思いをした時とか気分を紛らわすためだとか……。
そういった自分に自信が持てなくなった時、少しでも自分自身に抗おうとして何も考えず外に出る。
こんな努力もしてないやつが――
目標1つも達成出来ないやつが――
リレーメンバーになれる筈などなかった。
今日もいつもと変わらない放課後。
部活が始まるのは4時15分なので始まるまではまだ時間がある。
軽く体を動かしながら仲の良い奴らと雑談をしていると、部長が遅れてグラウンドに入ってきた。
買い物かごのようなものを持って走ってくる。
俺たちは息を飲んだ。
あの中には練習メニューが書いてある小さなホワイトボードのようなものが入っていると分かっているから。
部長は陸上部が使える用具倉庫の前まで来ると中からホワイトボードを取り出し、シャッターにくっつけた。
「陸部練習始めるよー」
靴ひもを縛りながら部長の荻原が言う。
けれど、そんなの誰も聞かず全員がシャッター前に群がる。
もちろん俺も練習内容が気になるのでついつい見に行ってしまう。
「うっわ! 最悪だ! 」
真っ先に練習メニューを見に行った相川が大声で叫ぶ。
嫌な予感がしまくっている中、俺も練習メニューを見た。
アップ終了後、燕セット走。
大きく書かれたその練習内容に部員全員が悲鳴を上げる。
俺も皆と一緒に嫌がった……表面上は。
練習ももちろんキツく、考えただけで吐き気がするが小さく書かれた下の文字にしか目が行かない。
リレーメンバーは通し。
それを見た瞬間、俺は震えが止まらなかった。
自分に対しての怒りなのか、昨日ライバルに負けた悔しさからなのか。
それは分からなかったけど、とにかく後ろにいた川田から逃げるように距離を置いた。
アップが終わり、流しの2本目に差し掛かったところで先生がグラウンドに入ってくるのが見え、全部員で挨拶をした。
サッカー部と一部の後輩たちが肩を落としたのが目に見えて分かる。
俺らの先生はとても厳しいし怖い。
入りたての1年生にも容赦はなく、ここ3年間で8人ほどやめた人がいるくらいだ。
だが陸上には人一倍詳しく教え方も最適で練習には文句の付けどころがなく完璧といえるだろう。
ただ、女性だというのに学校の中で一番怖いと生徒全員から言われているので後輩達はいつも怯えている。
「流し終わったら集合」
「はい! 」
先生は一言いうと、倉庫の方に歩いて行く。
俺らは顔を合わせて安堵し、流しを丁寧にやり始めた。
「今日から練習を厳しくする。本練習が終わった後は各種目に分かれて練習しろ。短距離はスタートの練習を――」
先生がテキパキと練習内容を言っていく。
全員に緊張が走り、空気も大会前という雰囲気になっていった。
今年は先生も強気に違いない。
なぜなら今年の3年生はめったにない強者ぞろいで全国を狙える奴が3人もいるからだ。
中学でここまで強い学校は珍しく、市内でも注目を浴びているだとか。
――そんなことを考えていると先生の話が終わり、皆が散らばっていく。
「川田、手塚」
動こうとした時、先生に呼び止められ俺らは駆け足で寄る。
怒られるかもしれないと思い顔を隠すよう、必死に汗を拭う。
隣にいる川田も後ろで組んでいた手に力が入っていた。
「昨日の100mの結果を見て、リレーメンバーは川田に決めた。手塚は補欠だ」
「……はい! 」
顔色一つ変えず先生の話を聞く。
その後も先生は何か言っていたが全く耳に入らなかった。
補欠という響きが自分でも驚くほど気に食わなかったからだろうか。
「12……13……14! ゆっくり歩け! 」
本練習が始まり先生がタイムを測る。
燕セット走は100mから200m……と徐々に距離を上げていき500mを走ったら今度は折り返しという地獄のようなインターバル走のメニューだ。
この学校は一周200mなのでコーナーがキツいというのに、今日に限って地面が雨のせいでぬかるんでおりとても走りづらい。
おまけに部員が多いので、1組7人ほどに別れて走る。一番速い組で走らされるため、その中でも遅い方の俺は前の人が蹴った土が顔や口の中に入ってきてコンディションは最悪だ。
けれどそんなものを気にしてる余裕はなく、ただ練習に集中した。
「次でラストだ。気合い入れろ! よーいドンッ! ……」
ラストの100mを走り出す。
息切れが凄く運動着も汗でびしょ濡れだ。
体は思うように動かず、脚も前に出ない。更には腕を振るのもやっとのこと。
「はぁ……はぁ……」
息が苦しい。
それでも俺は前にいるやつらを抜かすように必死に足掻く。
前を見据え、決して弱気にならずただ自分の全力を出した。
前にいるリレーメンバーの背中を追いかけて――
「はぁ……。お、終わったぁ……」
高坂が腹から吐き出すように呟き、地面に座り込む。
それを見ていた先生が「高坂座るな! 」と大声で怒鳴り、高坂は渋々立ち上がった。
「まじで死ぬって……」
「お前は全国行くんだから……こ、こんなんで弱音吐くなよ」
「こんなんって、柚巴も死にそうじゃねえか」
俺が手を差し出すと、高坂は手を取って立ち上がるがフラフラとしており危なっかしい。
高坂と話していると、水を飲みに行ってた奴らが来た。
「これからリレーの練習ってキツくね」
「まじそれな……俺なんて目眩するもん」
リレーメンバーの相川と柄本が話しながら横を通り過ぎる。
2人ともだいぶ表情が辛そうだったが、本練習を走りきったという達成感で満足そうにも見えた。
「高坂も速く行けよ。お前リレー練習じゃん」
「分かってるけど……ちょっと待って。まじで吐く……てか柚巴もリレーの練習付き合えよ。お前がいてくれないと困る」
「――おう」
その言葉が嬉しくて自然と頬が緩んだ。
高坂は時々恥ずかしい本音を平然と言うが今の俺にはとてもその本音がありがたかった。
補欠だとしてもやれる事くらいはあるんじゃないだろうか。
例えリレーのメンバーになれなくても補欠としてリレーの選手達を全国に導くことは出来る。
俺は腕に力を込め、気合いを入れた。
今日から補欠として出来ること、やれる事を精一杯やろう。
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