山道の先に 2

 雨具のフードを被り外に出ると、雨は先ほどよりは弱くなっている気がした。でも、傘と違い直接ポツポツと頭に落ちる雨粒が、まだまだ降るぞと言っているようで気分が沈む。駐車場の入り口付近まで来て、レイさんのご遺体のことを思い出し、さらに重たい気持ちになった。


 昨日の夜、私に真っ赤なドレスを手渡したレイさんは、テカテカ光る黒いボディスーツを着ていた。年齢的には武山さんと同じくらいか少し下。それでも若く見えるのは、手入れをされている顔だったからだ。あれは高い化粧品を使い、こまめにエステに通っている人、私のショップの常連さんの中にも同じような肌の人はいる。年齢を感じさせない肌、と謳い文句がつくような化粧品を使ってる奥様方だ。すっきりとしたショートヘア。さっきのご遺体を見る限り、普段の服装は都会的でお洒落な人だったんだろう。そばに転がっていた真っ赤なハイヒールの底は黒く、高級ブランドのものに違いない。こんな時までそんなことを考えてしまう私は、やっぱりアパレル店員が染み付いているのだ。誰が何を着ているか、どこのブランドのものなのか、どういう仕事をしている人か、そういうことをすぐに考えてしまう。


「足元、お気をつけください」と木下さんに声をかけられ、はっと我にかえった。いけない、これからレイさんのご遺体の横を通るのに、なんてことを考えていたのだろうかと、自分を責めた。


 レイさんのご遺体が見える。レイさんのご遺体にはさっき手向けた茶色い傘がその姿を隠し、傘と傘の隙間から、気味の悪いほど白いズボンと赤い靴が見えている。雨の降るモノトーンの世界の中で、そこだけが別の世界に思えた。思わず立ち止まり、手を合わせる。レイさんの焼け爛れた顔を思い出すと、そばに行くまではできる気がしない。でも、何もせずに通り過ぎることなど、どうしてもできなかった。昨日、「これ着れる人なかなかいないんだよねぇ。きっと似合うよ」と言って笑った綺麗なレイさんの顔を思い出し、ぎゅっと胸が締め付けらる。ほんの少し話しただけなのに、その人はもうこの世にいない。あまりにも酷い被害に遭ったレイさんが気の毒で、祈りを捧げずにはいられなかった。


「霧野様?」と木下さんの声が聞こえ、「すいません」と木下さんのいる場所まで向かう。


 駐車場を出ると下り坂があり、キャンプ場のためだけに作られたのであろう舗装されている道を下る。下り坂を歩くザッザッという足音と、頭に当たる雨の音。隣で歩いている木下さんも無言だ。


 どれくらい歩いただろうか。もう十分以上無言で歩いている気がする。このままずっとこうして無言で歩くのはなんだかな、と思い、木下さんに声をかけた。


「木下さんは、あの別荘のスタッフになって長いんですか?」

「いいえ、一年くらいです。Nature’s villa KEIRYUがオープンする少し前からですので」

「そうなんですね」

「はい」

「あそこは普段は人が沢山くるのですか?」

「いいえ。そこまでは。会員様の中には東京や海外の方もみえまして。なかなかこんな山奥の別荘をいつも利用される方は少ないものですから」

「でも、毎月会費が五万円で、もう定員数はいっぱいだって武山さんは言ってらっしゃいましたよ?」

「そういうのが支払える方が、会員様なので。あ、今の話、してはいけない話だったかもしれません。聞かなかったことにしてください」

「わ、わかりました」

「あまり会員様にまつわるお話しは、してはいけないと思いますので」

「そうです……ね」

「はい」

「でもまたなんでこんな山奥に就職を?」

「山奥というか、元々はネイチャープログラムを提供するスタッフの予定だったのですけれど、なかなか需要がなく、それで今はコンシェルジュがメインなのです」

「他のスタッフさんは、お見かけしなかったのですが裏にいるんですよね?」

「はい。と言っても、今日は私の他には誰も」

「え? そうなんですか? じゃあ、昨日のパーティーの片付けはお一人で?」

「あ、それは違います。私は昨日はDJをしていまして」

「えぇ?!」


 驚き立ち止まると、「霧野様?」と私の方を向いた木下さんに聞かれる。そう言われれば、昨日DJブースにいた女性に似ていなくもない。


「なんで昨日はDJを?」


「なんでと言われましても、DJでは食べていけませんから。霧野様、先を急ぎましょう。ここではまだ電波が入りません」と、木下さんはスマホを私に見せた。そうだったと思い出し、自分のスマホも確認するが、まだ圏外だった。


 先を歩く木下さんに追いつき、隣に並ぶ。木下さんは見たところ160センチもないくらいの身長で、168センチの私には、歩いている顔の表情がよく見えない。カーキ色の雨具を着ている木下さんはスーツ姿よりも幼く見えた。


「木下さんがDJをしていたということは、昨日は別のスタッフさんがいたんですか?」

「はい。昨日はそういうイベントだったので」

「イベント?」

「そうです。オーナーが企画した名古屋からのバスツアーです」

「バスツアー?」

「はい。会員待ちのお客様の中でも、オーナーとお知り合いの皆様にだけご提供しているプライベートパーティーです。五時に名古屋を出発して、夜通しお楽しみいただき、明け方にはもうバスで名古屋に帰るという、そういったツアーなのです」

「じゃあ、昨日の人たちは、もうあそこにはいないのですか?」

「はい。機材スタッフも清掃スタッフも飲食スタッフも、本日五時出発のバスで名古屋に戻りました」


 であれば、今あそこにいるのはさっき一緒にいた人たちと、リカさん、美穂ちゃん、それと——


「あの、長期滞在の方はずっと宿泊されているんですか?」

「申し訳ございません。会員のお客様のことはお話しできかねます」

「な、なるほど……」


 それは理解できる。私もショップでお客様の話を他のお客様にするのはタブーだからだ。お客様のプライバシーは守られねば。でも、昨日お昼ご飯の時に孝哉と呼ばれていた人はさっきラウンジにいたメンバーの中にはいなかった。それにリカさんのことも聞きたかった。武山さん達とは昔からの付き合いだと言っていたリカさんは、どういう人なのだろうか。


 ——でもプライバシーって言われたら、聞けないか。


 考えながらスマホを見つめ歩いていると、「霧野様、これ以上無理です」と急に立ち止まる木下さんの声が聞こえ、「え?」と顔をあげた。目の前には大きな岩や茶色い土砂、なぎ倒された木々が道路に積み上がっている。


「この先へは、いけません……」

「こ、これ以外の道は!?」

「ありま……せん……」

「じゃ、じゃあスマホの電波っ……ない……。私のスマホはないです。木下さんは——」


 自分のスマホを確認していた木下さんが、ゆっくりと顔を上げて私見る。


「私のスマホも、圏外です……」


 


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