第40話 ユニバース25

 なんだかんだ言って、トゥーリの世話になることになった。 

 彼女も現実世界の人間と入れ替わりこの世界にやって来た異世界人の一人であり、彼女は家庭仲の悪い一人暮らしをしている中学生と入れ替わっていた。

 元々の現実世界の人間は素行が悪い女子中学生だったらしく、一人暮らしのアパートにろくに様子見にも来ず、長期間は無理だが、ほんの一時しのぎならなんとかなりそうだった。

 トゥーリのアパートも高田馬場にあり、しばらく厄介になると腰を落ち着けた時だった。

 俺の携帯が鳴った。

 その着信で父親———藤吠双臥が亡くなっていることを知った。


 〇


 藤吠双臥の葬式はひっそりと行われた。

 家族葬だが参列者は俺とトゥーリとローナの三人だけ。異世界侵食の影響で参列者への連絡は混乱し、俺の家自体がそもそも異世界のものに改変されてしまったのもあり、こんなに少ない人数になってしまった。

 藤吠双臥は、藤吠家の墓に入ることになっていたが、無理を言ってヴァランシア宮殿の裏のマリア・トーボエの墓に入れてもらうように頼み込んだ。

 多分、親父もそう望んでいると思う。

「大丈夫?」

「ああ……」

 マリア・トーボエの墓の前。

 俺とローナは手をつなぎ、墓石を見つめていた。

「悲しいのなら、泣いてもいいと思いますよ」

 葬儀の間、俺は涙が一滴も出なかった。

「どうしてだろうな……冷たい人間なのかな。悲しいとは思うけれども、涙が出るほどじゃないんだ。それに喪失感もない。親父のこと嫌いだったつもりもなかったんだけど……ただ、〝来るべき時が来たな〟ってしか思わないんだ」

 ローナが俺の手を握る力を、静かに込めた。

「覚悟をしていたってことじゃないですか。いつ亡くなっても後悔しないように、時間ソーガさんはキバ君に受け継ぐべきものは受け継がせて、キバ君もソーガさんから受け継ぐべきものは受け継いでいる。だから、悲しみよりも寂しさが勝っているんじゃないですか?」

「そうかな……親父から特に受け継いだものがある気はしないけど」

「しっかりと受け継いでいるじゃない」

 トゥーリだ。 

 ヴァランシア王国の騎士という立場が、トゥーリの立場をこの世界で大人たらしめている。葬儀の細かいやり取りはトゥーリにしてもらっており、たった今それが終わった様子だ。

「何を?」

 わからず、聞き返してしまう。

「〝オウカ〟は元々トゥーリの物だし、ビフレストの欠片も本来はこの世になくていいものを親父が持ってきてるから受け継いだって感じはしないし……」

「ここよ」とトゥーリが俺の胸を突いた。

「勇気とか意思とか、一番近いものはそれだけど、具体的な言葉にはできない。ただ……あんたはしっかりと受け継いでいる。この世界を良くしようと思える気持ち。多分それが一番大事。それを持っているっていうことが、今生きている人間がそう思えることが死者の一番の手向けになっていると……私は思うわ」

 自分で言っていて、途中で恥ずかしくなってきたのか、トゥーリの頬が赤くなっている。

「そうかな……」

 俺は近くに咲いていた彼岸花を一本ちぎり、墓石に手向けた。

「マリアさんにですか?」

「いや、この世界の俺の母親に向けて、改変魔法のせいでもうこの世にはいなくなってしまったけど……血は繋がっていなかったけど、ずっと俺を息子と思って接してくれた人だから」

 魔王を倒して異世界から帰って来たばかりの時代の記憶は俺にはない。 

 すぐに親父に消されてしまったか、ビフレストの欠片を埋め込まれたせいで何らかの作用が働いてしまい、記憶に障害がでたか。だから、藤吠双臥がこの世界でどういった形で家庭を築いたのか、俺は知らない。再婚であって欲しいと思うが、もしかしたら記憶を操作してあの人の家にもぐりこんだかもしれない。

 この世界の母さんは、利己的で閉塞的な人で、引きこもりがちで親戚とも会いたがらず、家庭外のやり取りは全部親父に任せて、母親の鑑とはとても言えない人だったけど、家事だけはしっかりやってくれて、家の中は埃一つなかった。

 正直に言えば嫌いだったけど、彼女が俺に愛情をもって接してくれていたのは事実だ。

 俺は黙とうをささげる。

「それじゃあ、行きましょうか」

「ああ……」

 死者への手向けは十分に行った。俺とトゥーリはその場を後にしようとするが、ローナはまだ墓石の前に留まっていた。

「キバ君」

「ローナ、もう行くぞ」


「人って、世界って本当に守る必要があるんでしょうか?」


 ローナの切なげな眼が俺を捕えている。

 異世界も、現実世界の現状を知り、どん詰まりの状況を知るローナだからこその疑問だ。

「人が人である限り、世界って言うのは絶対に滅びる時が来るんじゃないですか? いつか必ず滅びるものを、必死になって守る必要———本当にあるんですか? 

 このまま果てしない戦いを続けてもいいんでしょうか?」

 ローナは俺を気遣っていた。

 森羅万象どんな物体も、最後は滅びが待っている。なら、戦うのは無駄に傷つくだけじゃないか———と。

「ローナ。ローナは知らないだろうけど、ネズミを使ったある実験をこの世界ではしてるんだよ」

「ネズミ?」

「ユニバース25っていう実験をね。ネズミにとって食住不自由のない環境、〝楽園〟を作らせるとどうなるか、今の衣食住に困らない人間社会をシミュレートさせたんだ。ネズミは体が小さいから新陳代謝が早く、生きるスピードが人間にとっては猛烈な速さで流れていく。だから、人間ではまだ到達していない社会の段階まで到達できるんじゃないかっていう実験だったんだ」

「人間とネズミは、全然違うんじゃないですか?」

 俺は首を振った。

「〝楽園〟を作り出したら、人間の社会構造と似たような社会をネズミも形成していったよ。ほんの数パーセントの権力者。それに従う四割の攻撃的な従属者。そしてそういった社会に馴染めない五割のつまはじきもの。

 アメリカのスクールカーストとほぼ同じ社会構造が出来上がっていったんだよ。そして、つまはじきものの割合が増えるにしたがって、メスの攻撃性が増していった。

攻撃的になったメスに対してオスは段々攻撃性をなくしていき、段々と他に対する興味自体がなくなっていった。

オスに生殖能力がなくなって……というより生殖する意思がなくなって、子供がいなくなり、最後にはネズミの〝楽園〟は滅びる。そういう実験があったんだよ」

「……これからの人間の未来を予言しているようですね。やっぱり、人間の世界は閉じたものになるってことなんじゃないですか」

「そうかもしれない。だけど、それは人間に限っていないんだよ。〝楽園〟を築き上げたら、格差が生まれて、社会に興味を持たない個体が現れる。それでも生きていけるものだから、社会に背を向ける個体の割合が増え続け、最終的には滅びた。

 だけど、ネズミと人間は決定的に違うところが一つある」

 俺は自らの胸を、先ほどトゥーリが指を置いた場所を、自らも指さす。

 ああ、そうか、俺は確かに親父から何かを受け取っていた。

「————魂だ。

 ネズミと違って人間は魂を持っている。逆境に打ち勝つ心を、打ち勝とうと思う心を。

 人を愛して、そのために何かしたいと強い想いを———人間は持っている。

 その強い想いがあるからこそ、月まで人が到達できるほどの文明を築き上げられ、何千年も人々が語りづく芸術ってものがあるんじゃないかって、そう俺は思う。

 他の獣と違って人間がここまで全く違う社会を築き上げたのは、想いの力があったからだと思う。だから———大丈夫だ。強く思い続ければ絶対に世界はいい方に向かって行く」

 自分で言葉にして、やっとトゥーリの言葉の意味を理解した。

 ローナはクスクスと笑う。

「結局は〝思うまま〟なんですね」

「ああ、所詮世界は〝想うまま〟にできてるんだよ。だから、いつか異世界の人たちと現実世界の人間が笑い合って交流できて、明るい未来が開ける。そんな日々がくるさ

 だって————俺はそう思いつづけているから」

 俺たちの前のやり取りを知らないトゥーリは何のこっちゃと肩をすくめる。

「もう行くわよ」

 俺たち三人は歩き出す。

 異世界人と、魔族と、現実世界の血を引く異世界生まれの人間と———。

 三人で、未来へ———、

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