第17話 目覚める力、震えよ乙女③

 悠長に落胆している暇もなくキモ顔たちが迫ってくる。泣き言なんて言ってる場合じゃない。私ひとりでどうにかしなくちゃっ!


 レイピアを体の震えごと握りしめて、スラチンを飲み込んだキモ顔に突き刺した。切っ先がその身に沈むけど、ダメだ、全然手応えがない! ずぶずぶと刀身が飲まれていき、レイピアを絡め取られてしまった。


「ヴォエエー」


 キモ顔たちが緩慢な動きでジリジリと私を取り囲む。逃れられない絶望が、私の怯える様を楽しむようにゆっくり迫ってくる。


「や、やめて、こっちに来ないで」


 懇願も虚しく、無慈悲にキモ顔たちの腕が私の体に伸びる。腕を、足を、肩を、首を、赤黒い恐怖が捕まえて私を地面に引き倒した。え、え、え、ほんとやめてよ、冗談でしょ?


「きゃーーーーっっっ!」


 最早叫ぶことしかできない。錯乱しながらも喉を振り絞って、生きたいと命の限り主張するけど、


「ーーーっもがが……」


 ついに口も塞がれてしまった。雪崩のようにキモ顔たちが私を飲み込んで、もう視界は真っ黒。


 そんな、このままほんとに殺されちゃうの? 私が何をしたっていうのよ! ひどい、ひどすぎる! ただ仕事を全うしようとしただけじゃない!


「……ぐが……」


 体が押し潰されてとうとう息すら満足にできない。……誰か助けて……死にたくない。


 気持ちとは裏腹に意識が遠のいていく。ああ、死ぬんだ。そう思ったとき、私を励ますように左の掌に熱が灯った。柔らかな温もりは光を発しながらどんどん温度を上げていく。掌の熱が伝播して体中が熱い。熱の高まりとともに光も輝きを増していき、汚泥を注ぐ清流のようにキモ顔どもを退け、ダンジョン中を激しく照らす。


 一体何が起きたの? 眩しくて目を開けることができない。でも体中の苦痛が引いていって、自由になったことは確かだわ。


 やがて恒星の瞬きが止むように掌の熱と光が引いていくと、私を庇うようにひとりの女剣士が立っていた。


「……エイル?」

 どうしてここに? 私を助けに来てくれたの?

「大丈夫ですか、ヘリヤさん?」


 キモ顔どもはエイルの突然の登場に戸惑っているのか、距離を取ってまごついている。


「二日酔いのおまじない、あれほんとは召喚陣で。ヘリヤさんに命の危険が迫ったときに発動するように仕掛けてたんです」


 そ、そうだったの?


「ヘリヤさんの職場とダンジョンが繋がってしまっているのが不安だったので。……あいつも出口のすぐそばにいましたし」


 ああ、エイル。私ほんとに死ぬかと思った。


「あ゛り゛がどう」

 鼻水をたらしながらお礼を言った。


「ダンジョンの様子、なんだかすごいことになってますね。こんなの初めて」

 エイルは周囲をぐるりと見回しダンジョンの様子に驚きはしたけど、

「でも大丈夫。ヘリヤさんは私が守ります」

 力強く頷いた。地獄に仏ってまさにこのことよ。さっきまで死の淵にいたことが嘘のように、私は絶大な安心感に包まれた。


「なんなの突然! あなたも神の意志に歯向かおうというの?」


 キモ顔の向こう側でゲロ女がヒステリックに叫び声を上げた。


「ヘリヤさん、あの人は?」


 ど、どこから説明したものか。でも悠長におしゃべりしている余裕もない。

「……ダンジョンがいきなり変化していってキモ顔に覆われたの。あの女はキモ顔の親玉みたいなやつの中から突然現れて、私を何かと勘違いして襲ってきた。多分、キモ顔はあの女の指示に従ってる」


 エイルは私の話に頷きつつ剣を引き抜いた。雪白の刀身に翼獅子の装飾があしらわれた鍔、柄頭には乳白色の石がはめ込まれている。切っ先から柄の先まで真っ白く、まるで暗闇を切り裂く光そのもの。私を守らんと光剣を構えるエイルの後ろ姿は女神の背中だ。こんな状況にも関わらず、ついエイルに見惚れてしまった。


光芒の囲いライトニングウォール


 エイルの呪文が私を光の壁で包み込んだ。


「そこから出ないでくださいね」


 そう言い残し、エイルは颯爽とキモ顔どもの群れに駆け出した。その背中を見送りながら、不思議と私はなんの不安も感じなかった。つい昨日、小さな肩を震わせ泣いていた女の子とはとても思えない、すべてを委ねてしまいたくなるような美しく頼もしい背中だった。


 エイルの通り道、赤黒い化け物は白い剣の瞬くたびにその数を減らし、次々と地に伏していく。ゲロ女が旗を振りかざし、エイルをその物量で押し込めようとキモ顔をけしかけるけど、まるで無駄だ。白い閃光を阻むことは何者にもできず、気がつけばその切っ先がゲロ女の首筋にあてがわれていた。


 ゲロ女は目の前の光景が信じられないという様子で瞠目している。でも負けを認めているわけじゃない。歯噛みし、さらにキモ顔を生み出そうとする仕草を見せる。


「余計なこと、しないで」


 エイルが底冷えする声で言い放ち、足をかけてゲロ女を引き倒した。


「化け物たちを退かせなさい」


 エイルは仰向けに倒れたゲロ女の首に切っ先を向ける。どう見てもここからゲロ女が形勢を覆すのは不可能だ。


「……殺したらいいわ。あのとき、あなたたちがそうしたように」


 ゲロ女もそうと悟ったらしく、倒れたまま抵抗はしなかった。でもいまだにたぎる何かを抱き続け、最期のときと見定めたのか思う様それを吐き出そうとする。


「化け物ですって? 私にとってはあなたたちこそ化け物よ。オルレアンの乙女だなんだと持てはやすだけ持てはやし、都合が悪くなれば簡単に切り捨てる。母国から見捨てられたと知ったとき、ヴェルマンドアの窓に足をかけたとき、イングランドにこの身が引き渡されたとき、私がどんな気持ちだったかわかるか?」


 やっぱりそうだ。意味わかんないけど、この人は多分、ジャンヌ・ダルク? 男装こそしていないけど短く切り揃えられた髪に、旗にはジャンヌの紋章、座した神とそれを挟む百合を持った2人の天使、それにイエスとマリアの文字が刺繍されている。


「魔女と断ぜられ火刑台にあげられたとき、私が何を思ったかわかるか? 物見遊山の群衆と権力の亡者どもに囲まれて、それでも私は母国の未来を想い、化け物どもに神の慈悲があらんことを祈ったんだ!」


 私の脊髄に稲妻が走った。勝手に足が動いて光の結界から飛び出し、「エイル待って!」もつれる足で走りながら叫んでいた。


 ジャンヌ・ダルク、私の幼少期のアイドル。農民出身のただの小娘が祖国を救わんと軍隊を指揮し、快進撃を演じる。大胆な発言と行動力で民衆たちに奇跡を示す神秘性。最期はシャルル7世に見捨てられ、志半ばで悲運の死を遂げるという悲劇性も相まって、小学生の私はジャンヌに関わる本を貪るように読み、いつしかジャンヌの声を聞くようになったわ。


 ……頭イカれたわけじゃないからね。自分を特別だと思い込みがちの幼少期に起こる、ちょっとしたバグよ。


 今でもたまに思い出す。公立の小学校にも関わらず何かを勘違いした校長が、「朝活」と称して朝のホームルームの30分前に登校し、勉強せよとのたまった。校長がふざけた宣言をした日の夜、ふとんにもぐり込んだ私の頭にジャンヌからの啓示が届いたわ。


「早く登校すればするほどたくさん遊べる朝休みという輝かしい時間。それを脅かす悪魔を野放しにしてはいけません。立ち上がるのです。そして直ちに行動しなさい。あなたにはその力がある」


 私がその声に従ったのは言わずもがな。翌日、フランスを脅かすイングランドを駆逐するが如く校長室に殴り込み、校長の耳に拡声マイクのゼロ距離砲を見舞ってやったわ。朝活なんてやめろ、私たちから朝休みを奪うんじゃないって大声で訴えたの。


 ……そして先生たちからは情緒に問題のある危険児、生徒たちからは可愛い顔してるけど近寄りがたい変人扱いされたことも言わずもがなね。


 ……黒歴史を引き合いに出して何を言いたかったのかというと、私にとってジャンヌ・ダルクって英雄はそれだけ特別な存在だったってこと。

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