悪魔祓いシェーマスの業務日誌
錠月栞
File1 依頼
閉じていたカーテンを開き、埃っぽい窓ガラスを布で拭いて外の様子を伺うと、空は今にも曇りそうな弱弱しい晴れをしていた。
俺好みの天気、悪くない。短く口笛を吹いて窓掃除を済ませると、部屋の片隅に置いてある箒を手に取って、事務所の床を掃き始める。
神聖マルガリア王国の地方都市ヴァルベロン。王都から少し離れたこの都市は、様々な魔術の研究施設が集まっている一大魔術都市である。
もっとも聖貴教会の影響力が強いこの国の例外にもれず、都市の中心部には巨大な聖堂を頂く教会が設置されていて、議会にも『聖職議員』の枠が設けられているが。
他の都市とは違い、魔術の研究と発展が強く推奨されるこの都市では。他より教会の監視の目が緩く、煌びやかな表通りから一歩裏通りに入れば、たちまち怪しい店と如何わしい雰囲気が漂う、別世界へと踏み込むことになる。
そんな裏通りの一つである、「レクイエム横丁」の三番地に、俺の自宅兼事務所は存在する。
表には目立った看板こそないが、表札のところに一応「スカイヴェール悪魔祓い専門事務所」と記入してある。本当はもっと「悪魔祓い、解呪ならお任せ!」とか「依頼は必ず達せします」とか、人目を引くような宣伝文句を付け加えたいが。何分潜りでやっているせいで、あまり大っぴらに宣伝すると憲兵にしょっぴかれるため泣く泣く諦めている。
おかげでそこまで儲かってはいないのだが。どこの世の中にも必ず、正規の手段以外で物事を解決したい人間というものは存在して。こうして商売が成り立つぐらいには、依頼が舞い込んでくるものだ。
とはいえ、今日は平穏な一日になりそうだが。掃き掃除を終えて、テーブルや椅子を拭き、観葉植物に水をやると。俺は掃除用具を片付けて軽く伸びをし、綺麗になった事務所の中を見回す。
「……よし」
潜りとはいえ一応客商売である以上、お客様を迎え入れる事務所の掃除は欠かさない。朝の習慣を終えた俺は、居住スペースである隣室に引っ込むと、ストーブを改造したコンロに火を入れた。
生憎属性魔術の心得はないおかげで、安定のマジックマッチによる火付けだが。火はすぐに燃え広がり、熱気を帯びたコンロの上に、俺は使い込んだフライパンを置く。
近くの棚の中から硬いパンを取り出し、両面を軽く焼いてから皿に置き。温まったフライパンにベーコンと卵を入れてこんがりと焼いて、先に焼いておいたパンの上に乗せる。
これで朝食の準備は半分終わった。後は重要なもう半分である、コーヒーを淹れるだけ。
コンロでお湯を沸かしている間、ドリッパーをサーバーにセットしてフィルターを被せ、馴染みの店で買った豆をミルで挽いて入れておく。
あとは沸いたお湯を、粉のの入ったドリッパーに注ぐだけ。部屋の中に漂うコーヒーのいい香りを吸い込むと、俺はドリッパーを外して、サーバーからマグカップへとコーヒーを注いた。
クリームや砂糖は必要ない。ブラックで味わうのが、シンプルな朝食に一番合う。
きっちりと火の始末をして、一人掛けのテーブルに並んだ朝食を満足げに見つめてから。俺は椅子に座って、エッグトーストに手を伸ばす。
あとはそれを持ち上げて、大口を開けかじりつくだけだったのだが。
「すみません……こちら、やっておりますか?」
事務所の方からノックの音とともにそんな声が聞こえてきたせいで、俺は小さく舌打ちをしてから、エッグトーストから手を引っ込めると事務所の方に戻った。
「やってますよ。今開けますね」
事務所の扉を開くと、薄汚い廊下に似つかわしくない、非常に美しい容姿をした依頼人が立っていた。
緩やかにカールした白い髪の毛に、ルビー色の丸い瞳。純白の素肌を包んでいる服は、この場に不釣り合いともいえる高級そうなレースのドレスと、良質な毛皮の外行き用外套だった。
「ええと……」
目の前に現れた、美しく身なりの良い少女に対し。俺が何と言っていいか考えていると、少女はきょろきょろと周囲を見回してから、不安げに俺を見上げた。
「あ、あの、こちらに悪魔祓いさんがいらっしゃると聞いてきたのですが」
「……ええ、いますね」
「ええと、どちらに……」
「俺ですよ、俺。俺がこの『スカイヴェール悪魔祓い専門事務所』の所長にして唯一の所員、シェーマス・スカイヴェールです」
とりあえず名乗って、俺がお辞儀をすると。少女は驚いたように目を見張った。
「あなたが、悪魔祓いさん……その、思ったよりもずっと……」
「若い?悪そう?みすぼらしい?なんと思っていただいても結構です」
「い、いえそんなつもりは……」
「ともかく、中へどうぞ。今コーヒーを淹れたばかりですから、飲みながらゆっくりお話しを聞かせてもらいましょう」
俯く少女を促し、俺は事務所の中に入る。少女も恐る恐ると言った様子で、俺に続いて中に入って来てくれた。
声が外に漏れないよう、しっかりと扉を閉めて。俺は居住スペースで客用のカップにコーヒーを注ぐと、朝食用に用意した自分のマグカップと共に持って、事務所の方へと引返す。
自分のカップは手前の席に置き。向かいの来客用ソファーに緊張気味に座る彼女に、もう片方のカップを差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
カップを受け取った少女は、口を付けてコーヒーを啜った。
「苦ッ、ごほっ、げほっ」
直後、彼女はコーヒーを噴き出して咳き込み、カップをテーブルの上に置いて喉を押さえる。どうやらこの美しい少女には、ブラックコーヒーはいささか刺激が強すぎたようだ。
「大丈夫ですか?」
俺が手拭いを差し出すと、少女は手を伸ばしかけてから首を振って、ドレスのポケットからシルクのハンカチを取り出す。
「だ、大丈夫です、ただ、一杯お水を貰っても……」
「分かりました」
しっかり洗っているはずだが、気に食わなかったらしい手拭いを仕舞って。俺は再び居住スペースに戻ると、沸かしたお湯の冷めた水を、新しいカップに注いで事務所に引き返した。
「お水です、どうぞ」
「ありがとうございます……うん?」
差し出された水を口にした少女は、何かおかしなことでもあったかのように首を傾げて見せた。
別に何の変哲もない、湯冷ましの水のはずなのだが、一体どうしたというのだろうか。
「どうかしましたか、その水が」
「え、ああいえ……ただちょっと、いつも飲んでいるお水と味が違う気がして」
「ああ、なるほど」
聞いた話によると、貴族の飲む水は浄化魔術で整えられた、上質なものであるという。俺のような市民が口にする、井戸から引いた何の変哲もない水と違って。
つまり逆に言えば、普通の水を飲みなれていない彼女は、結構な身分の人間である可能性が高くなったということだが。俺は少女を静かに観察しつつ、手前の席に腰かけてマグカップを手に取った。
「改めて自己紹介しましょう。悪魔祓いの、シェーマス・スカイヴェールです」
コーヒーを一口飲んでカップを置き、俺が再度自己紹介をすると、水の入ったカップを置いた少女は、やや緊張気味にお辞儀をする。
「は、初めまして、シェーマスさん。あなたのような、どこにも属さない悪魔祓いさんを、ずっと探しておりました」
「それは光栄だ。で、そんなフリーの悪魔祓いである俺に、お嬢さんが何の用ですか」
俺が問いかけると、少女は居住まいを正して、俺のことを真っ直ぐ見つめていった。
「あ、あの、お願いします。私の友人に取り憑いた、悪魔を祓ってください」
言い切って、少女は深々と頭を下げた。俺は無言で、そんな彼女を見つめる。
「……なるほど」
「あの、引き受けていただけますでしょうか」
「引き受けるも何も、俺はまだあなたの名前すら知らないのですが」
俺の言葉に、少女は慌てた様子で名乗った。
「あ、申し遅れました。私はミスティ、ミスティ・ティレイグと言います」
「ミスティ……ティレイグ?!」
少女の名乗った姓名に、俺は思わず目を見張って身を乗り出した。今彼女は間違いなく、「ティレイグ」と言ったのだろうか。
「ティレイグってあの……ここら一帯を治めてる、ティレイグ公爵家の?」
半ば気持ちを整理するために口にした問いに、少女・ミスティは静かに頷いた。
「その通りです。私、ミスティはアレスティ・ティレイグ公爵の次女になります。疑うようでしたら、家紋のバッヂをお見せしますが」
見せてくれと言っていないにもかかわらず、彼女は外套の内側から、小さなバッヂを取り出して俺に差し出した。
バッヂに刻まれた蝶と月をモチーフにした紋章は、間違いなくティレイグ公爵家のもので。一目見ただけで上質なものであることが分かるそのバッヂが、偽造であるとはとても思えなかった。
目の前にいる少女のとんでもない身分に、俺は背筋が凍りつくのを感じる。
「なんで、ティレイグ家のご令嬢がこんなところに……」
「それは先ほども申し上げたことでしょう。あなたに友人の悪魔祓いをお願いしたいのです」
「それはそうですが……いやでも、ティレイグ家ほどの地位と権力があれば、教会ともかなり懇意にしているはずでしょう。それこそ、お得意の悪魔祓いの一人や二人いてもおかしくない。そいつらに依頼すればいいところを、何でまた―――」
俺の言葉に、ミスティはちょっと困ったような顔をしながら目を伏せた。
「それは……友人の、ナダちゃんの名誉の為です」
「……ああ、なるほど」
我ながら、馬鹿な質問をしてしまった。
悪魔に取り憑かれた場合は通常、教会に連絡して所属する悪魔祓いを派遣してもらい、悪魔を退散させてもらうことになるのだが。
その際に必ず、教会の所有する『悪魔憑依者リスト』に名前が登録されてしまうのだ。
これは悪魔に取り憑かれた人間は、再度悪魔に狙われる確率が高まるため、再憑依した際に迅速な対応を行うために記録されているものなのだが。
逆に言えばこのリストに載ってしまったものは、悪魔に取り憑かれた経験があり、またとり憑かれやすい人間ということでもある。
それはもちろん汚名であり、例えリストが秘匿されていても、名前が刻まれているということは、永遠に汚名が刻まれているということと同意義なのだ。
頑張ればティレイグ家の権力でもみ消せないこともないだろうが、身内ではなく次女の単なる「友人」に、そこまでする義理もない。なにより余計な暗躍は、今後のスキャンダルにもなりかねないことである。
だからミスティは一人でここに来たのだ。教会に所属せず、独自に依頼を受けて悪魔祓いを行う、この俺の事務所に。
危険ともいえるリスクを犯してまで、彼女は「ナダ」という友人を救いたいのだろう。
「一つ、確認させてください」
俺はコーヒーをもう一口飲んでから、ミスティを真っ直ぐ見据える。
「俺の依頼料は相場の三倍だ。あなた一人で、それだけの金を支払えますか」
「そのことに関しては、問題ないです」
ミスティはドレスのポケットから、一枚の紙を取り出す。覗き込んでみると、それは小切手であり。金額欄には三倍どころか、五倍ほどもある金額が書き込まれていた。
「こ、これは……」
目を丸くしながら、俺がミスティと小切手を交互に見つめると。ミスティは両手を膝の上に置いて、こともなげに言った。
「銀行に私専用の口座があるんです。ここに書かれている金額は、その口座に預金してあるお金の二割ほどになりますが、これで十分でしょうか」
「も、もちろんですとも……」
「なら、良かったです」
微笑むミスティの前で、俺は震える指先で小切手をつかみ取る。これだけの金があれば、一年間余裕で暮らせてしまうだろう。
「それで……依頼は引き受けていただけますでしょうか」
「は、はい。ぜひ引き受けさせていただきますとも!」
即座に首を上下に振って、俺はもう一度小切手に視線を戻す。たとえ依頼内容がなんであろうと、これだけの報酬を提示されて断ることなんて出来るはずがない。
「なら、良かったです……そちらはぜひ、お納めください」
微笑むミスティの前で、俺はとんでもない金額が書かれた小切手を、慎重にポケットへと仕舞う。後で金庫に入れておかなければ。
軽く深呼吸をして、小切手の入ったポケットをさすって。ある程度落ち着いてくると、俺はまたコーヒーを飲んで、真面目な顔をミスティに向けた。
「それで。依頼は友人、ナダさんに憑いた悪魔を祓って欲しいとのことでしたが」
「はい。ええと、ナダちゃんは―――」
依頼の説明を始めようとしたミスティを片手で遮って、俺はもう一度カップを持ち上げ、残ったコーヒーを全て飲み干す。
それからカップを置いて、戸惑った表情のミスティににやりと笑って見せた。
「百聞は一見に如かず、といいます。まずはそのナダちゃんの様子を、実際に見せてもらいましょう」
この事務所を喧伝するものは、一枚の表札しかないのだが。
たとえどんな内容でも、受けた依頼は必ず果たすことが、この事務所の密かな売りの一つであったりするのだ。
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