第47話 番外編 これはきっと、親心。

 桜が散り、夜になると冷え込む春のある日の夜のこと。昴は、日中使わなかった上着を羽織り、今日もネオン街に足を踏み入れた。自らの娯楽のためではなく、あくまで仕事、だが。

 昴の今日の仕事は、いくつかの店舗を周り客の出入りや不審な者がいないかを確認する。そして、時折、抜き打ちのように帳簿に目を通す。手を抜いてるオーナーは、容赦なく吊し上げられる。どの店舗にも昴に告げ口をする者が存在するので、そんな輩はここ最近では現れていない。皆、いたって平穏に、問題一つ起こすことなく仕事を淡々とこなしていた。

 それだけは、昴の救いでもあった。

 昴が訪れる最後の店は決まって“Moonlight”だった。

 路地裏にある従業員専用の入口にICカードをかざすとロックが解除される。ここのクラブだけは、特別セキュリティが強固にしてある。それは、もちろん従業員を守るためだ。この高級店が昴の管理する店舗では、1番の稼ぎ頭で信頼を置く店だった。




 「お疲れ様です。」


 そう言い、昴の姿を見た従業員の男が深々と礼をする。清潔感のある髪型に皺のない真っ白なシャツ、そして、身のこなしや言葉遣いは、この店にこそふさわしいものだった。


 「お疲れ。どうだ?」


 「特に変わったことはありません。ウイさんも先日、ナンバー2に上がったレイさんも本日はずっと接客中です。」


 「そうか。ここに長居も心配も無用だな。」


 昴が店内をぐるりと見渡し、先ほど使用した裏口へと向かおうとすると呼び止められる。


 「スバルくん、もう帰るの?」


 そう言ったのは、レイだった。隣にはウイの姿もある。


 「接客中だろ。」


 そう静かな声で言うとレイは、手を振る。


 「今、お客様を送ったところ。ねぇ、空いたから飲んでいかない?もうお客様来ないよ。いいですか?ウイさんも。」


 「そうね、この時間だし。飲んでったら?レイがナンバー2になったことだし、今日くらいね。」


 早々と引き上げようと思っていたが、ウイがそう言うならば、仕方ないと、昴はあっさりと折れ、VIPルームに案内される。



 昴がソファに腰を下ろすと、レイとウイが向かいのソファに座る。これが彼らのいつものスタイルだ。

 通常の接待なら男性の両脇に座るかもしれないが、客として来ていない昴は、そんな接待を受けるのを嫌う。

 この場にいるウイもこの点を厳しく、他の女の子たちを見張っている。

 それは、ウイにとっての愛情でもあった。

 店で働く以上、昴との関係が拗れれば、この店にはいられなくなる。彼が店の女性に手を出すなどないとは、思うが、男女など、何が起こるかわからない。一方的な何かの間違いが起こる可能性もある。

 こういった夜の店は、この街にはごまんとあるが、ウイはこの店を他のどの店よりも良い店であると、誇りを持っている。

 だからこそ、この店で働く以上は、管理者である昴に必要以上に近づくことを王座に座るウイは、許さない。


 「最近疲れすぎて、温泉でも行きてぇんだけど。」


 いつものように昴はウイに小言を漏らす。レイがいても、それは構わない。2人のこういった関係はこの店で勤める年数が長ければ、知っていて当然なのだ。


 「行けばいいじゃない?」


 「行けたら行ってる。休みが取れねぇの。」


 「ふぅん。忙しいこともあるのね。」


 「そう言えば、最近、凛太郎さんも見かけないけど、忙しいってこと?会いたいなぁ。」


 焦がれるように、レイはポロリと本音を漏らす。ウイがちらりと見る。これが、レイでなければきっと小言の1つも言っていただろうが、今の彼女は少し眉を下げ、気まずそうな顔をする。そして、疑問を投げかけられた昴は、眉間に皺を寄せ、レイをじっと見る。


 「……どうかしました?」


 レイはウイに恐る恐る尋ねる。聞いてはいけないことだったのだろうか、そういう意味を含めて。


 「昴が忙しいのは、凛太郎のせいなのよ。」


 「えっ、凛太郎さん、何かあったんですか。もしかして、破門……とかですか?」


 「実はね、凛太郎に彼女ができたの。彼女というより、婚約者に近いわね。」


 その言葉を聞いたレイは、ぽかんとした表情で、ウイと昴を交互に見る。まさか憧れていた凛太郎に、そんな相手がいるとは微塵も思っていなかったのだ。昴は、凛太郎の名前が出たことで、怒りが沸々と湧いたが、レイの心情を考えると、それも吹き飛ぶ。レイにとっては、衝撃だっただろうし、昴自身の心の内など言葉にするのも野暮だろう。レイが受け入れるのを、ウイと昴は静かに、酒を口に運び、見守る。


 「ホント、ショック。私の凛太郎さん。御法度だって知ってるからずっとずっと我慢してたのにぃ」


 今にも泣き出しそうなレイの頭をウイはそっと撫でる。


 「私だって、ショックよ。まさか、って思った。でも、すごく幸せそうなの。だから、見守りましょ。」


 そう静かに言うウイの声音は、すごく優しく、温かく、レイの心に響いた。

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