第44話 蒸発した船
歩いて宿へ戻り、スーツケースを受け取る。その際、昨晩出会った積み荷のない船はいつまで滞在するのかスタッフさんに伺った。
「そんな人は滞在していませんよ。」
女性スタッフは私にスーツケースを渡しながら笑う。
いやいや、おかしい。年の頃40過ぎくらいで、髪型はちょっと長め。ひげが伸びていて、そうだ、昨日の夜、私とリビングで喋っていたじゃないか。
私が身振り手振りを交えて男性を説明するのを見かねて、この宿の店長らしき男性スタッフを女性は呼んできた。
「昨夜、私、リビングでその男性とハンバーガーを食べていたんだ。」
再度同じことを私は店長に説明する。店長は困惑した表情を浮かべる。
「日本人はあなたしか宿泊していませんよ。」
「いやいや、昨夜一緒にリビングで喋っていたんだよ。」
私があまりにもしつこく食らいつくもんだから、店長はカウンター下から宿帳を出してきた。そして私に見せた。
「これがここ数日の宿泊者です。こちらに国籍が書かれています。日本人はあなただけです。」
店長は私の名前を指さす。私は目を皿のようにして名前と国籍を確認する。確かに私以外に日本国籍と、日本人らしき名前が見当たらない。
「名前は何という人ですか?」
その質問を投げられて、絶句した。私は一切名前を聞いていなかった。
「ごめんなさい。聞いていないんだ。」
と謝罪すると、店長と女性スタッフは苦笑しながら宿帳を片付けた。現実に起こっていることが理解できず、身動きの取れない私。いったい私は昨夜、誰と話していたのだ。
フリーズしている私を怪訝そうに見つめる店長は、こう言葉を畳みかけた。
「確かにこの宿は日本人が良く愛して下さいます。しかし日本人はお正月が短くて、仕事がスタートするからと言って、いつも1月4日にはいなくなるんです。学生さんも来ますが、この時期は来ない。春とか夏の長い休みの時に来ます。あなたが滞在してくれたのは5日から7日まで。この3日間はあなたしか日本人はいませんでした。こんなに長く休めるあなたは一体、何の仕事をしているのですか?」
私は昨夜、幻覚を見ていたのか。
店長の質問に答えようとせず、立ち尽くす私を心配そうに見つめる店長は、空港まで送ってあげようか、と提案してきた。1人、落ち着いて頭の中を整理したい私は、丁重に断った。それでもよろよろと歩き出す私を見かねたのだろう。店長は、では、こちらがタクシーを呼んであげるから、そこで座っていてとロビーのソファーへ私を誘導した。
女性スタッフが、タクシーが来たら、声をかけるからね、とブラックティーをふるまってくれた。せっかく入れてくれたブラックティーだったが、放心状態だった私は全く味がしなかった。
数分後、タクシーが来た、と教えてくれ、店長自ら、私のスーツケースを玄関まで運んでくれ、トランクに入れてくれた。ありがとう、と店長の顔を見る。
「ひとみさん、あなたは非常に疲れているんだよ。気を付けて日本へ帰ってね。あなたは昨夜ロビーで一人、バーガーキングで買ってきたハンバーガーを食べていたよ。
僕はリビング横にある、ランドリーで洗濯物を触っていたから、君の姿を見ている。もう一度言う、あなたは一人だったよ。」
そう言うと店長はドライバーに何やら話しかけて、バーイ!と手を振って宿へ戻って行った。きっと、この日本人は今おかしな状態だから、ちゃんと空港まで送り届けてね、と念押しをしたのだろう。
渋滞にもはまらずバンダラナイケ国際空港へ17時前には到着できた。タクシー料金は2550ルピー。店長は流しのタクシーではなく、アプリタクシーで手配してくれたようだ。
バンダラナイケ国際空港は世界的に見ても、非常にセキュリティが厳しい空港の一つだ。まずチェックインカウンターへ向かうまでに荷物検査があり、その後チェックイン手続き、出国審査となる。多くの出国者で混雑しており、セキュリティエリア内に入れたのは、18時ぎりぎりだった。
あらゆる検査、手続きを受けている間、心を無にすることに集中した。昨晩あったことを独り蒸し返すと、また軽くパニックを引き起こしそうだったからだ。セキュリティエリア内に入ってすぐに、お土産屋に直行した。職場へのお土産を購入しなければならない。
驚いたのは、「DUTY FREE」ショップでスリランカルピーが使用できなかったことだ。スリランカルピーを使ってしまいたかった私は文句を垂れた。
使用できるのはドル、ユーロ、日本円など有名どころのみ。要はそちらの方がルピーをもらうより、ちょっとのことだけど儲けが大きくなるのだろう。いろんな客にシャウトされまくっているのか、
「ごうめんなさいねぇ。日本のお金使ってくださいねえ。」
と甘ったるい日本語発音で、笑いながら謝ってきた。このスタッフさん、日本語は多少喋れるけどが、なぜルピーが使えないのかには答えてくれなかった。
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