鬼ごっ婚

せかしお

第1話

俺は今、自分の妻を追っている。

と言っても、物理的に走って追いかけているとか、そういう疾走感のある追い方ではない。

なんて言ったら良いのか…そう、出て行った妻の行方を追っている。

あ、いや、この表現も誤解を生むかもしれない。

別に愛想を尽かされた訳ではない。断じて。その証拠に焦ってもいないし。

ただ、逃げる妻を俺が追う。当分は常にそういう状態というだけなんだ。


俺が今、鬼だから。


*****


遡ること数日前。記憶が正しければ、深夜0時を少し越えた辺りだったと思う。


記憶が正しければ、と言うのは、この時すでに俺は酔っ払っていたからだ。

妻の朝子あさこもそうだったと思う。

記憶が正しければ。


その日は、ちょうどお互いの仕事が区切り良く終わって、意気揚々と家で晩酌を始めた。それが、19時頃。


2人で楽しくくだらない話をして、どうでも良いことで腹を抱えて笑い、あっという間に時間は経った。


俺たちは、長いこと一緒にいる割には仲が良い方だと思う。

同じ40代の周りの連中は、子供がいなければ自分の妻とはとっくの昔に別れている、と事あるごとに愚痴をこぼしている。

妻のことを女として見ることはなく、愛しているのかも分からない。ただ、あるのは“情”だけなのだそうだ。


それを聞くと、俺はその境地にはまだ達していない、といつも感じる。

確かに、朝子のことを女として見ているかと言われれば、それはもはや怪しい。しかし、愛しているかと問われれば、それはそうだと即答出来るし、今でも一緒にいて一番楽しいと思うのは彼女だ。


俺たちには、子供がいないから…出来なかったから、だから今でも仲良くいられるのかもしれない。

けれど、そうでなくとも、酒に酔っていようがいまいがいつも陽気で自由奔放な彼女が、俺は好きだ。


それなのに、朝子が急に真剣な顔をしてこう言ったのだ。


「私たちさあ、一生一緒にいるには退屈で、永遠にお別れするには寂しすぎる。ヒロもそう思わない?」


それに対し、俺はなぜか、すぐに激しく頷いた。


「分かる!そーう、それ!それなんですよ!朝子ちゃん、俺もね、そう思うよー。だってね、寂しいもんね」


正直、朝子の言っている意味をよく理解せずに発言した。なんせ、酔っ払っていたから。

しかし、朝子が嬉しそうに、でしょー?と言うので、俺もなんだか嬉しくてへらへらと笑った。


すると、朝子が俺の肩に腕を回して顔を近づけてこう言った。


「だからね、私たち、ちょっと離れてみるというのはどうでしょ?」


その言葉で、一瞬、酔いが覚めたのを覚えている。これは、離婚の流れだと予感した。なんで急に。


「もちろん、離婚がしたいわけじゃないんだよね。浩哉ひろやはいい奴だし、もちろん好きだし、寂しいし」


違った。(ホッ)


「でも、この家でずーーーーっと一緒なのはつまんない」


確かに、言わんとしていることは分かる。

俺たちは、お互いに在宅で仕事をしている。俺がフリーのシステムエンジニアで、朝子はライター。

仕事をする時はもちろんそれぞれの部屋にいるが、それ以外はこんなに広い家なのに自然とリビングに2人集まってしまう。


「だから、まず、私が旅に出ます」


「ん?」


「そんで、ヒロは一人でこの家にいて、寂しいなーって思ったら私を探しに来てよ」


「はあ」


要するに、こういうことらしい。


 1.まず、朝子が行き先を俺に告げずにこの家を出る。

 2.朝子は行きたい所に行き、泊まりたい所に泊まり、やりたいことをして、思いのままに過ごす。俺もこの家でいつも通り自由に過ごす。

 3.その間、メールや電話などの直接的なやり取りは禁止。緊急時は例外。

 4.代わりに、お互いに1日最低1回はSNSに写真を上げる。安否確認の意味で。

 5.俺の探したいタイミングで朝子を探しに行き、見つけたら攻守交代。ひとまず一緒に家に帰る。

 6.1週間の休戦後、今度は俺が行き先を告げずに家を出る。朝子が探す番。これの繰り返し。


「あー、分かった。あれだ、鬼ごっこしたいんでしょ」


「それいいね!鬼ごっ婚と名付けよう!……歳の差婚、別居婚、同性婚にぃ〜鬼ごっこ婚〜♪」


朝子は即席で歌い始める。


「はは、えーやん!じゃー、鬼ごっ婚に、かんぱーい!」


「いぇーい!」


その後、しこたま飲んで、気づいたら朝。

リビングで目を覚ますと、朝子はいなかった。

代わりに、テーブルの上に書き置き。


『良き頃合いで捕まえに来てね(ハート)』


見た目に似合わず達筆なこの字は、まさしく朝子のものだった。





俺はあの時、楽しさに身を任せてその場のノリで会話をしていた。酒に溺れた者同士の、いつものただの冗談だと思っていた。

しかし、あれは本気だったようだ。


朝子がいなくなって数日。

家の中は綺麗に保たれている。

家事は俺の方が得意で、朝子はもっぱら汚す専門みたいなもんだった。


洋服はそこら辺に脱ぎっぱなしのことが多いし、テーブルの上はすぐにごちゃごちゃになる。物の定位置という概念がないのか、変な所に変な物が置かれていたりもする。

その辺のストレスがないのは、実にいい。


なのに。

正直、もう寂しいんだが、どーすればいい?

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