互いの想いはつゆも知らず


 *



 明るい窓際の一席に、暇を持て余した女性店員たちの視線が集まっている。

 正午までまだ間のあるこの時間、街の簡素な定食屋はさほど混んでいない。


「……このお店、旦那様はよく来られるのですか?」

「騎士仲間らと王都を視察に来る時、たまに寄るくらいだが」


 アレクシスが店の扉を開けるなり、かしましいほどの歓迎ムードで迎えられたものの。続いてエリアーナが店に入れば、途端にしんと鎮まりかえってしまった。

 年嵩の年配店員に案内され、席に着けば……厨房に近い場所に立つ店員たちの好奇の目が刺さるようだ。


「騎士様っ、いらっしゃいませ! 今日は何になさいます?」


 いそいそとやってきた若い店員は、水の入ったコップを勢いよくテーブルに置きながらも、エリアーナにちらちらと視線を向けている。


「また世話になるよ。前に来た時、君が勧めてくれた日替わりが中々良かった。今日のメインは何?」


「わぁっ……私のこと覚えててくれたなんて! 日替わり、ありますよ! 羊の臓物煮ですけど、香辛料効かせてるんで臭みなくて美味しいんです。覚えててくれたの嬉しいからサービスしちゃいます!」


「有り難い。じゃあ、私はそれで」

「お連れのかたにも同じものを?」


 ——羊の、ぞ、臓物、煮……っ?!


 エリアーナが育った地方では、羊は神の使いだと信じられ大切にされていた。捧げ物として神に献上することはあっても、その血肉を食べる習慣は無かったのだ。ついグロテスクな料理を想像して青ざめていると。


「そうだな、メインを変更できる? 妻は羊を食さないのでね」

「おっ、奥方さまでしたか! お連れ様、若くて愛らしいからてっきり恋人同士かとっ……なんて、失礼しました。それなら奥方さま、鶏の煮込みはいかがです?」


 思いがけないアレクシスの言葉に驚いてしまう。自分の妻には微塵も興味を示さないはずなのに、エリアーナが羊を食べないとどうして知っていたのだろう。


「エリアーナ。鶏肉の煮込みなら、食べられそうか?」


 そして更なる驚きは!

『エリアーナ』と、艶めくい声が胸のなかで何度も反芻している。


 ——旦那様に、名前を呼ばれました……っっ


「はっ、はい……! 大丈夫です」

「少食だから、盛り付けを少なめにしてやってくれ」


 注文を取った店員が店の奥に引っ込むと、客が少ないのを良いことに待ち構えていたように他の女性店員ふたりがやってくる。


「騎士様が女の人を連れて来られるなんて、驚いちゃいました。てっきり恋人かと思ったら奥様?!」

「夫婦そろって街で食事だなんて、仲良しですね! いいなぁ」

「こんな綺麗な奥様なら、そりゃあ連れて歩きたくなっちゃいますよね」


 社交はもちろん、エリアーナはこういった場が苦手だ。

 綺麗だという褒め言葉なんて、そもそも信じていない。社交の場で本心が語られるのは稀だと知っているからだ。


「そう言えば、店主の具合は? 肺の病を患ったと聞いて、同僚たちと案じていたところだ。この店が無くなったら困るからね」

「それが! ただの咳風邪だったんです。みんなを心配させるだけさせといてって感じですよね?」

「本当よ。あの爺さん、あと百年はぴんぴんしてる!」


 店員たちと話すアレクシスは饒舌そうに見え、互いに笑顔が飛び交う様子を見ていれば、エリアーナただひとりがぽつんと取り残されているような気がした。


 ——旦那様は、あんなふうに笑うんだ。


 新たな客の入店を機に店員たちがいなくなると。

 アレクシスは先ほどの鷹揚さが嘘のように頬を固めてしまう。口元を一文字に引き結び、腕を組んでどこか宙を睨むようだ。

 そして食事が運ばれてきてからも、仏頂面はずっと変わらないのだった。


「あの……」


 どうにもいたたまれなくなってエリアーナが口を開けば、静かに咀嚼を繰り返していたアレクシスが視線だけを上げる。

 

「お、美味しい、です」


 他に言葉が見付からなかった。

 この気まずさが苦しくて、何か気の利いた事のひとつでも言えればと自分を責めてしまう。

 

 アレクシスは、ふい、と目をそらせ、


「それは良かった」

 一言だけ発すれば、またひたすらに咀嚼する。


 ——旦那様と一緒に食事が出来るって……嬉しかったけれど、これでは息苦しくてまるで拷問。

 でも仕方がないわ……すぐに忘れそうになるけれど、今日は私が『罰』を受ける日なのだから。


 そう思えば納得がいく。

 そうだ——この時間ひとつも、アレクシスがエリアーナに『罰』を与えるためのものなのかも知れなかった。


 ——いっそのこと、羊の臓物を食べろと強要されれば良かった。

 これが『罰』の一環なら……中途半端な気遣いや優しさなんて要らなかったのに。


「支払いを済ませてくる」と言ってアレクシスが先に席を立ったあと、片付けに来た店員がエリアーナに囁くように言った。


「奥様が羨ましいって、皆んなが言ってます。あの素敵な騎士様に、すっごく愛されてますよね!」


 そんな事を言われたものだから、胸の奥がぎゅーっと掴まれたように苦しくなる。この人たちは、いったい何を見てそう思うのか。


「いいえ、逆です……私は旦那様に、疎まれていますから」


 支払いを終えたアレクシスが、早く来いと言わんばかりにこちらを見ている。


「……え? そんな、だって」

「あの、とても美味しかったと、シェフにお礼を。ごめんなさい……もう行かなくちゃ」


 今にも泣き出しそうになりながら、エリアーナは店を出るアレクシスの後を追う。


「疎まれてるって? 騎士様は奥方さまが食べてらっしゃるのを、あんな愛おしそうに微笑んで見てたのに?」


 店員は首を傾げ、さも不思議そうに目を丸くしたのだった。




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