第94話 流れ落つる水簾

 丸一日波に揺られていたせいで、足取りがおぼつかない。


「やっと陸地かぁ」

「まだ揺れてる気がするぅ」


 亜熱帯の陽射しに炙られた潮の匂いがふたりを歓迎する。まくり上げたシャツの袖には早くも汗が滲んでいた。


(本当に……来てしまった)


 パタグレア共和国――イムガイ南西沖に浮かぶ群島国家である。特徴としては、歴史的な経緯から獣人の人口が多いことと、霊脈の働きが活発であることが挙げられる。


(霊脈か……真田さんも俺と同じように――)

けん! あれ!」


 みおが指差す方向を見やる。

 港をドタバタと疾走する若い男。片手にはナイフ、もう片手には紐の断ち切られた女物のバッグを持っている。


「強盗……!?」

「捕まえないと!」


 澪は進路に立ちはだかろうとするが、感づいた盗人は手前で方向転換を図る。

 だが逃げた先に思わぬ邪魔が待ち受けていた。


「おぅ、コラ」


 小柄な少年が足を踏み鳴らすと、地面が瞬く間に砂地へと変わる。盗人は砂に足を取られ、前のめりにすっ転んだ。


「この辺、誰のシマや思とんねん」

「ホンマ命知らずなやっちゃなぁ」


 すかさず現れた妖艶な女性が、流星錘を放って盗人を捕縛する。


「ウチらに捕まったんはむしろ運がええ」

「そやで。〝本職〟に見つかろうもんなら兄さん、明日を待たずに魚のエサや」


 とどめに坊主頭の男性が、盗人からバッグとナイフを、目にも留まらぬ速さで奪い取っていた。


「献慈、あの三人って……」

「うん……間違いないね」


 程なくしてバッグの持ち主が駆けつけて来た。女性はしきりに感謝を述べ、礼金を渡そうとするが、三人はこれを固辞する。


「ええてええて。そん代わり人に話すときは宣伝しといてや。『弱者の味方・モン三兄弟は品行方正、迅速果敢、ごっつ腕の立つ烈士です』――ゆうてな」




 到着早々、献慈たちを待っていたのは、おうの烈士三人組との思いがけぬ再会であった。


「ここで会うたんも何かの縁や。時間は取らせへんて」


 長兄・孟ヨンニェン。一見して人当たりの良い男だが、どうにも食わせ者といった印象は拭えない。


「カミーユちゃんは来てへんのかー。残念やなぁ」


 末弟の孟ヨンティン。道術を操る道士の少年だ。今日は休暇中とあってカジュアルないでたちをしている。


「アホか。ハネムーンに小姑同伴とかありえへんやろ」


 兄弟に挟まれた紅一点は孟永和ヨンホァ。豊かな胸元とすらりとした脚を惜しげもなく晒す、夏の装いである。


「カミーユは小姑じゃなぃ……っていうかハネムーンでもないし! 大体どうしてあなたたちがこんな所にいるわけ!?」


 澪の反論もどこ吹く風と、三兄弟はふたりを連れ出そうとしていた。

 「人に会わせてやる」と。烈士稼業に乗り出すのならば会っておいて損はない人物だそうだが、どんな相手かは判然としない。


「『こんな所に』はこっちの台詞や。けどまぁ、知りたいっちゅうなら当ててみ」


 相変わらず挑発的な永和を、澪は睨みつけながらも律儀に応じた。


「おおかたスイヘイとかが関係してるんでしょ? いわく付きの代物らしいし、依頼人が第三国での引き渡しを希望したとかじゃないの?」

「ほー。意外と頭ええやん」

「『意外と』って、あなたねぇ……!」


 姉貴分たちの険悪な様を、献慈は永定とともに戦々恐々見つめていた。


「献坊、ボクらは仲良うしような……?」

「うん……そうだね……」

「ガハハ! 仲良し小好しでええこっちゃ」


 長兄の先導で歩くこと数分。さびれた倉庫街のど真ん中に、庭付きの邸宅が門を構えていた。


「遠来の客人や。ボスに会わせたい」


 門前に立ついかつい男に言づけると、あっさり中へ通された。

 永年は主人のもとへ、残りのメンツはパティオへ移動する。遠慮せずくつろげと言うので、適当な椅子に座らせてもらった。


「そろそろ聞かせて。ここの主人って何者なの?」

「ウチらの武術の師匠や。今はマフィアのボス務めたはる」

「へえ」


 女たちの物騒な問答を聞きながら、献慈は内心ビクビクものだった。


(ま、マフィアって……何となくそんな感じはしてたけど!)

「そないビビらんでも。意外と人当たりのええオバ……いや、姉ちゃ――」


 永定の言葉は途中で遮られる。

 脇に永年を従えて、上等なパオに身を包む五十絡みの婦人が杖をついて現れた。


「見えすいたおべっかを使うんじゃないよ」


 流れ落つる水簾を思わす総白髪。大きな刀傷が右頬から眼帯を着けた左目にまで達している。

 右袖が所在なく揺れていた。隻眼隻腕の女傑。


「アンタかい、うちの弟子を可愛がってくれた嬢ちゃんは」

「まさか、そのために私たちを呼……ん――!」


 澪は突如、弾かれたように中庭へ降り立つ。婦人が向けた剣気に当てられ、反射的に臨戦態勢を〝取らされていた〟。


シェントゥユェンだ。ユェンと呼びな」

おお曽根そね澪」


 手出し無用、と背中で語る――澪が柄に手をかけるや、ユェンの足首がわずかなねじれを帯びた。


(あの歩法は……!?)


 刹那、ユェンは十数歩の距離を一足跳びに、澪へ肉薄する。


「クッ――!」

「ビビってる暇はないよ」


 杖先が浮くのと同時、澪が抜き打ちに相手の左小手を襲う。が、ユェンは右袖で刀を巻き取りこれを防ぐ。


「見事なついせんだ。悪くない」

「そう仕向けたのはあなたでしょう?」

「それが見抜けるだけ大したもんだ。褒美に見せてやるよ、嬢ちゃんが目指すべき剣――先々せんせんせんってもんを」


 刀は澪の手へ戻るが、単なる仕切り直しで済むはずがない。

 永定が自慢げに鼻を鳴らす。


「老師の〈追影剣ついえいけん〉、よう見ときや」


 突き出されたユェンの杖頭を、澪は的確に躱していくものの、絶え間ない連撃は反撃の糸口すら与えてくれない。


(絶え間ない『連撃』……いや、違う。あれは――)


 ユェンは一度たりとも杖を後ろへ引いてはいない。常に前進しながら澪を追い続けていたのだ。

 そしてついに、


「ほぅら、デカ尻一丁!」

「んぅ……っ!」


 背後を突かれた。澪の完敗である。

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