第16話

 拍手が鳴りやまない中、玲央は小走りで舞台袖に戻った。初雪は衣装を替えに向かい、霹靂神は入れ替わりに登場して客席になにかしら呼びかける。新衣装を目にした興奮か、拍手が爆発していた。

「じゃあ僕らはしばらくあれで観賞しようか」

 柘榴が指さしたのは小さなモニターだ。ステージの様子を正面から映し、わざわざ客席の後方に回らなくても済むようになっている。

 しかし玲央は首を横に振った。

「ここで観る。映像はあとでいくらでも見返せるけど、生の瞬間はそういうわけにいかないし」

「それもそうだね。じゃあ僕も玲央くんの隣に居よう」

「別にオレに合わせなくてもいいんだよ?」

「もし玲央くんが興奮で叫びそうになったら、口おさえてあげないといけないから」

「なにそれ。叫んだりしないって。柘榴先輩こそ叫ばないでよ」

「気をつける。あ、そろそろ初雪さん出てくるかな」

 輝恭と菊司は最後に歌う曲の紹介をしていた。デビュー曲かつライブの定番ナンバーである〝雷電〟が披露されるとあり、客席のペンライトが激しく左右に振られる。「ありがとうー!」と叫ぶ声も聞こえ、輝恭の唇が嬉しそうな弧を描く。

「楽しい時間が終わるのは名残惜しいけど、それじゃあ早速始めちゃう?」

「ああ。けどその前に、一つ足りねえもんがあんだろ」

 すぐに曲が始まると思っていたであろうファンたちが、輝恭の問いかけに「なにー?」と不思議そうに首を傾げた。

「おら、さっさと出てこい。もったいぶってんじゃねえ」

 言いながら二人が上手と下手に避ければ、ステージ中央にスポットライトが当たる。

 そこには穴がぽっかり開き、なにが起こるのか察して、玲央はうずうずと拳を握った。

 次の瞬間、セリから勢いよく初雪が飛び出した。着地までの時間は一秒にも満たなかったはずだが、恐らく本人は緊張のあまり倍以上の時間を感じていそうだ。

 短い時間で衣装も髪型も変わり、誰だか一瞬で把握できない。そのせいか客席が妙に静まり返っている。

 だが程なくして歓声と拍手が巻き起こり、玲央も柘榴とそろって痛いくらい手を叩いた。

「つーわけで、今回はニチカも加わるぞ!」

 輝恭が拳を突き上げると、加入を歓迎するようにペンライトが揺れる。あちこちから「おかえりー」と声も上がり、初雪の横顔から安心したように力が抜けていた。

「ファンのみんなめっちゃ喜んでるね」

「そりゃそうだよ。三人が並んでるところなんて二度と観られないと思ってたはずだから。僕だって跳び上がって喜びたいのを我慢してるんだよ」

「……もしかして柘榴先輩ってさ、俺が思ってる以上に霹靂神のファンだったりする?」

「言ってなかったっけ」

「聞いてないけど」

 柘榴の表情を窺おうとしたけれど、客席から「えー」と不満の声が聞こえてくる。どうやら輝恭が初雪の復帰は一時的なものであると説明したようだ。

 すでにカレンデュラを組み、そこでの活動を楽しんでいることを、先ほどまでの二曲でファンも知っただろう。残念そうな声はしばらく続いたが、初雪が申し訳なさそうに手を振ったことで収まった。

「んじゃ、そろそろやるか」

 輝恭が腕を回し、初雪や菊司と視線を交わしてうなずく。

 太鼓と銅鑼をかけ合わせたような、雷鳴じみた音がスピーカーから発された。三味線の音色は水面や草花の上で跳ねる雨粒のごとく軽やかで、縁日を想像させるようなメロディーはスピード感がある。そこに荒々しいエレキギターが加わり、まさしく和洋折衷の響きが会場を満たした。

「〈さあ騒げや歌え、天翔けるいかづちかき消して〉!」

 三人の歌声が美麗に鼓膜を震わせる。

 いつか動画で見た光景が、目の前に広がっていた。まばたきも呼吸も忘れるほどに見惚れてしまう。これこそがアイドルなのだと、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 輝恭は勇ましく、菊司はたおやかに、初雪は凛々しく歌い上げる。次第に生で歌っているからこその感情の昂りが歌詞に乗り、サビに向かうにつれてステージや客席の高揚が右肩上がりに高まった。

「僕さ、中学の頃に霹靂神のライブを観たんだ」

 柘榴の呟きに、玲央はハッと顔を上げた。

 目が合うと、彼は幸せそうに頬を緩める。

「動画サイトを適当に観てた時でね。オススメで表示されて、なんとなくクリックしたのがきっかけだった」

 霹靂神は初雪と輝恭が高校二年生、菊司が高校一年生の頃にデビューしたと聞く。柘榴が見たのはデビューして間もない頃の彼らかも知れない。

「純粋に『かっこいいな』って思ったんだ。それと同時に『僕にも出来るかも』って感じた」

「歌って踊れる才能があったから?」

 そう、と柘榴が淡く微笑んだ。謙遜が一切ない、清々しく潔いまでの肯定だった。

「でも実際はそんな簡単じゃなくてびっくりしたんだ。あっさりオーディションに受かって芸能事務所に所属出来たはいいけど、CDは売れないし、モデルの仕事ばっかりでアイドル活動なんてほぼしてなかった」

「そういえばそんなようなこと言ってたね」

「初めて挫折しそうになったよ。『僕にも出来る』って思ったことが、こんなに難しいんだって」

 客席から黄色い悲鳴が上がる。初雪がウインクをしたらしい。

 ステージを力強く踏み、猛々しく踊る姿は完全に霹靂神としてのそれだ。しかしカレンデュラで培った優雅さも確実に影響し、動きに重みを感じさせない。透け感のある衣装がひらめくのと相まって、仕草一つすら幻想的に見える。

 楽しそうに笑顔を浮かべ、輝恭や菊司と共に汗を散らす。学生の頃に戻ったかのように、三人は心の底からパフォーマンスを楽しんでいた。

「あれが見たかったんだ」

 柘榴の声が震えている。顔を見なくても分かる、感極まったそれだった。

「苦しいかもって思った時に霹靂神の動画を観ると、気持ちが楽になってね。こんなに楽しく自分を表現出来たら最高に気持ちいいだろうなって羨ましかった。そしていつか、同じ場所かすぐそばに立てるのを夢見てた」

「それ初雪さんに言ったことある?」

「ないかなぁ」と柘榴が肩をすくめた。「伝えようとしたことはあるけど、空回りしちゃいそうで自重することが多かったから」

 思い返してみれば、年明けに五人でカフェに足を運んだ時「夢みたいな時間だから、ちょっと浮かれてるよ」と口走っていた。あの時も内心では必死に自分を律していたのだろう。

「なんかさぁ、柘榴先輩も初雪さんも言葉足らず過ぎるよね」

 曲は終わりに向かいつつある。玲央はステージ上の初雪の横顔と柘榴を交互に見やり、小さくため息をついた。

「ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらないんだよ。三人とも柘榴先輩が霹靂神のファンだって絶対に気づいてないし、ライブが終わったあとにでも『実はずっとファンでした』って言ってみたら?」

「ふふ、そうだね。『今さら胡散臭い』って思われちゃうかもしれないけど」

 三人のハーモニーが人々の心を潤す。三味線の音色が残る中で、初雪たちが一斉に頭を下げた。ライブの終演が間近であることを悟り、ファンが次々に立ち上がって拍手を送る。

「僕たちも行こうか」

 柘榴に手を取られ、玲央は深くうなずいた。そのまま駆け足で初雪の隣に並び、客席にお辞儀をすればたちまちアンコールの声が上がる。

「そこまで求められちゃあ無視出来ねえな。おまけに歌ってやる」

 輝恭がにやりと笑った途端、客席が歓喜に沸いた。

 この一曲を歌いきればライブが終わる。終わってしまう。この時間がまだまだ続いてほしい思いはあるが、限りがあるからこそ至高のひと時をファンに味わってもらいとも感じる。

 玲央はマイクを握りしめて満面の笑みを顔いっぱいに広げ、四人と共に最後の瞬間までアイドルとしての喜びを堪能した。



「あー! 楽しかったー!」

 最寄り駅に向かいながら、玲央は大きく伸びをして言葉をゆっくり吐き出した。お疲れさま、と右隣の柘榴には肩を軽く叩かれ、左隣の初雪は玲央に同意するようにうなずいてくれる。

 ライブは興奮が冷めやらないままに幕を閉じた。アンコール曲は散々練習したおかげでミス無しでやり抜き、達成感のあまり泣きそうになった。最後は客席にも明かりが灯って、一人一人が幸せそうな表情を浮かべていたのを確認でき、恐らくあの光景を忘れることはきっと無い。

「でも磯沢さんが『これを以てニチカは正式に霹靂神を卒業する』って宣言した時は、ほとんどの人が残念そうな顔してたよね」

「こればっかりはな。もともと今日限りの復帰だし、今の俺はもうカレンデュラの一人だから」

 初雪は輝恭たちとは違う道をすでに歩き始めている。それはファンも理解しているはずだ。

 しかし終演後、楽屋の片づけなどを済ませてから霹靂神と別れる前に、初雪は輝恭たちに「機会があれば、またいつか一緒にステージに立ちたい」と伝えていた。輝恭は「気が向いたらな」と答えを返していたが、表情から察するに意外と満更でもなさそうだった。

「今回は霹靂神のライブにお邪魔したけど、次はオレたちのライブに来てもらおうよ」

「いいね、楽しそう。いつにしようか? 半年後?」

「気が早すぎるだろ。スケジュールだって合わせないといけないし、さすがに半年後は現実的じゃない」

「それもそうだね」

 ライブで披露する曲も現状限られている。加入して一年未満の玲央ではレパートリーが少ないためだ。今日のように二人体制だった頃の曲をアレンジするだけでなく、新曲にも挑戦して出来るものを増やしたかった。

 次の目標や霹靂神との再コラボについての議論はいったん置き、話題は今日の感想に変わる。玲央が見た限り柘榴も初雪も完璧だったのだが、各々なにかしら反省があるらしい。

「俺が出て行ってブーイングでも起きたらどうしようって、ずっと気が気じゃ無くてな。そっちに意識を取られ過ぎて、一曲目の時に危うく歌詞が頭から飛びそうになった」

「え、そうなの? でもちゃんと歌えてたじゃん」

「なんとかな。今日の様子はマネージャーが録画してくれてると思うから、あとで見返してみろ。一瞬だけ呂律が怪しいところがあったらそこが歌詞飛びかけたところだ」

「僕もいつもより表情硬くなってたかな。にやけないように引き締めた反動っていうか」

 しかし些細な失敗を一切感じさせなかったあたり、二人のプロとしての矜持が感じられる。玲央も楽しかったばかりではなく、もちろん改善点がいくつか思い浮かぶ。改善できるところは直してステップアップしなければ。

「そういえばお前、本当に霹靂神のファンなのか」

 初雪から疑わし気に訊ねられ、柘榴が「本当だよ」と頬を膨らませる。

 舞台袖で促したからか、柘榴は楽屋に戻ってから三人にファンだと伝えたのだ。輝恭には胡乱な眼差しで嘘くさいと言われたものの、玲央がフォローした結果どうにか信じてもらえた。

 一方で初雪はまだ半信半疑のようで、目を眇めて柘榴を窺っている。

「なんならどこが好きかレポートでも書いてこようか。完成したら目の前で読み上げてあげる」

「やめろ。それは俺が恥ずかしくなるやつだ」

「『苦しい時に霹靂神のライブ観ると気持ちが楽になるんだ』って柘榴先輩言ってたけどさ、なんとなくオレ分かったよ」

 玲央は初雪の腕をつついて、大きな瞳で彼を見上げた。

「初雪さんすごく楽しそうだったから。カレンデュラだとちょっとダーク寄りの雰囲気だし、歌ってる時はあんまり笑わないじゃん? けど磯沢さんたちと歌ってる時は別人みたいに晴れやかでさ、確かにこれ見たら元気になれるなーって」

 以前、玲央は輝恭を太陽に、菊司を月に、初雪を星に例えたけれど。

「三人とも同じくらい輝いてた。ファンの人からすれば、ステージに立ってる全員が太陽みたいな存在なんだよね、きっと」

「良いこと言うね玲央くん。褒めてあげよう」

「ちょっ、頭かき回さないでよ! ぐちゃぐちゃになるじゃん!」

 玲央の抵抗をものともせず、柘榴が両手でわしわしと髪を乱してくる。いつもなら初雪が止めてくれるのに、ライブが終わって人前に出る機会が無いからか、今日は柘榴に便乗して頭を撫でてきた。

 恐らく髪は目も当てられない状態になっているが、怒るのも馬鹿らしくて玲央は思わず吹き出した。それにつられたように二人もやがて肩を震わせる。

「さて、ライブも無事に終わったことだし、次に向けて動き出さないとね」

 ひとしきり笑いあったあと、柘榴がきりりと表情を引き締めた。

 来月以降は個人の仕事こそあるけれど、ユニットとしてはしばらく音楽番組やライブといった予定がまだ入っていない。

 柘榴が言う〝次〟とは新曲のことだろうか。なんとなく見当をつけていたところで、彼は予想の斜め上の一言を二人に告げてきた。

「実は事務所から独立しようと思ってるんだよね」

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