4 商品開発

 身体が弱く、あまり公式の場に現れなかったフレデリック王太子殿下が、健康を取り戻して婚約者であるソフィアお姉様をデートに連れ回しているらしい――。そんな噂を聞いたのは、イザベラ様のご厚意でエリー様と出会って三ヵ月後のことだった。


 この三ヵ月の間、誰よりもエリー様とお会いして、お話しさせてもらっているのは私だと自負できるくらい、彼女とは頻繁に顔を合わせていた。


 エリー様は将来を見据えてたくさんの会社や不動産に投資していて、自由にできる個人の資産が潤沢にあるそうで……。おそらく貴族のお嬢様なのに、個人資産も豊富にお持ちだなんて尊敬しかできない。そんなすごいお方に相手をしてもらいながら、未だにファミリーネームを聞き出せずにいる私……どんまい。


 とにかく、エリー様は豊富にお待ちのその個人資産を使って私の「美容部員になりたい」という夢を後押ししてくれるそうだ。なんでも、彼女の基準で「お金になりそう」と判断できたようで――。

 ありがたいことに、エリー様は私の化粧の腕と知識を高く評価してくれたのだ。

 

 私が前世の記憶を頼りに「こういうものがあると幅が広がる」というような話を雑談混じりにしていたのだけれど、そのアイディアが斬新だったようで「売れる」と判断したそうなのだ。

 イザベラ様も私がエリー様とお会いするとき、最初のほうは同席してくれていて、「そういう嗅覚は優れているから、この子が売れると判断したらきっと売れるわよ」と太鼓判を押してくれたので、少し安心した。

 エリー様は私が案を出す度に驚きとともに「すごい」「天才」と褒めてくださり、ただ前世にあったものをこちらでも使いたいと思っただけだけの私は、少し罪悪感をおぼえるほどだった。

 

「やっぱり、まずは化粧下地とファンデーションかなぁ。アイライナーやアイシャドウのバリエーションも増やしていきたいところだけど、優先順位をつけるとしたら、まずはベースが先かな。開発に時間もかかりそうだから、並行してできると一番いいかなと思う」


 三ヵ月もみっちり話していると、自然と敬語も抜けてしまった。そうしても違和感を抱かないほど二人の距離は縮まり、気安い友人のような仲なっていた。

 

「ふうん。じゃあ並行してできるようにしてみるけど……化粧下地ってどういうものなの?」

「そうねぇ。そのあとに塗るファンデーションが均一につくようにお肌の表面をコーティングしてくれるってイメージかなぁ?」

「コーティング」

「うん。一人ひとり肌のコンディションは異なるでしょう? たとえば、エリー様みたいにもともとお肌のキメが整っている人は、下地がなくても綺麗にファンデーションがつくとは思うけど、がよくなる効果がプラスされるわ」

「ふーん」

「だから……本来なら下地で補正する必要がないくらい美肌に整えるのが先決なんだけどね」

「基礎化粧品ってやつね。化粧水とか乳液とかの。そっちはまだ研究が進んでいなくて……ごめん」


――エリー様が叱られた子供のようにしゅんとしている……! 尊い……!

 

 エリー様は私が提案することをなんでも叶えてくれる魔法使いみたいな方だけれど、こういう一面を見ると年相応に見えて安心する。

 

「いいえ。謝ることなんてないわ。本当に、私が無茶ばかり言ってることは理解してるし、感謝しかしてないから! いずれ必ず開発者の方に直接お礼を言わせてね?」

「うん……。とりあえず伝えておくね」


 今度は照れているらしいエリー様のかわいらしい表情を目に焼き付けながら「ありがとう。よろしくね」と伝える。

 

「話を戻すと……お肌が乾燥していたり、皮脂が多めだったり、何かしらトラブルを抱えている肌に直接ファンデーションを塗ると、均一につかなくてムラになったりするのよ。その結果、それを隠すためにファンデーションを厚塗りすることに繋がるのよねぇ」


 実際、学園にいる同級生たちの肌を見ても、エリー様のような美肌の持ち主は少数派だった。みんな若いのに残念なことである。きっと有害な白粉おしろいの影響も少なからずあるのだろうと思われる。

 

「ファンデーションって自分の肌色に近い色味を選んで塗るって言っていたじゃない? 白塗りして誤魔化すんじゃなくて、実際の自分の肌に近い色を使って肌色を補正しつつ、それと共に配合されたなんらかの物質が光を乱反射して、肌の表面の凸凹やシミそばかすをぼかす仕組みだったわよね? だったら厚塗りになっても機能的には問題ないのではない?」

「そうね。ファンデーションの役割についていうならその通り。でも、厚塗りはやっぱり避けるべきね」


 エリー様のファンデーションに対する造詣ぞうけいが深くて驚いた。いや、確かに私が説明したのだけれど……。でも、いくら果たす機能がわかっていても、実際使ってみないとわからないことは存在するだろう。厚塗りダメ、ぜったい! と主張するのにはちゃんとした理由があるのだ。

 

「厚塗りする一番のデメリットは『崩れやすい』ことなの。表情を動かすと顔にはどうしてもしわが寄るじゃない? 特によく動くのは目元と口元。そこからどんどん崩れてきて、逆にしわが強調されて老けて見えちゃったりするの」


 ほうれい線とか、目尻のしわとか、額のしわとかね……。老けて見えちゃうから、その辺りはごく薄く塗るか、塗らないでいいなら塗らないほうが綺麗に長持ちするのよね。

 

「なるほどね。厚塗りするとその分、皮膚とファンデーションの密着度が落ちるから……。しわが目立つのはいやよねぇ……」

「でしょう? それから、顔にはたくさんの毛穴があって、皮脂腺もついてるから、そこから必ず皮脂が分泌されるわ。汗や皮脂と結びつくと、ファンデーションはとても不安定になってヨレたり落ちたりしやすくなるのよ。テカテカして見た目も悪くなるし」

「なるほどねぇ……」

「だから、化粧下地でまずファンデーションが崩れづらい土台を作ってあげることが重要なの。一日中全く崩れずキープすることは難しいけど、少なくとも化粧直しの頻度は減らすことができるわ」

「化粧って奥が深いのねぇ……」

「そうよ。今のはベースの話だけど、ポイントメイクももっとみんなに広めたい技術があるもの」


 ポイントメイクで印象を操作する方法とか、「普遍的な美人の顔」に近づけるメイクをするための理論とか、いろいろ伝授できる技と知識がある。


「アイリーン、それなんだけど」

「ん? それって?」

「アイリーンがもつ技術と知識のこと。それ、お金とらなきゃだめよ。立派なあなたの『財産』なんだから」


――財産……! 何も知識がない状態から、一生懸命頑張って頭に入れたから、そういうふうに言ってもらえて嬉しいな……。


「でも、お金とるほどじゃなくない?」

「十分お金とるほどだから。今は宣伝になるからいいけど、無償での提供はいずれやめてもらうからね」

「宣伝?」

「んん、それは今気にしなくていいの」

「ふふ。エリー様ってば秘密が多いよね」


 エリー様は全然そうは見えないけれど、実は私と同じ十七歳なのだそうだ。学園に通っていないから年上なのだと思っていたのに、なんと飛び級して卒業したのだという。

 だから彼女の考えることは私の思いもよらないことばかりでいつも驚かされている。名前のことも含めて秘密も多いし。でも、それが楽しくて、エリー様と知り合えてからの毎日はより充実してしているのだ。怠け者すぎて学園に通わなくなってしまったと噂の第二王子様と大違いだ。

 

「……でも、そういう技術とか知識とかって、なんか……ちょっと怖くない?」

「どうして?」

「みんながアイリーンの技術を習得したら、男性たちはみんな化粧で騙されることにならない?」

「ふふ。魅力的な女性が増えるなんて男性にとっては嬉しいことではないかしら? 元々の顔を変えるわけじゃなくて、持っている魅力を引き出す手助けをしてくれるのがお化粧だもの。騙すのではなくて、お化粧のおかげでその人が本来持つ魅力に気づきやすくなるのよ。これぞwin-win! 素晴らしい社会貢献だわ……!」

「なんか……うん。アイリーンは女の子たちを心から笑顔にしたいのね」

「そうなの! わかってくれる? 女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」


 こんなふうに、私は満面の笑みで夢を語ることしかしてなかった気がするのだけれど、その後もいつの間にか私から聞き取った情報を元に、誰に頼んでいるのかはわからないながらもエリー様の手によって商品開発が進んでいて、試作品を渡されるという日々が続いていった。

 

 正直、私は今まで渡された商品を使い、その商品を広める仕事しかしてこなかったから、開発についてはどうしていいのか全くわからなかった。

 エリー様がそこをいとも簡単に解決してくれるので、私はいつもエリー様を尊敬の眼差しで見つめていた。本当にエリー様と知り合えてよかったとしみじみ思っている。

 イザベラ様から話を持ちかけられたとき、不安に思った日のことが遠く思い出される。エリー様もイザベラ様もとても親切に接してくれるし、私は最高の縁に恵まれたことを心から感謝した。


 実は、ファンデーションの開発を急いでもらったのにはもう一つ個人的な理由があったから――。

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