やかん少女の旅路

大上 狼酔

やかん少女の旅路

with Yakan

 少女はベッドの上で穏やかな朝を迎えた。窓からは神々しい朝陽が差している。

 少女の母親譲りの黒髪には寝癖がついていた。

 黒い綺麗な目を眠そうにしながら少女は首元に手を当てた。

「何で死ななかったんだろう。」

 少女は絶望していた。

「はー。気持ち悪い。」

 彼女は丸みを帯びた体つきになったとはいえ、当然酒など飲めるはずがなかった。しかし、この世界に失望した彼女は数日前に家にあるワインを一本とり、山の中にこもって味わった。

 この決断の末、彼女は二日酔いを体験するはめとなったのだ。

 やるせなくなった少女は重い足取りで一階へと向かった。

 少女は思った。

(どうしてこうなってしまったんだろう。)



 丁度その時代は、技術先進国のヤナギ国で蒸気機関が完成しそうだ等と云う知らせが世界中に渡ったころであった。(世にいう産業革命がこの世界にも迫っていたというべきだろうか。)


 そんな中、突如として世界中に大雨が降った。少女も勿論それを体験した。ただ外は天気雨のようで、昼間は太陽が出ていた。幸い農作物は腐らなかったし、少女の住むクルーゼ国のパイン村では目立った水害もなかった。研究者の調べでは、雨水は水に似た何かと考えられ、普通の降水とは状況が違ったようだ。そんなこんなで少女はあまり気に留めていなかった。


 それが甘かった。海岸沿いは地獄と化していた。

 何故か? 陸地こそ天気雨に過ぎなかったが、海上には豪雨が絶え間なく降り注いでいた。それも世界中に。考えられるだろうか。海辺の村が沈んでゆく様を。

 そうして海面は上昇し、様々な村が姿を消した。


 それだけならば、少女は自殺など考えなかったかもしれない。少女の母親が死んだのだ。

 少女の母親は隣国であるヤナギ国のホーロー研究所に勤めていた。有名な研究所の支部であり、彼女もまた優秀であった。しかし、海辺から離れていたはずのヤナギ国が最も無惨な姿に成り果てたそうだ。原因はわからない。

 この災害を、ある者は神の与えた試練と言い、またある者は“スカイ教会“の陰謀論を唱えた。


 ただそれは少女にとってどうでもよかった。父親は天災の前から、女を連れて出ていってしまった。元々家族に暴力をふるう人だった。

 その後、少女はたまに叔父に面倒をみてもらいながら、実家に一人で住むようになった。母親は父とのストレスもあったのか実験に没頭して隣国へ行ってしまった。

 天災から一ヶ月、母親が死んでからは叔父の家に居させてもらったが、景気が厳しい状況で、叔父の少女に対する態度も険しくなっていった。


 存在意義をいよいよ失った少女は、とうとう自殺を決意したのだ。



 一階に降りた。

「え……。」

 机の上にやかんが置いてある。やかんは金色のボディで、黒い取っ手がついている。

 昨日は酒に酔っていて気付かなかった。少女は叔父の家に帰らず、実家に帰ってしまったのだ。(なぜ山の中に居続けなかったか覚えていない……。)

 母親の遺物が置いてあることは知っていたが、よりによって、“やかん“……。

「片付けよう。」

 やかんを手にとり、永遠に使うことのない食器棚へと戻そうとした。

「おい、そこのお前。」

「え?誰?」

「ここだ。」

「?」

「お前の手元だよ。」

「……! やかん?」

「そうだ、この俺だ。お前に頼みがある。」

「やだ。」

 少女は食器棚の扉を開けた。

「いやいやいや。喋る“やかん“だぞ? 興味ぐらいあるだろ?」

 少女は優しくやかんを棚に入れた。

「おい、待て! 話ぐらい聞け!」

 そして扉を閉めた。

 少女には自殺の決意は出来ていた。

 少女は玄関へと向かい歩きだした。その無気力な足取りは、人生の終焉へと進み続けることだろう。

(沈んだ町でも見ながら死のうかな。)

 少女はそんなことを心の隅で思った。



 ~END~





「ちょっっっと待てや!!」

「しぶといなー。もういいでしょ。」

「お前、魔法なんて“スカイ教“のインチキでしか見たことないだろ。」



 やかんのいう通りこの世界は少しいびつだった。この世界に魔法はないこともなかった。しかしそれを使えるのはスカイ教の司祭だけ、しかもその魔術もたかが知れていた。例えば、手からほんのりとロウソクのような火を出す者、コップ一杯の水を凍らせるのが限度の者などがいた。

 だから喋るやかんなどと言うものは、確かに絵本の中でしか考えられなかった。



「そうね。でも興味ないから。私はこれから死ぬの。バイバイ。」

「……。」

 やかんの言葉が事実だろうと幻聴だろうと少女はどうでもよかった。



「オアシスに連れていってやる。」

「……!」

「俺は水が欲しい。井戸水でも川水でも。ただ、どうしてもオアシスの水だけは絶対に欲しいんだ。」 

 オアシス……。少女は懐かしい記憶を呼び覚ました。



「はぁー。ミンジュにもオアシスを見せてあげたいなー。あのク○野郎との初デートもあそこだったんだけどね。」

「お母さん、汚い言葉を使わないで。」

「ごめんごめん。ミンジュの真面目さは誰譲りなのかねー。でもでも!絶対生きてる間にオアシスに行きなさい。今、砂漠化がどうなの騒ぎになってるけど、そんな中でも生き生きと輝いているから。」



 少女はやかんに聞いた。

「どうやって?」

「俺はオアシスの場所と行き方を知っている。道中は怪物がいるだろうが、俺がなんとかしてやる。ここからオアシスまでお前一人で行くことは絶対に出来ない。俺を連れていってくれれば、お前はオアシスに行くことが出来る。悪くない提案だろ?」

 母親が言っていたオアシス……。それをこの目で見れるかもしれない。

「いいよ。あなたの中に水を入れてあげれば連れていってくれるのね。」

「ヨッシャー!決まりだな。とりあえず水をくれ。喉が乾いた。」

「そういうものなの?」



 やかんに云われた通り、少女は井戸水をやかんの中へ注いだ。

「ふー。生き返るー。」

「“生きる“か。やかんなのに。」

「まぁまぁ。それより少女よ、名前は?」

「ミンジュ」

「そーか! ミズだな! この水没した世界にぴったりだ。」

「いやだからミンジュ……。」

「ミズは旅をしたことはあるか?」

「はぁー。もうミズでいいよ。旅はしたことない。」

「ほぉ。」

「それよりあなたのお名前は?」

「俺か? 俺はノア……」

「そう! やかんというのね! 素敵!」

「いやだからノア・ア……」

「ねぇ、やかん。旅の準備を始めたほうがいいかな。」

「スー……。そうだな。早い方が良い。」


 少女は旅支度を始めた。とはいえ家出をしていた彼女は、持ち運べるものは粗方持っていた。そのため食糧のみを実家からかき集めた。一ヶ月程度放置してあったとはいえ、保存食を選べば問題ないと考えた。

「それ食えんのか?」

「食べてみせる。」

「あっそ。」

 一時間とかからずに仕度は終わってしまった。最後に叔父への手紙を書き、机の上に置いた。内容は旅に出る旨を軽く述べ、今までの感謝を綴っただけだった。

「じゃ、行こうか。」

「お前が良いなら出発するが、その前に一つ。俺は全力でお前を守る。でも、命を落とす可能性だっていくらでもある。本当にいいんだな?」

「いいよ。死ぬ時は死ぬし。覚悟は出来てる。」


「わかった。ミズよ、始めに俺を頭の上に乗せてみてくれ。」

「こう?」

 不思議と安定していて、落ちるような気がしなかった。 

「よ!やかん少女!」

「ツッッッ!はず……。」


 こうして少女の旅は始まった。

 













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